1979年、主演舞台「上海バンスキング」で一躍ブレイクを果たすと、以降、個性派女優として舞台を中心に活躍した、吉田日出子(よしだ ひでこ)さん。
そんな吉田日出子さんのプライベートはどのようなものだったのでしょうか。
今回は吉田日出子さんは結婚しているのか、また、元カレ(過去の彼氏)についてもご紹介します。
「吉田日出子の若い頃は?生い立ちから現在までの経歴を時系列でまとめ!」からの続き
吉田日出子の夫は?結婚している?
吉田日出子さんは過去に一度も結婚したことがなく、現在も独身です。
吉田日出子さんは、結婚しなかった理由について明かしていないため、詳しいことは不明ですが、女優一筋だったからかもしれません。
吉田日出子の元カレ(過去の彼氏)は?
ただ、吉田日出子さんは、過去には、様々な男性と噂になっていますので、交際の噂があった男性たちをご紹介しましょう。
岡林信康
吉田日出子さんは、1970年頃、フォークシンガーの岡林信康さんと交際していたそうです。
(岡林信康さんは、1960年代から1970年代に活躍していたフォークシンガーで、「フォークの神様」と呼ばれ人気を博しました)
岡林信康さんには、当時、婚約者がおり、その婚約者とキューバに行くことになっていたそうですが、吉田日出子さんに浮気し、急遽、キューバ行きを中止すると、その後、吉田日出子さんと同棲生活を始め、事実婚の関係となったそうです。
吉田日出子さんと岡林信康さん。
そんな吉田日出子さんは、岡林信康さんが1970年に発表したアルバム「見るまえに跳べ」に収録されている「NHKに捧げる歌」という曲で、岡林信康さんとデュエットしているほか(吉田日出子さんのクレジットはないそうです)、
岡林信康さんのコンサートにも、度々、飛び入り参加していたようで、交際中は、かなり、アツアツだったようです。
ただ、わずか半年で破局したそうです。
(吉田日出子さんは、岡林信康さんと別れた後は、「はっぴいえんど」のギタリスト・鈴木茂さんと同棲していたこともあったそうです)
小日向文世
吉田日出子さんは、俳優の小日向文世さんとも交際が噂されました。
若い頃の小日向文世さん。
小日向文世さんは、1977年、23歳の時、吉田日出子さんと串田和美さんが旗揚げした「オンシアター自由劇場」に入団すると、1996年に「オンシアター自由劇場」が解散するまで、看板俳優として活躍し、吉田日出子さんの相手役も務めているのですが、
二人がどのように交際に至ったのか、どのような経緯で破局に至ったのか、情報がなく、詳細は不明です。
ちなみに、吉田日出子さんの方が、小日向文世さんよりも10歳以上年上ということもあり、吉田日出子さんは、まだ無名の下積み時代だった小日向文世さんをサポートしているうちに仲良くなったのかもしれません。
また、小日向文世さんは、インタビューで、
劇団にいた時は、座長の串田和美さんがお父さんで、看板女優の吉田日出子さんがお母さん。 厳しい先輩の笹野高史さんがお兄さん、19年間在籍した劇団時代、僕はそう思うように過ごしました。
と、語っています。
(小日向文世さんは、1993年、同じ「オンシアター自由劇場」の女優だった女性と結婚しています)
高橋克典
吉田日出子さんは、小日向文世さんと別れた後、1995年には、俳優の高橋克典さんとの交際&同棲も報じられました。
若い頃の高橋克典さん。
1995年、当時、51歳だった吉田日出子さんと、21歳年下で30歳だった高橋克典さんの交際が、週刊誌により報じられているのですが、この時、すでに、二人は4年間も同棲していたことが報じられています。
吉田日出子さんが、当時、まだ無名の俳優だった高橋克典さんを公私ともにサポートしていたとのことで、小日向文世さんの時とよく似ていますが、
やはり、二人がどのような経緯で破局に至ったのかは不明で、高橋克典さんは、2004年には、モデルの中西ハンナさんと結婚しています。
一方、吉田日出子さんは、一度も結婚はしておらず、現在も独身のようです。
「吉田日出子の病気は高次脳機能障害も上海バンスキングで復帰していた!」に続く
吉田日出子さんと高橋克典さんの交際を伝える記事。
「オンシアター自由劇場」の看板女優として活躍し、主演舞台「上海バンスキング」が小劇場では異例のロングランヒットを記録した、吉田日出子(よしだ ひでこ)さんですが、2007年には、病気(高次脳機能障害)が判明していたといい …