コメディからシリアス、時代劇まで、あらゆるジャンルのテレビドラマや映画に出演し、その情熱的な演技や存在感で視聴者の心を魅了している、市原隼人(いちはら はやと)さん。
そんな市原隼人さんは、幼い頃から運動神経がよく、水泳や器械体操を習うなど、活発な少年だったそうで、小学校時代はボーイスカウトにも所属していたそうですが、
小学5年生の時にスカウトされて芸能界入りし、中学3年生の時に、映画「リリィ・シュシュのすべて」で俳優デビューすると、その後は、「WATER BOYS2」「ROOKIES」などの主演ドラマをヒットに導き、演技派俳優としての地位を確立しました。
今回は、そんな市原隼人さんの若い頃から現在までの経歴を、生い立ちを交えて時系列でまとめてみました。
市原隼人のプロフィール
市原隼人さんは、1987年2月6日生まれ、
神奈川県川崎市の出身、
身長171センチ、
血液型はA型、
学歴は、
川崎市立高津中学校
⇒日本工業大学駒場高校
⇒堀越高校(中退)
⇒クラーク記念国際高校(通信制)卒業
趣味は、カメラ、バイク、料理、読書、
ちなみに、市原隼人は本名です。
市原隼人は幼い頃は父親に厳しくも愛情深く育てられていた
市原隼人さんは、アメリカで精密機械の開発に携わっていたお父さんのもと誕生すると、幼い頃は、お父さんに、ロボット関係のイベントや科学博物館によく連れて行ってもらっていたそうで、その影響で、市原隼人さんも、幼い頃から機械ものが大好きなのだそうです。
幼少期の市原隼人さん。
また、お父さんには、
挨拶はデカい声でしろ
人が寝ている間に10倍努力しろ
字は、はみ出るくらい大きく書け
と言われ、厳しく育てられたそうですが、
一方、お父さんは、いつも、日が暮れるまでキャッチボールに付き合ってくれ、肩車をして家まで帰ってくれるなど、厳しさの中にも愛情あふれる育て方をしてくれたそうで、
市村隼人さんは、幼い頃にお父さんと過ごした日々について、
あの日々の光景を大人になった今でも忘れることはないです。
と、語っています。
市原隼人は小学5年生の時にスカウトされて芸能界入りしていた
市原隼人さんは、幼い頃から運動神経が良く、水泳や器械体操を習うなど、活発な少年だったそうで、小学校時代はボーイスカウトにも所属していたそうです。
そんな中、小学5年生の時には、スカウトされて芸能界入りすると、13歳の時には、深田恭子さんと共演した日清食品「スパ王」のCMで芸能界デビューしています。
日清食品「スパ王」のCMより。
市原隼人は中学3年生の時に映画「リリイ・シュシュのすべて」で俳優デビュー
その後、小学5年生から中学生時代、市原隼人さんは、子供モデルとして活動すると、2001年、中学3年生の時には、映画「リリイ・シュシュのすべて」の主演で俳優デビューし、重苦しく抑圧されたストーリーの中、その瑞々(みずみずみ)しく繊細な演技でたちまち注目を集めます。
「リリイ・シュシュのすべて」より。
ちなみに、市原隼人さんは、この「リリィ・シュシュのすべて」に出演した時のことを、
デビュー作の『リリイ・シュシュのすべて』の撮影時は、僕も本当にいろんなスタッフ・キャストの方々に可愛がっていただいて、現場に行くのが楽しみでしょうがなかった。
だから僕の中には、映画というのはどこか家族みたいに近い距離感で、一緒に作り上げていくものだっていう感覚が残っているんですよね。それこそ当時はみんなでプロデューサーさんの家に泊まりに行ったりしてましたから
と、語っています。
市原隼人は16歳の時に映画「偶然にも最悪な少年」で「日本アカデミー賞新人俳優賞」を受賞
そんな市原隼人さんは、その後も、順調にテレビドラマや映画に出演し、2003年、16歳の時には、映画「偶然にも最悪な少年」での演技で「日本アカデミー賞新人俳優賞」を受賞しています。
「偶然にも最悪な少年」より。中島美嘉さんと市原隼人さん。
市原隼人は17歳の時にテレビドラマ「WATER BOYS2」で初主演
そして、市原隼人さんは、2004年、17歳の時には、「WATER BOYS2」で連続ドラマ初主演を果たすと、人気を博し、この作品をヒットへと導いています。
「WATER BOYS2」より。石原さとみさんと市原隼人さん。
市原隼人は20歳の時と22歳の時に交通事故を起こしていた
ただ、そんな市原隼人さんは、その後、2回交通事故を起こしています。
1回目は、2007年、20歳の時で、交差点で、市原隼人さんが運転する車と、直進してきた車が衝突し、当初は、市原隼人さんも、相手の方も、ケガがなかったようですが、その後、相手の方が首の痛みを訴えたことにより、市原隼人さんは、業務上過失致傷容疑で書類送検されています。
また、2回目は、2009年、22歳の時で、国道で、市原隼人さんの運転する車が、前方で停止していた男性の車に追突したそうですが、幸い、双方にケガはなかったようです。
市原隼人は21歳の時にテレビドラマ「ROOKIES」でブレイク
さておき、市原隼人さんの快進撃はその後も続き、2008年、21歳の時には、テレビドラマ「ROOKIES」で、ルックス、運動神経ともに抜群の女子にモテるワルで、問題児たちのリーダー的存在の安仁屋恵壹を演じているのですが、
この作品は、同年10月には、スペシャル版ドラマが放映されるほか、2009年には、映画「ROOKIES-卒業-」も公開されるなど、大ヒットとなり、市原隼人さんも一躍ブレイクを果たしたのでした。
「ROOKIES」より。
市原隼人は25歳の時に「陽だまりの樹」で時代劇初主演
こうして、若手演技派俳優の地位を確立した市原隼人さんは、2012年、25歳の時には、手塚治虫さんの同名漫画を原作とする「陽だまりの樹」で、無骨で一本気の武士で主人公の伊武谷万二郎役を演じているのですが、時代劇初主演ということで、
市原隼人さんは、
日本人としてとても光栄な経験をさせて頂ける機会であり、現在を生きている皆様に今の時代ができる前の自分の生まれた国の歴史や心構えを伝えたいと同時に自分自身も積極的に学んで生きたいと思います
と、語っています。
「陽だまりの樹」より。
市原隼人は29歳の時にテレビドラマ「不機嫌な果実」でヒロインの不倫相手役を演じていた
市原隼人さんは、2016年、29歳の時には、不倫に溺れる人妻の姿を描いた、林真理子さんの同名小説を原作とするテレビドラマ「不機嫌な果実」で、ヒロイン・麻也子の不倫相手、工藤通彦役を演じているのですが、
このようなジャンルの作品に出演することは初めてで、現場では不安や戸惑いばかりだったそうですが、それでも、あえて、この作品に出演を決めた理由について、
市原隼人さんは、
もうすぐ30歳になる中で、自分の時間も頂き色んな事に挑戦してみようと想う気持ちが前に出てきました
と、語っています。
「不機嫌な果実」より。市原隼人さんと栗山千明さん。
市原隼人は32歳の時に「おいしい給食」シリーズ
また、市原隼人さんは、2019年、32歳の時には、「おいしい給食」シリースで、学校給食を愛してやまない中学教師・甘利田(あまりだ)幸男をコミカルに演じると、この作品は、3シーズンに渡ってシリーズ化され、人気を博しました。
「おいしい給食」より。
市原隼人は35歳の時にNHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」で八田知家役
市原隼人さんは、2022年、35歳の時には、NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」で、八田知家役を演じているのですが、八田知家がどういう人物だったのか、史実にはあまり残されていないため、市原隼人さんにとって、これまでの中で一番難しい役だったそうで、
市原隼人さんは、
鎌倉時代に生きた八田知家は、自分の定めをしっかりと受け入れている人物だと思います。今回の『鎌倉殿の13人』の中では、幕府内で道の拡張工事を請け負ったりもしており、八田知家自身も現場に出て泥臭く汗まみれで働いているような人物。
そういった労働の中で培われた人間臭さがあると感じます。枠にはまらず、どこにも付かない一匹狼としての生き方は、そうした経験の積み重ねで備わったのではないでしょうか。
と、八田知家について分析しています。
「鎌倉殿の13人」より。
市原隼人は36歳の時にテレビドラマ「こっち向いてよ向井くん」に出演
市原隼人さんは、2023年、36歳の時には、テレビドラマ「こっち向いてよ向井くん」で、主人公の向井くんの恋の相談相手の同僚・環田役を演じているのですが、
恋愛に慣れたスマートな役どころということで、市原隼人さんが登場するだけで、どのようなシーンでもムードが一気に高まり、大人の余裕を感じるセクシーな佇(たたず)まいに、視聴者からも環田(市原隼人さん)の登場を待ちわびる声が相次ぐなど、主役の赤楚衛二さんを食ってしまうほどの存在感を放っています。
「市原隼人の妻・向山志穂との馴れ初めは?子供は娘が1人!」に続く
「こっち向いてよ向井くん」より。
2001年、映画「リリイ・シュシュのすべて」の主演で子役デビューすると、2003年には、映画「偶然にも最悪な少年」の演技で「日本アカデミー賞新人賞」、2008年には、テレビドラマ「ROOKIES」の演技で「第58回ザ・テ …