1969年、小学6年生の時に、「紅三四郎」でアニメソング歌手としてデビューすると、以降、「アクビ娘の歌」(1969年)、「サザエさん」(1969年)、「魔法のマコちゃん/ボクはマコについてゆく」(1970年)、「ラ・セーヌの星/わたしはシモーヌ」(1975年)などのアニメソングを歌唱し、1976年、19歳の時には、「キャンディ・キャンディ」の主題歌がミリオンセラーとなる大ヒットを記録して、一躍、お茶の間の人気者になった、堀江美都子(ほりえ みつこ)さん。

そんな堀江美都子さんは、小学4年生の時に「日清 ちびっこのどじまん」に出場したことがきっかけで、テレビ局系列の合唱団に所属し、歌手として活動を開始したといいます。

今回は、堀江美都子さんの、生い立ち(幼少期~アニメ歌手デビュー)をご紹介します。

堀江美都子

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堀江美都子のプロフィール

堀江美都子さんは、1957年3月8日生まれ、
神奈川県大和市の出身、

身長153センチ、

血液型はAB型、

学歴は、
鶴見大学附属中学校・高等学校卒業

特技は、ゴルフ、スキー、バイオリン、ウィンドサーフィン、

ちなみに、「堀江美都子」は本名で、結婚後は「浅見美都子」(あさみ みつこ)となっています。

また、愛称は、「ミッチ」「ミッチー」です。

堀江美都子は幼い頃に両親にバイオリンを習わされるも歌の方が好きだった

堀江美都子さんは、神奈川県庁の職員だったお父さんと、横浜市役所勤めのお母さんのもと、2人きょうだい(弟が1人)の長女として誕生すると、

両親が音楽好きだったことから、バイオリニストにさせたいと、小学校1年生の時にバイオリンを習わされたそうですが、実は、歌の方が好きだったそうです。

堀江美都子は小学4年生の時に「日清 ちびっこのどじまん」に出場し準優勝

そんな中、1966年、小学4年生(9歳)の時、堀江美都子さんの歌声を聴いた叔母さんが、歌がうまいと思い、内緒で「日清 ちびっこのどじまん」に応募すると、

堀江美都子さんは、予選を勝ち抜いて、本戦に出場し、優勝はできなかったものの、準優勝を果たしたそうです。

ちなみに、本番で歌った曲は「ドナドナ」だったそうで、審査員から

きみ、小学4年生なのにちょっと暗いよね

と、言われたそうです。

堀江美都子
「日清 ちびっこのどじまん」で歌唱する堀江美都子さん。

堀江美都子は小学4年生の時にテレビ局系列の合唱団員として活動を始めていた

「日清 ちびっこのどじまん」では優勝はできなかった堀江美都子さんですが、後日、同番組で歌った子どもたちで合唱団を作るから、と言われ、テレビ局系列の合唱団員として活動するようになったそうです。

堀江美都子は小学6年生の時にアニメ「紅三四郎」でアニメソング歌手としてデビュー

そして、1969年、小学6年生の時には、アニメ「紅三四郎」の主題歌歌手に起用され、コロムビア(現・日本コロムビア)より、アニメ歌手としてデビュー。

その頃、コロムビアでは、「童謡でも唱歌でもない、子どものための新しいジャンルの歌」として、アニメソングを作っていた時期だったそうで、アニメ番組を見ている子どもたちと同世代の歌手で構成されている合唱団の中から何人か選ばれ、新しいアニメ曲の歌手を決めるオーディションがあり、堀江美都子さんが選ばれたのだそうです。

堀江美都子の「紅三四郎」
「紅三四郎」より。

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堀江美都子は小学6年生の時はクラブ活動のような感覚で歌手活動をしていた

ちなみに、当時、アニメの主題歌は、「作品のひとつのセレクション」という位置づけだったため、堀江美都子さんは、あくまで裏方としてのレコード歌手で、

テレビに出たり、ライブをすることはなかったことから、歌手デビューしたという実感はなく、平日は普通に学校に通い、クラブ活動のような感じで、日曜日や祝日にレコーディングに行くという生活を送っていたのだそうです。

「【画像】堀江美都子の若い頃は?現在までの経歴を時系列まとめ!」に続く

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