1975年、双子の兄・ピーコさんとコンビを組み、「おすぎとピーコ」として本格的に芸能界デビューすると、軽妙なトークがウケてたちまちブレイクするも、人気絶頂の裏で兄弟の仲は深刻な亀裂が生じ、1982年にコンビとしての活動を停止すると、その後は、本業である映画評論家としての活動に本腰を入れた、おすぎさん。

今回は、そんなおすぎさんの若い頃から現在までの活躍や経歴を時系列でまとめてみました。

おすぎ

「おすぎの生い立ちは?高卒で松下興産に就職も松下幸之助を恨んで退職していた!」からの続き

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おすぎの20代の頃

26歳の時に女優・岡田茉莉子の衣装を調達し喜ばれていた

26歳の時、「歌舞伎座テレビ室」に務めていたおすぎさんは、女優の岡田茉莉子さん主演のロシアのドラマのロケに同行していたそうですが、

ある時、岡田茉莉子さんが、撮影現場で衣装係に、

当時のロシアのマントはこんなマントじゃない!

と、言って、怒ったそうで、

おすぎさんは、アパレル会社「サンヨーレインコート」に勤務していた双子の兄のピーコさんに電話し、

こういう芝居で使うロシアのマントを、探すか作るかしてくれない?

と、依頼したそうです。

すると、ピーコさんは、すぐにロシア風のマントを制作してロケ地に送ってくれたそうで、しかも、そのマントを岡田茉莉子さんがすごく気に入ったそうで、

この一件で、おすぎさんは色んな俳優からオーダーを頼まれるようになり、

あの子、衣装まで調達できるぞ!

と、おすぎさんの人気はうなぎのぼりとなったのだそうです。

(おすぎさんは、オーダーを頼まれるたびに、ピーコさんに衣装作りを依頼していたそうです)

おすぎとピーコ
おすぎさんとピーコさん

20代の頃に映画評論家になりたいと思うようになっていた

その後、おすぎさんは、「歌舞伎座テレビ室」で勤めているうち、やがて、映画の宣伝部の人と仲良くなっていったそうで、

もともと、映画が好きだったお父さんの影響で子供の頃からたくさん映画を観ていたこともあり、次第に、テレビ室の仕事をやめて、映画評論家になりたいと思うようになっていったそうです。

そんなおすぎさんは、入場者の整理や、入口のチケットもぎり係など、試写会のお手伝いを、押しかけ女房のようにするようになると、映画の宣伝部の人ともっと仲良くなり、最後は、フリーパスでどの映画も試写会で観られるようになったそうです。

さらに、おすぎさんは、試写会を一番前の席で観ることが好きだったため、一番前の席を陣取ると、いつも、両脇にいるのが、水野晴郎さんと淀川長治さんだったそうで、何度も顔を合わすうちに、2人とすっかり仲良くなり、かわいがられるようになったのだそうです。

おすぎの30代の頃

30歳の時に双子の兄・ピーコとともに「おすぎとピーコ」としてデビュー

すると、やがて、おすぎさんは、試写会の合間のおしゃべりが破格に面白いと周囲にウケ、

映画の試写室にいつもいる面白い子

と、映画業界で有名になったそうで、

ラジオ番組にゲストで出ない?

とのお誘いがあったそうですが、

一人ではイヤだったため、双子の兄のピーコさんを誘い、1975年、30歳の時、ラジオ番組「一慶・美雄の夜は友達」にゲスト出演すると、

マシンガントークがウケて人気を博し、次の週も、その次の週も呼ばれるようになり、最終的には、4週連続出演し、そのうち、いつの間にかレギュラーになっていたのだそうです。

35歳の時に「おすぎとピーコ」でブレイクしていた

こうして、おすぎさんは、映画評論家として活動し、映画専門誌の「キネマ旬報」等に寄稿するかたわら、「おすぎとピーコ」として本格的にタレントとしても活動するようになると、

1980年、35歳の時には、ピーコさんとの軽妙な掛け合いで、一躍、ブレイクを果たします。

おすぎとピーコ
おすぎさんとピーコさん。

30代の時に人気絶頂の裏でピーコと深刻な亀裂が生じていた

以降、「おすぎとピーコ」は、引っ張りだことなるのですが、その裏で、兄弟の間では、深刻な亀裂が生じており、ケンカが絶えず、3日以上仲が良かったことはないほどに悪化していたといいます。

というのも、この頃、マシンガントークで視聴者を虜(とりこ)にしていたのは、主におすぎさんで、おすぎさん自身も「自分のほうがピーコより才能がある」と思っていたそうで、

そのような態度が透けて見えたこともあったため、ピーコさんの鬱屈(うっくつ)とした気持ちが徐々に溜まっていったのだそうです。

(ピーコさんは、「才能のないあなたがおすぎさんの足を引っ張っている」と面と向かって批判されたこともあったそうです)

ただ、「おすぎとピーコ」はある種のブームとなっており、自分たちの意志とは関係なく、どんどん仕事が舞い込んできたそうで、嫌でも一緒に仕事をしなければならない状態になっていたといいます。

(この頃は、地方の仕事も多く、そうなると、移動も泊まる部屋もずっと2人一緒で、お互い、うんざりしていたそうです)

おすぎとピーコ
共著「おすぎとピーコのこんなアタシでよかったら」出版会見時のおすぎさんとピーコさん。

37歳の時に宿泊先のホテルでピーコと取っ組み合いの大ゲンカをしていた

そして、1982年、37歳の時、おすぎさんは、永六輔さんと淡谷のり子さんとの仕事で京都と大阪に出張した際、

細かなイライラが積み重なっていたことから、宿泊先のホテルの一室で、ふとしたことがきっかけで、ピーコさんと取っ組み合いの大ゲンカを始めたそうで、

幸い、部屋におすぎさんの友人がいて、止めに入ってくれたそうですが、もし、止めてくれなければ、どちらかが死んでいたかもしれないほどの激しいケンカだったそうです。

そして、その翌日、壁を塗るようなドーランを顔に塗って傷を隠し、なんとか仕事はこなしたそうですが、その仕事が終わった後、ピーコさんと「別々の道を行こう」と決め、コンビの仕事を断るようになったのだそうです。

37歳の時に本業の映画評論家の仕事に本腰を入れるようになった

その後、おすぎさんは、本業の映画評論家の仕事に本腰を入れるようになると、一番多い時で、年間600本もの映画を観て評論を書いていたそうです。

(洋画から邦画、ロマンポルノからピンク映画までありとあらゆるジャンルの映画を観たそうです)

おすぎの40代の頃

44歳の時に兄・ピーコが左眼球摘出の手術を受けた際、ピーコの仕事を全て肩代わりしていた

そんな中、1989年、おすぎさんが44歳の時、兄のピーコさんが左眼にガンを患い、左目球摘出の手術を受けることになったそうで、

おすぎさんは、ピーコさんが予定していた仕事を全て肩代わりし、全国を飛び回ったそうで、そのおかげで、ピーコさんは仕事を減らさずに済んだそうです。

また、おすぎさんは、ピーコさんの義眼を選び、友達とお金を出し合ってプレゼントしたそうで、おすぎさんは、ピーコさんを誰よりも心配していたのでした。

ちなみに、おすぎさんは、(ピーコさんの仕事を肩代わりし、全国を飛び回っていたため)ピーコさんのお見舞いには行くことができなかったのですが、

ピーコさんの手術後、ようやく、お見舞いに訪れた時、医師からガンの転移がないと告げられると、2人は抱き合って、わんわん泣いて喜んだといいます。

(こうして、おすぎさんはピーコさんと和解したのだそうです)

おすぎの50代の頃

50代の時に人気バラエティ番組「SMAP×SMAP」で「おすぎとピーコ」として再ブレイクを果たしていた

そんなおすぎさんとピーコさんは、2002年頃、50代の時には、人気バラエティ番組「SMAP×SMAP」で、中居正広さんが、ピーコさんのモノマネ「ヒーコ」を披露した影響から、「おすぎとピーコ」のコンビとしての人気に火がついたそうで、

2人はその後も、「笑っていいとも!」などの人気番組にもレギュラー出演するなど、再ブレイクを果たしたのでした。

おすぎとピーコ
「笑っていいとも!」より。

おすぎの60代の頃

65歳の時に福岡に転居していた

おすぎさんは、60代となっても、本業の映画評論家の仕事で全国を飛び回る日々を送っていたそうですが、仕事で福岡に通い続けるうち、福岡ソフトバンクホークスとアビスパ福岡のファンになったそうで、

2010年10月(65歳)には、福岡県に転居し、福岡でのレギュラー番組をこなしながら、仕事がある時は、新幹線で東京に移動するようになったそうです。

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おすぎの70代(現在)

しかし、おすぎさんは、2021年夏頃(76歳)から、認知症の症状が現れるようになり、集中力の継続や記憶力の低下に、おすぎさん自身も不安を覚えるようになったそうで、

出演番組に迷惑をかけたくないとの思いから、レギュラー番組を降板し、福岡から生まれ育った横浜へと生活の拠点を移すと、兄・ピーコさんと50年ぶりに同居生活をスタートしたそうです。

ただ、この同居生活をきっかけに、ピーコさんとの仲が再び悪化したそうで、2022年2月には同居生活を解消し、おすぎさんは、要介護認定を受け、横浜市の高齢者施設に入居したのだそうです。

(同居生活の中で、ピーコさんにも認知症の症状が出始めたそうです)

そして、おすぎさんは、2022年12月12日には、Youtubeチャンネルを更新し、

最後の投稿です

いままでありがとうございました。

と、アップロードしたのを最後に、芸能活動もストップしています。

ちなみに、2023年には、高齢者施設の中で、テレビを見ながら腕や指を動かすレクリエーションを終え、おやつのお菓子をほおばり、幸せそうに微笑む姿が、「女性セブン」の記者に目撃されており、現在、おすぎさんは、穏やかで健康的な生活を送っているようです。

お読みいただきありがとうございました

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