バラエティ番組での歯に衣着せぬ発言が人気を博し、タレントとしても活躍している、バイオリニストの、高嶋ちさ子(たかしま ちさこ)さん。

そんな高嶋ちさ子さんは、ピアニストだったお母さんの影響で、4歳の時、ピアノを始めたそうですが、「才能がない」と辞めさせられていたといいます。また、5歳の時には、ヴァイオリンをしたいとせがむも、却下されていたといいます。

それでも、小学1年生(6歳)の時にはバイオリンを習い始めることができたそうですが、そこから、お母さんの厳しい指導が始まったといいます。

今回は、高嶋ちさ子さんの、生い立ち(幼少期から大学院卒業まで)をご紹介します。

高嶋ちさ子

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高嶋ちさ子のプロフィール

高嶋ちさ子さんは、1968年8月24日生まれ、
東京都渋谷区の出身、

身長158センチ、

血液型はA型、

学歴は、
青山学院初等部
⇒青山学院中等部
⇒桐朋女子高校音楽科
⇒桐朋学園大学音楽学部卒業
⇒イェール大学音楽学部大学院修士課程アーティスト・ディプロマコース修了

趣味は、ドライブ、ゴルフ、 読書、

ちなみに、本名は「髙嶋知佐子(読み方同じ)」で、結婚後は、盛田知佐子(もりた ちさこ)です。

また、俳優の高島忠夫さんは伯父(父親の兄)、髙嶋政宏さんと髙嶋政伸さんは従兄弟です。

高嶋ちさ子は4歳でピアノを始めるも母親に「才能がない」と言って辞めさせられていた

高嶋ちさ子さんは、東芝EMIの元ディレクターだったお父さんとピアニストのお母さんのもと、3人きょうだい(姉1人兄1人)の末っ子として誕生すると、お母さんの影響で4歳からピアノを始めたそうですが、

お母さんから、

あなたは才能がない

と言われ、2ヵ月で辞めさせられたそうです。

(お父さんは、無名だったビートルズを日本で売り出した人物だそうです)

高嶋ちさ子は5歳の時にバイオリンをやりたいと母親にせがむも却下されていた

そんな高嶋ちさ子さんは、5歳の時、幼稚園で、女の子がバイオリンを弾いている姿を見て憧れ、お母さんに、

(バイオリンを)やりたい

と、せがんだそうですが、

お母さんには、

ピアノもできない子は無理だ

と、あっさり却下されてしまったそうです。

高嶋ちさ子は小学1年生の時に念願のバイオリンを習い始めるも全てのレッスンに母親が立ち会い厳しく指導されていた

それでも、高嶋ちさ子さんはあきらめられず、1年かけてお母さんを説得すると、小学1年生になった時にようやく、許してもらったそうですが・・・

お母さんは、全てのレッスンに立ち会い、先生から教わったことや、高嶋ちさ子さんができなかった箇所を、細々とメモを取って、帰り道で、

何であそこで間違えたの!バカじゃないの!

などと、言ったそうで、

楽しくなるはずだったバイオリンのレッスンは、地獄になってしまったのだそうです。

高嶋ちさ子はダウン症の姉・みっちゃんの為にヴァイオリニストを目指していた

それでも、高嶋ちさ子さんが我慢してバイオリンを続けていると、小学5年生の時には、お母さんがへそくりで、180万円もするバイオリンをプレゼントしてくれたのだそうです。

実は、お母さんが高嶋ちさ子さんを厳しく指導し、バイオリンで身を立てさせようと期待をかけつづけたのは、高嶋ちさ子さんには、ダウン症の姉・みっちゃん(未知子さん)がいたからだったといいます。

高嶋ちさ子

そんな中、高嶋ちさ子さんは、お母さんに、物心がついた頃から、高嶋ちさ子さんとお兄さんを産んだのは、お母さんとお父さんが亡くなった後に、姉の面倒を見る人が必要だからだと言われていたそうで、

お母さんから、

みっちゃん(姉)がいなかったら産んでないから

みっちゃんは、太郎(兄)とあなたがちゃんと面倒を見なきゃいけないんだから、ちゃんと自立して、自活していけるようにしておかないといけない。将来何になるか、ちゃんと稼げるようにしておきなさい

お嫁に行った後も、みっちゃんと一緒にお嫁に行くことになるんだから、肩身が狭くならないように、お金さえ稼げれば肩見狭くならないから

などと、言われていたそうですが、

お母さんは言いにくいことをハッキリと言っているだけで、自分に対するお母さんの愛はしっかりと感じていたのだそうです。

(そんなお母さんの影響か、高嶋ちさ子さんが小学生の頃は、ガキ大将だったそうで、イジメに近いいたずらが好きだったことから、「悪魔」と呼ばれていたそうです)

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高嶋ちさ子は中学卒業後は音楽の名門・桐朋学園(高校・大学)を経てイェール大学音楽学部大学院に留学していた

その後、高嶋ちさ子さんは、中学卒業後は、音楽の名門・桐朋学園(高校、大学)に進学すると、卒業後には、世界的な名門である、アメリカのイェール大学音楽学部大学院に留学し、大学院卒業後は、マイアミのオーケストラに入団したそうです。

ちなみに、高嶋ちさ子さんは、留学時代、あまりにも英語ができなかったため、環境に馴染むことができなかったそうですが、

(高嶋ちさ子さんは、この留学中も、「Devil(デビル)」と呼ばれていたそうです)

お母さんが毎日手紙を書いて送ってくれたそうで(高嶋ちさ子さんを笑わせようとするような面白い手紙だったそうです)、それが、心の支えになったのだそうです。

高嶋ちさ子

「【画像】高嶋ちさ子の若い頃はアイドル?現在までの経歴を時系列まとめ!」に続く

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