裕福な家庭のもと、両親の影響を受け、幼い頃から芸術に恵まれた環境で育った、佐野史郎(さの しろう)さんですが、その一方で、長男として、家業の医院を継がならなければならない、というプレッシャーを常に感じていたといいます。

「佐野史郎の生い立ちは?幼少期は裕福な家庭で幸福に育っていた!」からの続き

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中学・高校時代は音楽に夢中になる

裕福な家庭で自由にのびのびと育った佐野さんは、中学1年生の時には、ラジオ番組「オールナイトニッポン」が始まり、夢中になって聴いていたそうですが、

(佐野さんが住む山陰地方でも、夜11時くらいになると、東京や大阪の放送が電離層を伝って聴くことができたのだそうです)

中学を卒業する頃には、ギターを買ってもらい、同級生にコードを教えてもらって自分でも弾くようになったそうで、高校に入ると、バンドを組んで活動するなど、ますます音楽に夢中になっていったそうです。

「ロイヤル・シェイクスピア・カンパニー」の「真夏の夜の夢」を観て感銘を受ける

また、佐野さんは、同じ頃、テレビで、「ロイヤル・シェイクスピア・カンパニー」(英国を拠点とする歴史の古い劇団)の来日公演「真夏の夜の夢」の劇場中継を観たそうですが、

その中継では、セットも何もなく、衣装もシンプルでありながら、豊かな舞台を作り出していたことから、

やっぱりシェイクスピアっておもしろい

と、感銘を受けたそうで、

佐野さんは、当時を振り返り、

とにかく表現の世界が好きだった。文学にしても、現代詩もすごく力があったし、映画も音楽もテレビも、何もかもにエネルギーがあった。

と、語っておられます。

少年時代は家業である医師になるのが嫌だった

こうして、幼少期から、音楽、写真、絵画、お芝居、文学と、芸術に恵まれた環境の中で、何不自由なく育った佐野さんですが、そんな生活を与えてくれる佐野さんのお父さんはというと、

朝8時半から午前中いっぱい診察されると、午後には往診に出かけ、往診から戻ってくると、再び午後3時から夕方まで診察され、その後は、連絡があると、夜中であろうと往診に出かけていったそうで、

(当時は医院が少なく、交通の便が悪かったことから、患者にとって往診は欠かせないものだったそうです)

佐野さんは、そんな休む暇もなく、忙しく働くお父さんを見て、自分が同じことをやるのは嫌だなぁと思っていたのだそうです。

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成績が良くなく家業(医師)を継ぐことから免れる

それでも、長男である佐野さんには、小学生の頃から、実家(医院)の跡を継がなければならない、というプレッシャーがずっとあったそうですが、

佐野さんが松江南高校の2年生になる時、理系と文系、国立と私立のクラス分けテスト、つまり、成績順に順番がつけられる能力別編成のテストで、理系科目が苦手だった佐野さんは、私立文系クラスにしか入ることができなかったことから、

両親は、佐野さんを医者にすることを諦めざるを得なかったそうで、当の佐野さんは、内心、ホッとしたのだそうです(笑)

ちなみに、その後、弟さんが医師になり、実家を継いでくれたそうで、

佐野さんは、

親父の兄弟、5人が集まって親族会議がありましたよ。もう(自分に対する)査問委員会。でも勉強ができないのだから、どうしようもない(苦笑)

幸い弟はぼくと全く違って、良く勉強ができた。兄貴がこんな感じだから、(医者になることを)押しつけてしまったようで申し訳ないとは思ってます。だから、未だに頭が上がらないです(笑)

と、語っておられます。

「佐野史郎は若い頃「シェイクスピア・シアター」の旗揚げに参加していた!」に続く

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