1987年、映画「トットチャンネル」で俳優デビューすると、同年、各新人賞を総ナメにして一躍注目を浴び、以降、「間宮兄弟」「信長協奏曲」「金メダル男」など、話題作に次々と出演するほか、「王様と私」「エリザベート」「黒蜥蜴」など、ミュージカルにも出演している、髙嶋政宏(たかしま まさひろ)さん。
そんな髙嶋政宏さんは、幼い頃から、父・高島忠夫さんの出演番組の撮影に同行し、打ち上げではいつもおいしいものをたくさん食べさせてもらっていた影響から、小学生・中学生時代は肥満児だったそうで、イジメられたりもしていたそうですが、高校2年生の時には、モテたい一心でダイエットを敢行し、成功していたといいます。
また、高校時代には、将来は国際弁護士になろうと考え、大学の法学部に進学するも、お父さんに勧められて、相米慎二監督の映画のオーディションを受けると、落選してしまい、これがきっかけで、俳優の道を目指すことになったといいます。
今回は、高嶋政宏さんの、生い立ち(幼少期)から大学生時代までをご紹介します。
髙嶋政宏のプロフィール
髙嶋政宏さんは、1965年10月29日生まれ、
東京都世田谷区の出身、
身長183センチ、
体重78キロ、
血液型はB型、
学歴は、
成城学園中学校高等学校
⇒成城大学法学部卒業
趣味は、ギター、ベース、
ちなみに、「髙嶋政宏」は本名で、
お父さんは、俳優の高島忠夫さん、
お母さんは、女優の寿美花代さん、
弟は、俳優の髙嶋政伸さん、
また、ヴァイオリニストでタレントの高嶋ちさ子さんは従姉妹で、
芸能一族です。
髙嶋政宏の兄は家政婦に殺害されていた
高嶋政宏さんは、弟に高嶋政伸さんがいることは有名ですが、実は、お兄さんも一人いたといいます。
なので、髙嶋政宏さんは、髙嶋家の長男ではなく、次男になります。
想像を絶するほど痛ましい話ですが、このお兄さんは、髙嶋政宏さんが生まれる前の1964年8月、生後5ヶ月の時に、当時、高嶋家のお手伝いとして働いていた少女に殺害されてしまったというのです。
しかも、こんな心をずたずたにされるような経験の後には、嫌がらせの電話があったり、この犯人が出所後、平和に暮らしているという噂を耳にしたりと、高嶋家の人々を苦しめることが次々と起こったそうで、
高嶋家はスピリチュアルの世界にはまり、家族の絆をどんどん強めていったそうで、誰にも理解されない辛い経験は、同じ経験をした家族にしか分からず、スピリチュアルに救いを求めたのかもしれません。
(もともと、霊感の強かった髙嶋政宏さんは、時々、お兄さんの魂と会話しているそうです)
高嶋政宏は幼い頃は父と母の目の届く範囲で育てられていた
さておき、髙嶋政宏さんは、お父さんで俳優の高島忠夫さんとお母さんで女優の寿美花代さんのもと、次男(兄1人弟1人)として誕生すると、髙嶋政宏さんが生まれる前に、お兄さんが殺害されるという痛ましい事件があったことから、幼い頃から、お父さんとお母さんの目の届く範囲で育てられたそうで、
髙嶋政宏さんは、
ロケがある時は必ずに一緒に付いて行ってました。家族でとにかく一緒にいるというのを、父親が望んでいた
と、語っています。
また、髙嶋政宏さんが、スキューバダイビングをやりたいと言った時には、お父さんの高島忠夫さんに、泣いて止められるほか、飛行機に乗ることや海外旅行も禁止されていたといいます。
ちなみに、高嶋政宏さんは、その時は、なぜなのか、理由が分からなかったそうですが、高校生の時に、お兄さんのことを初めて、きちんとお父さんから説明されて、その事件のことを知り、両親の気持ちを理解することができたのだそうです。
髙嶋政宏は小学生の時にロックに目覚めていた
そんな髙嶋政宏さんは、小学生の時、宇崎竜童さん率いる「ダウン・タウン・ブギウギ・バンド」を見たのがきっかけで、ロックに夢中になると、
小学6年生の時には、友人のお兄さんからキング・クリムゾンのアルバム「クリムゾン・キングの宮殿」「レッド」を勧められて、たちまちプログレッシブ・ロックに目覚めたそうで、高校時代にはバンドを結成し、下北沢や六本木のライブハウスにも出演していたそうです。
ちなみに、髙嶋政宏さんは、キング・クリムゾンの名曲「スターレス」を愛するあまり、自身でもカバーし、しかも、「スターレス髙嶋」と名乗っているのですが、
髙嶋政宏さんは、そのことについて、音楽ラジオ番組「今日は一日“プログレ三昧”3」に出演した際、
(キング・クリムゾンに)最初に出会ったアルバムが、最後のアルバムで、更に『スターレス』をカヴァーする機会に恵まれた。「もう『スターレス』は、オレの名前なんだ!」と。それで、「スターレス髙嶋」と名乗るようになったんですよ。
と、熱く語っています。
(また、髙嶋政宏さんは、奇抜な風貌でお馴染みのロックバンド「KISS」の大ファンでもあり、「KISS」のアイテムを300点以上持っているほか、メイクのマネをしたりと、かなり気合いが入っています)
「KISS」に扮する髙嶋政宏さん。
高嶋政宏は小学生~中学生時代は肥満児だった
また、髙嶋政宏さんは、小学生~中学生時代は、父・高島忠夫さんの出演番組の撮影に、弟の髙嶋政伸さんと同行し、いつも、打ち上げでは、おいしいものをたくさん食べさせてもらっていたそうですが、
とにかく、お父さんから、たくさん食べるように言われていたことから、かなりの肥満児だったそうで、その見た目から、イジメにも遭ったそうです。
(お父さんは、戦争で食糧難を経験していたため、終戦から長い年月が経っても、出された食べ物は全部食べるという習慣が抜けきらなかったのだそうです)
髙嶋政宏は高校2年生の夏にダイエットを成功させていた
そこで、高嶋政宏さんは、モテたい一心で、高校2年生の夏、ダイエットを決心すると、サウナスーツを着て走り、夜は野菜だけを食べ続け、見事、ダイエットに成功したそうで、
弟の髙嶋政伸さんは、そんな髙嶋政宏さんのことを、
勉強もできるし、スポーツも万能、モデルをするほどルックスもよく、女性にもモテる
と、憧れの存在だったことを明かしています。
髙嶋政宏は高校卒業後は大学の法学部に進学し国際弁護士になろうと思っていた
そんな高嶋政宏さんは、将来は国際弁護士になって、プールつきの豪邸に住んでやろうと、漠然と思っていたそうで、高校卒業後は、大学に進学し、法学部に入ったそうです。
ただ、大学生活も半ばを過ぎた頃には、好きな音楽の道に進みたいとも思うようになったそうで、進路が定まらない時期を過ごしていたそうです。
そんな中、お父さんの高島忠夫さんから勧められ、相米慎二監督の映画のオーディションを受けたそうですが、落選してしまったそうで、この時から本格的に俳優の道を考え始めるようになったのだそうです。
「【画像】髙嶋政宏の若い頃がイケメン!デビューから現在までの経歴を時系列まとめ!」に続く
1987年、映画「トットチャンネル」で俳優デビューすると、以降、着実に俳優としてのキャリアを重ね、映画「ゴジラシリーズ」、テレビドラマ「北アルプス山岳救助隊・紫門一鬼シリーズ」、NHK大河ドラマ「利家とまつ~加賀百万石物 …