派手なヘアカラーにタイツ姿の直木賞作家として一世を風靡すると、1990年代には、バラエティ番組でタレントとしても活躍し、人気を博した、志茂田景樹(しもだ かげき)さん。

今回は、そんな志茂田景樹さんの若い頃から現在までの活躍や経歴を時系列でまとめてみました。

志茂田景樹

「志茂田景樹の生い立ちは?幼少期から読書好き!高校大学は映画漬けだった!」からの続き

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志茂田景樹は36歳の時に「やっとこ探偵」で小説現代新人賞を受賞しプロ作家デビュー

20種類以上の職を転々とする中、29歳の頃、虫垂炎になって入院中、書いた小説が、いきなり、新人賞の2次審査を通過したことから、作家を目指して、出版業界に転職したという、志茂田景樹さんは、

フリーライターとして、「女性自身」の記者をしたり、「週間TVガイド」のアンカーライターをしたり、人気アイドルの記事を担当するかたわら、作品を応募し続け、3~4年目くらいからは毎回のように受賞候補にあがるようになったそうですが、受賞には至らなかったそうです。

そんな中、メディア業界の知人から、

君は人間が書けていない

短編を書くならストーリーの面白さよりも登場人物を重視するといい

と、アドバイスを受けたそうで、

これを参考に、心機一転、物語というのはひとまず置いておいて、登場人物ひとりひとりの個性を書き分け、「やっとこ探偵」を書き上げると、

1976年には、ついに、「小説現代新人賞」を受賞し、プロ作家デビューを果たしたそうです。

「やっとこ探偵」
「やっとこ探偵」

(3年で賞を取るつもりが結果的に7年もかかってしまったうえ、フリーライターでの収入が良かったこともあり、作家への道をあきらめようかと思ったこともあったそうですが、奥さんの後押しもあり、続けることができたのだそうです)

志茂田景樹は40歳の時に「黄色い牙」で直木賞を受賞

すると、その後は順風満帆で、デビューしてから1年後の1977年には、ライターを辞めて作家専業になることができたそうで、1980年、40歳の時には、秋田のマタギの生活を描いた「黄色い牙」で直木賞を受賞。

「黄色い牙」
黄色い牙

ちなみに、志茂田景樹さんは、

保険の調査員時代の経験をベースにした『黄色い牙』で直木賞を受賞しました。仕事でたまたま訪れた秋田の集落が、マタギ集落だった。

そこの崖から人が落ちて死に、遺族を調べるために行ったのですが、なにやっているのですかと尋ねると「マタギだ」と。話を聞いているうちに面白くなって、日に3本しかないバスの最終便が来るまで話を聞いていました。後年、その話が『黄色い牙』のモチーフになったわけです。

と、語っています。

志茂田景樹は50代の時にバラエティ番組でブレイクすると以降「よい子に読み聞かせ隊」

50歳の時にバラエティ番組でブレイク

その後、志茂田景樹さんは、1980年代後半からは、小説を執筆するかたわら、朝のワイドショーにちょこちょこと出演し始めたそうですが、

週刊文春がカラフルなタイツ姿の志茂田景樹さんを半年間密着取材し、グラビアのページにしたことがきっかけで、テレビ業界から声がかかるようになったそうで、

1990年、50歳頃からバラエティー番組にも出演するようになると、たちまちブレイクを果たします。

(1992年~1994年には、「森田一義アワー 笑っていいとも!」にもレギュラー出演しています)

志茂田景樹
バラエティに出演していた頃の志茂田景樹さん。

ちなみに、メディアへの露出が増えると、大手事務所から声がかかることもあったそうですが、使われることが嫌で全部断ったそうです。

(事務所に入ってしまうと、スケジュールがすべて把握され、何も言わないでいると、勝手に埋められてしまうことが嫌だったそうです)

59歳の時に「よい子に読み聞かせ隊」を結成

また、志茂田景樹さんは、1999年8月、59歳の時には、絵本を通して子どもに命の大切さを伝えたいという想いから、奥さんと「よい子に読み聞かせ隊」を結成すると、

以降、タレント活動、小説執筆をセーブして、自ら全国各地を飛び回り、読み聞かせの活動を行っているそうです。

(童話や絵本の執筆を手掛けるほか、不登校の子どもたちの支援や心療内科を考える会など、社会的活動にも熱心に取り組んでいるそうです)

「よい子に読み聞かせ隊」
「よい子に読み聞かせ隊」で活動する志茂田景樹さん。

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志茂田景樹の70代~80代(現在)は闘病しつつ作家活動と人生相談

しかし、2017年春(77歳)には、膠原(こうげん)病、2018年(78歳)には、関節リウマチと診断されたそうで、右膝痛や右手首の腱鞘(けんしょう)炎のような痛みなどと闘いながら執筆活動を続けていると、2019年、79歳の時には、転倒し、腰を圧迫骨折してしまったそうで、

志茂田景樹さんは、2019年5月20日、「X」(旧ツイッター)で、

膠原病の養生も兼ねて南会津へ1週間の保養にきましたが、着いた途端、自分の不注意で転倒。打ち身と思い3日ほど様子を見ましたが痛みが消えず会津若松市内の病院で検査したところ圧迫骨折と判明しました

と、明かしています。

その後、志茂田景樹さんは、歩行が難しくなり、車椅子生活となってしまったそうですが、作家活動を続けるほか、「X」での人生相談も行っており、その、叱らず、責めず、真摯(しんし)で心温まる回答は、若い世代を中心に絶大な人気を集め、2024年時点(84歳)で、44万人以上のフォロワーがおり、

志茂田景樹さんは、

いろいろな人の相談に応じているうちにそのくらいに。中学生の友人関係の悩み、高校生の恋愛の悩み、主婦の子育ての悩み、不倫の悩み、いろいろな相談がありますよ。

おそらく私の自由な感じに憧れていたり、親身なコメントが心地よかったりするのかな。

と、語っています。

ちなみに、志茂田景樹さんは、毎日午前9時に起床し、スマートフォンでメールをチェックすると、その後、「X」をアップし、机に向かって原稿を書くそうですが、パソコンは1日6時間と決め、仕事の間に「X」でつぶやいているそうで、

体の自由がきかなくなった今も、

僕は何でも受け入れる主義。以前の生活に執着せずに、新しい世界を楽しんでいます。2カ月に1回の美容院は欠かしませんしね

と、前向きに語っています。

志茂田景樹

「志茂田景樹の妻との馴れ初めは?不倫で10年以上別居していた!」に続く

お読みいただきありがとうございました

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