父親が二枚目俳優の岡田時彦さん、母親が宝塚歌劇団で男役だった田鶴園子さんという、超有名人の両親のもとに誕生した、岡田茉莉子(おかだ まりこ)さんですが、
1歳の時に父親の岡田時彦さんが他界したことで、母親の田鶴園子さんが上海に出稼ぎに行くことになり、幼少期は、大阪、上海、新潟など、住まいを転々として過ごしたといいます。
そんな中、15歳の時、友人と映画館でサイレント映画「瀧の白糸」を観ると、この映画で主演を務めていたのが自身の父親であることを、この時、初めて知ったそうで、
叔父の勧めもあり、18歳の時、女優を目指し、「第3期 東宝ニューフェイス」のオーディションを受けると、見事、合格し、東宝演技研究所に入所したといいます。
今回は、そんな岡田茉莉子さんの、生い立ち(幼少期から東宝演技研究所入所まで)をご紹介します。
「岡田茉莉子の父親は2枚目俳優の岡田時彦!母親は元宝塚歌劇の田鶴園子!」からの続き
岡田茉莉子が幼少期(5歳から13歳)の時は東京⇒大阪⇒上海⇒新潟と住まいを転々としていた
1歳の時にお父さんを亡くした岡田茉莉子さんは、1938年、5歳の時には、お母さんの田鶴園子さんがダンス教師の資格を取って、上海に出稼ぎに行くことになったそうで、東京にいた叔母(お母さんの妹)の田中美得子さんのもとへ預けられたそうですが、
1940年、7歳の時には、美得子さんがプロデューサーの山本紫朗さんと結婚したことから、それに伴い、大阪市宗右衛門町にあるお母さんの実家(藍問屋)に転居したそうです。
(美得子さんも、かつては「宝塚歌劇団」で「御幸市子」の芸名で活躍していたそうです(1936年退団))
ただ、1942年、9歳の時には、実家で一緒に住んでいたおじいさんが亡くなったことから、お母さんのいる上海に渡り、お母さんと一緒に暮らし始めたそうです。
しかし、今度は外国生活になじめず(戦争が激化したとも)、1944年、11歳の時には、単身で帰国し、再び、美得子さん夫婦のもとで暮らし始めたそうです。
そして、1945年、12歳の時には、美得子さんの夫の山本紫朗さんが新潟市に転勤となり、ともに新潟へ転居したそうです。
そんな中、終戦後の同年10月には、お母さんが上海から帰国し、お母さんも美得子さん夫婦と同居したそうですが、1946年、13歳の時には、美得子さん夫婦が東京に移ることとなったそうで、
これをきっかけに、岡田茉莉子さんは、お母さんと二人で新潟市に落ち着いたのだそうです。
(この頃の岡田茉莉子さんは、内向的で、人が怖かったそうです)
岡田茉莉子は15歳の時に偶然観た映画「瀧の白糸」の主演俳優が自身の父親であることを母親に初めて聞かされていた
その後、岡田茉莉子さんは、1948年、15歳の時、新潟市にある沼垂高校へ進学すると、東京から赴任してきた先生に憧れ、できたばかりの演劇部に入部したそうですが、
そんなある時、演劇部の友人と、サイレント映画「瀧の白糸」(1933年版)を映画館へ観に行ったところ、観終わった後、なぜか不思議な余韻(よいん)が残ったそうで、帰宅後、お母さんにその映画の話をすると、なぜかお母さんは泣き出してしまったといいます。
「瀧の白糸」より。入江たか子さんと岡田時彦さん。
そして、お母さんは、
その映画の主演俳優、岡田時彦はあなたの父親なのよ
と、言ったそうで、
この時、初めて、岡田茉莉子さんその事実を知ったのだそうです。
(お父さんが亡くなった時、岡田茉莉子さんはまだ1歳だったため、お父さんのことをまったく覚えていないそうです)
そして、翌日、改めて自分のお父さんを観るため、一人で映画館へ行ったのだそうです。
岡田茉莉子は18歳の時に「第3期 東宝ニューフェイス」に合格し「東宝演技研究所」に入所していた
そんな岡田茉莉子さんは、高校卒業後、お母さんとともに上京し、再び、叔母(お母さんの妹)の美得子さん夫婦宅に同居したそうですが、
美得子さんの夫の山本紫朗さんの勧めもあり、1951年、18歳の時、「第3期 東宝ニューフェイス」のオーディションを受けると、見事、合格したそうです。
すると、その後、ある日のこと、お母さんと叔母さん夫婦から、改まった感じで「話がある」と言われたそうで、正座をして話を聞くと、
東宝の演技研究所で勉強をしないか
と、言われたのだそうです。
これに対し、岡田茉莉子さんは、間髪入れず、
私には向いていません
と、答えたそうですが・・・
結局、流されるように「東宝演技研究所」に入所することになったそうで、
岡田茉莉子さんは、
お膳立てはされていたようです。父がサイレント時代に亡くなっていますから、トーキー時代にも俳優であってほしいという母の願いが私に託されたのでしょう
と、語っています。
「【画像】岡田茉莉子の若い頃が美しい!デビューから現在までの経歴を時系列まとめ!」に続く
1951年、18歳の時、「第3期 東宝ニューフェイス」のオーディションを受けると、見事、合格し、その20日後には、映画「舞姫」で準主役に抜擢され女優デビューすると、以降、数々のメロドラマでヒロインを演じ、9年間で80本を …