1951年、18歳の時、「第3期 東宝ニューフェイス」のオーディションを受けると、見事、合格し、その20日後には、映画「舞姫」で準主役に抜擢され女優デビューすると、以降、数々のメロドラマでヒロインを演じ、9年間で80本を超える映画に出演した、岡田茉莉子(おかだ まりこ)さん。

今回は、そんな岡田茉莉子さんの若い頃から現在までの活躍や経歴をデビューから時系列でまとめてみました。

岡田茉莉子

Sponsored Link

岡田茉莉子が10代の時は映画「舞姫」の準主役で女優デビューし思春期女優として活躍

18歳の時に映画「舞姫」の準主役で女優デビュー

1951年、18歳の時、「第3期 東宝ニューフェイス」に合格し、「東宝演技研究所」に入所した岡田茉莉子さんは、それから、たった20日後には、映画「舞姫」でヒロインの娘役(準主役)に抜擢され、女優デビューを果たすと、

あどけない少女ながら、スクリーンに映えるその存在感は、すぐさまファンを虜にし、たちまち人気を博します。

ちなみに、岡田茉莉子さんは、

私は撮影所に行くのが憂鬱で、この1本に出たらもうここに来なくてすむと、毎日自分に言い聞かせていました。

ところが撮影が終わる頃には、次の作品が決まっており――そこで、覚悟を決めたのです。これからは人見知りで内気な田中鞠子(本名)を封印し、意志の力で《女優・岡田茉莉子》を演じよう、と。

と、語っています。

「舞姫」
「舞姫」より。左が岡田茉莉子さん。

19歳の時には「青春会議」「思春期」「ああ青春に涙あり」などに出演し思春期女優として活躍

そんな岡田茉莉子さんは、1951年11月には、「東宝演技研究所」を卒業し、「東宝」の専属女優となると、

1952年、19歳の時には、

  • 「青春会議」
    青春会議」
    「青春会議」より。山村聡さんと岡田茉莉子さん。
  • 「おかる勘平」
  • 「金の卵」
  • 「思春期」
  • 「結婚案内」
  • 「足にさわった女」
  • 「春の囁き」
    「春の囁き」
    「春の囁き」より。
  • 「七色の街」
  • 「ああ青春に涙あり」
    「ああ青春に涙あり」
    「ああ青春に涙あり」より。(左から)岡田茉莉子さん、山本廉さん、久慈あさみさん。

などの映画に出演し、思春期女優として活躍します。

岡田茉莉子が20代の時は「東宝」「松竹」の看板女優として活躍するほかプロデュース作品「秋津温泉」が大ヒット

20歳の時は「東宝」の看板女優として活躍

そして、岡田茉莉子さんは、1953年、20歳の時にも、

  • 「吹けよ春風」
  • 「夫婦」
  • 「江戸っ子判官」
  • 「夜の終り」
  • 「白魚」

と、立て続けに映画に出演すると、東宝の看板女優として活躍したのでした。

「夜の終り」
「夜の終り」より。(左から)志村喬さん、池部良さん、岡田茉莉子さん。

20歳の時に「坊っちゃん」でマドンナ的な役

また、岡田茉莉子さんは、1953年、20歳の時には、「坊っちゃん」で、池部良さんを相手役に、マドンナ的な役を演じて大人の女優へと脱皮を図っているのですが・・・

「坊っちゃん」
「坊っちゃん」より。池部良さんと岡田茉莉子さん。

岡田茉莉子さんは、この頃、女優を「やめたい」と思い、お母さんに泣きついたことがあったといいます。

ただ、お母さんに励まされると、もともと、岡田茉莉子さんには、

(ずっと居候住まいだったことから)お母さんを表札のある家に住まわせたい

という目標があったことから、この思いが原動力になり、

10年はがんばってみよう

と、思うようになったのだそうです。

(23歳の時に目標を叶え、誰からもお金を借りずに目黒区八雲に和風建築の一軒家を購入したそうで、「田中(本名)」「岡田」と表札を並べて門に掲げたそうです)

24歳の時に「芸者小夏」で初の単独主演

そんな岡田茉莉子さんは、1954年、21歳の時には、映画「芸者小夏」で、初の単独主演に抜擢されると、池部良さんを相手役に、(純情を捧げた)初恋の小学校教師に裏切られた女の哀しさを、清楚な中にもエロティシズムを垣間見せる演技を披露し、女優として大きく飛躍したのでした。

「芸者小夏」
「芸者小夏」より。

22歳の時に奔放で気の強い女性の役ばかり与えらえることに嫌気が差していた

以降、岡田茉莉子さんは、父親譲りの美貌と演技力で、東宝映画のスター女優として順調に活動を続けていたのですが・・・

1954年「宮本武蔵」では、ヒロイン(宮本武蔵の相手役)は八千草薫さん、

「宮本武蔵」
「宮本武蔵」より。(左から)岡田茉莉子さん、三船敏郎さん、八千草薫さん。

1955年「浮雲」でも、主演は高峰秀子さんと、

「浮雲」
「浮雲」より。(左から)岡田茉莉子さん、加東大介さん、高峰秀子さん、森雅之さん。

岡田茉莉子さんは、いずれもメインキャストとはいえ、主人公でもヒロインでもなくなってしまいます。

また、1954年に主演した「芸者小夏」が大成功を収めていたことから、来るオファーは、芸者、水商売の女性、アプレゲール(戦後現れた退廃的な女性)など、奔放で気の強い女性の役ばかりになったそうで、

岡田茉莉子さんは、

同じような役ばかりやっていては、イメージが固まってしまう。もっと幅広く人間を演じたい。

と、不満を募らせて、一人で東宝撮影所の所長に会いに行き、

これからは私をどんなふうに使っていただけるんですか?

私は自分のイメージをガラッと覆す作品に出演したい

と、(岡田茉莉子さんいわく生意気な口をたたいて)直談判したのだそうです。

(1955年1月に契約が切れたことをきっかけに、退社をほのめかし、「東宝」に強く引き止められたという話も)

24歳の時に「東宝」を退社

その後、岡田茉莉子さんは、1955年(22歳)、1956年(23歳)、

  • 「男ありて」
    「男ありて」
    「男ありて」より。(左から)志村喬さん、夏川静江さん、岡田茉莉子さん。
  • 「渡り鳥いつ帰る」
  • 「ひとり寝る夜の小夏」
    「ひとり寝る夜の小夏」
    「ひとり寝る夜の小夏」より。志村喬さんと岡田茉莉子さん。
  • 「旅路」
    「旅路」
    「旅路」より。池部良さんと岡田茉莉子さん。
  • 「あすなろ物語」

    「あすなろ物語」より。岡田さんと山内賢さん。
  • 「一乗寺の決闘」
  • 「決闘巌流島」
    「決闘巌流島」
    「決闘巌流島」より。鶴田浩二さんと岡田茉莉子さん。

と、立て続けに「東宝」作品に出演するのですが、やはり、どれも、岡田茉莉子さんの気に入らない役ばかりだったそうで、

1956年11月に「東宝」と契約が切れると、ついに岡田茉莉子さんは、今度は、再契約を保留にしたまま、1957年、初めての他社作品である、「松竹京都」の「顔」(松本清張原作の推理サスペンス)に出演(主演)し、人気絶頂だった同年3月、24歳の時、「東宝」を退社したのでした。

「顔」
「顔」より。大木実さんと岡田茉莉子さん。

24歳の時に「松竹」に移籍し有馬稲子と共に看板女優として活躍

こうして、人気絶頂だった1957年3月、「東宝」を離れてフリーになった岡田茉莉子さんは、

以降、

  • 1957年(24歳)「集金旅行」
  • 1958年(25歳)「日日の背信」
  • 1958年(25歳)「花のうず潮」
  • 1958年(25歳)「モダン道中・その恋待ったなし」

など、「松竹」の映画で佐田啓二さんとの共演が続くのですが、

岡田茉莉子さんは、すっかり撮影所の家庭的な雰囲気が気に入り、1957年9月、24歳の時には、「松竹」と専属契約を締結。

以降、「松竹」の数々のメロドラマで主演を務め、先に「東宝」から移籍していた有馬稲子さんとともに、「松竹」の看板スターとして活躍したのでした。

「モダン道中・その恋待ったなし」
「モダン道中・その恋待ったなし」より。岡田茉莉子さんと佐田啓二さん。

29歳の時に主演・プロデュース作品「秋津温泉」が大ヒット

そして、1962年、29歳の時には、「松竹」から、デビュー100本記念作品として、自分の企画で主演する作品を作るよう勧められたそうで、

岡田茉莉子さんは、女優になって間もない頃に読み、いつか映画化したいと思っていた、藤原審爾さんの小説「秋津温泉」をその作品に決めると、映画監督には、吉田喜重(よしだ よししげ)さんを起用したのだそうです。

実は、岡田茉莉子さんは、その2年前に、吉田喜重さんのデビュー作「ろくでなし」の出演依頼を受け、シナリオを読んだ際、

私の知らない映画がある。すごい新人が出た。

と、驚き、そのシナリオに魅せられて出演を快諾したそうですが、

どうしてもスケジュールが合わず、最終的には断念しており、その後、出来上がった映画を観ると、やはり、当時の日本映画とは異なる斬新な表現に、吉田喜重さんの才能を確信し、

いつか彼の作品に出演したい

と、思い続けていたのだそうです。

すると、実際、映画「秋津温泉」は、公開されると大ヒットを記録し、岡田茉莉子さんも、この作品で、「第17回毎日映画コンクール女優主演賞」を受賞したのでした。

(ちなみに、「秋津温泉」は、戦後、時代から取り残された秋津荘を舞台に、生きる希望を失い、死に場所を求めてふらりと秋津温泉に来た男と、一途なまでに男を思い続け、裏切られる女を描いた作品)

「秋津温泉」
「秋津温泉」より。岡田茉莉子さんと長門裕之さん。

29歳で引退を考えるも吉田喜重監督に引き止められ一瞬で翻意していた

そんな岡田茉莉子さんは、この映画の達成感から、この映画で女優を引退しようと考えていたそうですが・・・

吉田喜重監督に、

あなたは、青春を映画に全て捧げて、もったいないと思いませんか

と、引き止められ、一瞬にして、翻意したといいます。

そして、命ある限り、女優を続けようと、決意したのだそうです。

(1964年、岡田茉莉子さんは、その吉田喜重監督と結婚しています)

Sponsored Link

岡田茉莉子の30代~現在(90代)

こうして、引退を思いとどまった岡田茉莉子さんは、1965年には、「松竹」を離れてフリーとなり、1966年、33歳の時には、吉田喜重さんと独立プロダクション「現代映画社」を設立すると、

以降、

  • 1967年(34歳)「情炎」
  • 1967年(34歳)「炎と女」
  • 1968年(35歳)「樹氷のよろめき」
    「樹氷のよろめき」
    「樹氷のよろめき」より。蜷川幸雄さんと岡田茉莉子さん。
  • 1968年(35歳)「さらば夏の光」
    「さらば夏の光」
    「さらば夏の光」より。
  • 1970年(37歳)「エロス+虐殺」
  • 1970年(37歳)「煉獄エロイカ」
  • 1971年(38歳)「告白的女優論」
    「告白的女優論」
    「告白的女優論」より。岡田茉莉子さん(手前)と太地喜和子さん。
  • 2002年(69歳)「鏡の女たち」
    「鏡の女たち」
    「鏡の女たち」より。(左から)田中好子さん、岡田茉莉子さん、一色紗英さん。

など、吉田喜重さんの作品で主演を務めるほか、

1973年(40歳)の「戒厳令」では、女優としてではなく、プロデューサーとして吉田喜重作品に参加しています。

また、岡田茉莉子さんは、1996年~2019年(63歳~86歳)の23年間という長きに渡って、2時間ドラマ「温泉若おかみの殺人推理」シリーズで、大女将役を演じているほか、

「温泉若おかみの殺人推理」
「温泉若おかみの殺人推理」シリーズより。(左から)羽場裕一さん、岡田茉莉子さん、東ちづるさん、芳本美代子さん。

近年は、映画、テレビドラマ、舞台のほか、バラエティ番組にも出演するなど、幅広く活動しています。

「岡田茉莉子の夫・吉田喜重との馴れ初めは?結婚後の夫婦仲は?子供は?」に続く

お読みいただきありがとうございました

Sponsored Link