1963年には「孤独の賭け」でテレビドラマデビュー、1964年には「肉体の門」で映画デビューも果たすと、体当たりの演技が大きな話題となり、その後、数多くのテレビドラマや映画に出演してきた、野川由美子(のがわ ゆみこ)さん。

そんな野川由美子さんは、幼い頃からお芝居を観て育ち、小学3年生の時には、映画も観るようになると、銀幕のスター・中村錦之介(萬屋錦之介)さんに憧れ、女優を目指すようになったといいます。

今回は、野川由美子さんの、生い立ち(幼少期から高校時代まで)をご紹介します。

野川由美子

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野川由美子のプロフィール

野川由美子さんは、1944年8月30日生まれ、
京都府京都市の出身、

身長160センチ、
体重52キロ、

血液型はA型、

学歴は、
京都府立朱雀高等学校卒業、

趣味は、ピエロ・ガラス小物収集、

ちなみに、「野川由美子」は本名で(結婚後は山像由美子(やまがた ゆみこ))、

夫は、脚本家で演出家の逢坂勉(本名・山像信夫)さん、
女優の山像かおりさんは義娘(逢坂勉さんの連れ子)です。

また、息子さんも1人おられるようですが、実子か逢坂勉さんの連れ子かは不明です。

野川由美子は幼い頃からお芝居を観て育っていた

野川由美子さんは京都で誕生したのですが、野川家では、年末年始は、お重箱のお弁当を持って桟敷席で歌舞伎を観るというのが恒例行事となっていたそうで、野川由美子さんは、幼い頃からお芝居を観て育ったそうです。

野川由美子は小学3年生の時に中村錦之助(萬屋錦之助)に憧れいつか共演したいと思っていた

そんな野川由美子さんは、小学校3年生の頃からは映画も観始めると、やがて、銀幕のスターの中村錦之助(萬屋錦之介)さんに憧れるようになったそうで、

学校から家に帰ると、鏡に向かっては相手役のマネをし、

いつか絶対に一緒にお芝居をやるんだ

と、思うようになっていったそうです。

野川由美子は小学4年生の時に中村錦之助にサインしてもらいますます共演したい思いを強くしていた

そんな中、野川由美子さんは、小学4年生の時、伯父さんに琵琶湖一周のドライブに連れて行ってもらい、紅葉館という旅館で食事をすることになったそうですが、

なんと、その日は、東映が初めてカラーで「鳳城(おおとりじょう)の花嫁」を封切りした日で、東映のほとんどの俳優が参加して記念パーティが行われるところだったそうで、野川由美子さんは、天にも昇る気持ちになったそうです。

そして、宴会場から出てきた俳優さんに、

錦之助さんに会いたいんですけど、どうしたらいいですか?

と、尋ねると、

その俳優さんは、快く、中村錦之助さんのもとに案内してくれたそうで、

中村錦之助さんは、その時、すっかり酔っていたそうですが、野川由美子さんの前でハンカチを広げてサインをしてくれたそうで、

野川由美子さんは、ますます中村錦之助さんのファンになってしまい、

この方と一緒にお芝居したい

という気持ちが強くなったのだそうです。

野川由美子は中学3年間は滑舌と発声方法の猛練習をしていた

そこで、野川由美子さんは、まず、女優になるためには、標準語を覚えなければいけないと思い、ひたすら、映画を観てマネをして覚えたそうで、中学生の時には、滑舌と発声方法を、丸3年間、勉強そっちのけで猛練習したのだそうです。

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野川由美子は高校生の時にミス着物コンクールで準ミスに選ばれて芸能界入りすると20歳の時には中村錦之助との共演を果たしていた

そんな野川由美子さんは、高校生になると、何か肩書を得ようと考え、高校在学中に、ミス着物コンクールに応募すると、見事、準ミスに選ばれたそうで、このことがきっかけとなり、念願の芸能界入りを果たしたのだそうです。

そして、20歳の時には、中村錦之助さん主演のテレビドラマ「真田幸村」で、念願の中村錦之助さんとの共演を果たすと、以来、中村錦之助さんが主演の舞台ではほとんど相手役に起用されたそうで、

野川由美子さんは、

女優という職業は、本当に私の天職だと思いますね。

と、語っています。

「【画像】野川由美子の若い頃は?デビューから現在までの経歴を時系列まとめ!」に続く

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