1975年11月5日にソロ3枚目のシングル「なごり雪」をリリースすると、累計売上80万枚の大ヒットを記録し、歌手としての地位を確立した、イルカさんですが、実は、当初、この「なごり雪」を歌うことを断固拒否していたといいます。

今回は、イルカさんが、「なごり雪」を歌うことになった経緯、「なごり雪」を歌うことを拒否した理由、最終的には歌うことを決意した理由についてご紹介します。

イルカ

「【画像】イルカの若い頃は?デビューから現在までの楽曲や経歴を時系列まとめ!」からの続き

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イルカの「なごり雪」は「かぐや姫」のカバー曲だった

「なごり雪」は、フォークグループ「かぐや姫」の伊勢正三さんが作詞作曲し、イルカさんが歌う約1年8ヶ月前の1974年3月12日に発売された、「かぐや姫」のアルバム「三階建の詩」に収録されていた、「かぐや姫」でのコンサートでも人気の曲だったそうですが、

実は、イルカさんの夫・神部和夫さんが、

どうしても「なごり雪」をイルカに歌わせたい

と、「かぐや姫」の所属事務所「ユイ音楽工房」の社長だった後藤由多加さんや、「かぐや姫」のリーダーだった南こうせつさんらに相談したといいます。

イルカが「なごり雪」を歌うことを断固拒否した理由とは?

ただ、その話を聞いたイルカさんは、「なごり雪」を歌うことについて、

絶対嫌だ!

と、激しく拒否したといいます。

というのも、当時は、今のように、気軽に他の歌手の曲をカバーする時代ではなかったからということもあったそうですが、

何より、この「なごり雪」は、「かぐや姫」の楽曲の中でも絶大な人気を誇っており、「かぐや姫」=「なごり雪」というぐらい確立されていたことから、「かぐや姫」のファンのところに土足で踏み込んでいくようなことは絶対にしたくなかったのだそうです。

(1974年10月に「あの頃のぼくは」でソロデビューしたイルカさんは、「かぐや姫」のコンサートの前座を務めていたそうで、その際、ステージ袖で見ていたことから、「なごり雪」の人気の凄さを実感していたのだそうです)

イルカは夫・神部和夫にうまく誘導され「なごり雪」を歌うことに決まるもレコーディング当日もむくれていた

それでも、イルカさんは、最終的には、「なごり雪」を歌うことになったのですが、

実は、夫の神部和夫さんが、強硬にイルカさんを説得しようとはせず、

そうだね・・・うん、うん、分かった、分かった

と、やさしく言いながら、どんどん話を先に進めて行ったそうで、

あれよあれよと、アレンジが決まり、レコーディングの日が決まり・・・となったのだそうです。

それでも、イルカさんは、ゴネて、ブスッとしていたそうで、

レコーディングの日もブスッとして、

いやだな~

でも、歌わなきゃしょうがないのかな・・・

などと考えながら、スタジオでも、ブスッとして座っていたのだそうです。

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イルカは「なごり雪」の作詞作曲者・伊勢正三の気持ちを聞いて歌うことを決意していた

そんな中、「かぐや姫」のメンバーで、「なごり雪」を作詞作曲した伊勢正三さんが来たそうで、イルカさんは、「あれ?」と思いながら周りを見渡すと、誰もいなくなっていたそうです。

(今考えると、伊勢正三さんは神部和夫さんに送り込まれてきたのではと思っているそうです)

こうして、伊勢正三さんと2人きりになった中、伊勢正三さんが、

なんかさあ、こだわってるのか何か知らないけど、歌うのヤダとかあるの?

と、聞いてきたそうで、

イルカさんが、

ヤダとかじゃなくて、歌っちゃだめでしょ

と、言うと、

伊勢正三さんは、

いや、僕は、イルカが、僕が作った歌を歌ってくれるのを聴くのは好きだし、もし歌ってくれるなら僕はすごく嬉しいよ

と、言ってくれたそうで、

イルカさんが、

そうなの~?本当~?

と、聞くと、

伊勢正三さんが、

本当だよ

と、言ったそうで、

イルカさんは、そこから気持ちがポンと変わり、本人もそう言ってくれるんだったら・・・と歌うことになったのだそうです。

ちなみに、イルカさんによると、ちゃんと譜面を見て勉強などはせず、「かぐや姫」のステージの横で聴いていたその印象だけで、ぱあ~っと歌い、2、3回歌っただけで、レコーディングは終わったそうです。

(「なごり雪」のイントロは、松任谷正隆さんが初めて他の人をアレンジした曲だったそうで、レコーディングには、鈴木茂さん、吉川忠英さん、後藤次利さん、村上ポンタ秀一さんなど、錚々(そうそう)たるメンバーが参加していたそうです)

「イルカの夫・神部和夫との馴れ初めは?長年パーキンソン病を患い若くして死去していた!」に続く

お読みいただきありがとうございました

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