ニュース番組やバラエティ番組で、低音ボイスで「あ、さて~」と原稿を生真面目に読むスタイルが人気を博した、小林完吾(こばやし かんご)さんですが、
小学校時代には不登校となっていたほか、高校時代は進学校である湘南高校に進学するも勉強についていけずに中退し、その後、定時制課程に入学し直し、卒業後は國學院大學に進学するも、大学2年生の時には自殺未遂を起こしていたといいます。
今回は、そんな小林完吾さんの生い立ち(幼少期から大学時代まで)をご紹介します。
小林完吾のプロフィール
小林完吾さんは、1932年4月27日生まれ、
神奈川県鎌倉市の出身、
血液型はA型、
学歴は、
神奈川県立師範学校付属小学校
⇒湘南高校全日制中退
⇒湘南高校定時制課程
⇒國學院大學文学部日本文学科卒業
ちなみに、「小林完吾」は本名で、愛称は「完吾さん」です。
また、
父方の祖父は、洋画家の小林萬吾さん、
母方の祖父は、医学博士の中島譲吉さんで、
元九州朝日放送アナウンサーで2024年現在、福岡市長である高島宗一郎さんは、親戚だそうです。
小林完吾は1~2歳の時に重い肺炎を患い医師に「助からない」と宣告されていた
小林完吾さんは、6人きょうだい(兄2人・姉2人・弟1人)の5番目で三男として誕生すると、1~2歳の頃には、重い肺炎を患い、医師からは助からないと宣告されたそうですが、なんとか一命を取り留めたそうです。
小林完吾は小学校ではいじめに遭い不登校、高校は1年で中退し荒んだ生活を送っていた
ただ、小学校時代には、いじめに遭い、不登校となっていた時期があったほか、高校は、進学校である湘南高校に進学したものの、勉強についていけず、1年で中退したそうで、
その後は、進駐軍の雑用係をしていたそうですが、飲み屋をうろつき回ったり、ケンカに明け暮れる、荒んだ生活を送っていたそうです。
小林完吾は湘南高校定時制課程(夜学)に入学し直していた
それでも、小林完吾さんは、再起を図り、湘南高校の定時制課程に入学すると、日中は、国立横浜病院病理研究室で病理助手として解剖をしたり、歯科医院助手、肥料問屋の丁稚(でっち)として働き、
学校では、夜学を少しでも活気づけたいとの思いから、応援団を結成し、自ら応援団長を務めたり、生徒会長を務めるなど、活発に活動したそうです。
小林完吾は大学2年生の時に自殺未遂を起こしていた
そんな小林完吾さんは、湘南高校定時制課程卒業後は、國學院大學文学部日本文学科へ進学したそうですが・・・
大学2年生の時には、(理由は不明ですが)自殺未遂を起こしていたといいます。
小林完吾は大学時代に教員の資格を取得するも教師にはならなかった
それでも、その後、小林完吾さんは立ち直ると、大学時代に教員の資格を取得したそうですが、教育実習先の中学校では、生徒たちが教師に対して反発し始めるようになっていたそうで、
そのような生徒たちの目を見ていると、
やるならやってやろうじゃないか
という気持ちが高まり、冷静な気持ちでいられなかったほか、
職員室の中でも、教頭が同僚の教師と校長の両方に対して良い顔をして右往左往している姿や、教師同士の偽善的な雰囲気を見ていると、1週間も同じ職員室にいれば、我慢ならず、殴り合いになってしまうと思い、教師にはならなかったのだそうです。
小林完吾は大学時代に声を褒められたことがきっかけでアナウンサーを志していた
そんな小林完吾さんは、その後、女子アナウンサーになった先輩から、声を褒められたことがきっかけで、アナウンサーを志すようになったといいます。
「【画像】小林完吾アナウンサーの若い頃は?デビューから現在までの経歴を時系列まとめ!」に続く
1960年に鹿児島県のラジオ南日本にアナウンサーとして入社すると、1963年には日本テレビに移籍し、その後、どんなニュースも、冷静沈着な落ち着いた低音の声で、「あ、さて~」と言うスタイルが人気を博した、小林完吾(こばやし …