1960年、13歳の時、NET(現・テレビ朝日)の開局記念番組で、屋上の上でバイオリンを弾くシーンで女優デビューすると、1962年、15歳の時には、「ひばりの母恋いギター」で映画デビューを果たし、

1968年、20歳の時には、刑事ドラマ「キイハンター」で、記憶の天才・谷口ユミ役を演じ、たちまち人気を博した、大川栄子(おおかわ えいこ)さん。

そんな大川栄子さんは、小学5年生の時、将来のために手に職をつけさせたいと考えたお母さんに、「東映児童演劇研修所」に入所させられ、当初は、女優になるつもりなどなく嫌々だったそうですが、

中学1年生の時にお父さんが他界して状況が一変し、学費を稼ぐために女優になる決意をしたといいます。

今回は、大川栄子さんの、幼少期(生い立ち)から「キイハンター」でブレイクするまでをご紹介します。

大川栄子

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大川栄子のプロフィール

大川栄子さんは、1947年12月1日生まれ、
福岡県北九州市の出身、

血液型はO型、

学歴は、成城大学芸術学部卒業、

趣味は、フラダンス、タップダンス、ヴァイオリン、映画鑑賞、

ちなみに、本名は「河原崎榮子」(旧姓は「後藤榮子」)だそうですが、芸名は、1965年秋、当時の東映社長・大川博さんの姓をもらって「大川」としたそうです。

また、「星莉華(せりか)」名義で、東洋の易学と西洋の天文学を融合させた学問「未来学」の1級講師としても活動しています。

大川栄子の幼少期は裕福な家庭でお嬢様として育てられていた

大川栄子さんは、日立に勤めるお父さんのもと、福岡県北九州市に2人兄妹の妹として誕生すると、裕福な家庭でお嬢様として育てられたそうです。

また、小学3年生の夏休みに、お父さんの転勤で東京に引っ越しをしたそうです。

大川栄子は小学5年生の時に「東映児童演劇研修所」に一期生として入所していた

そんな大川栄子さんは、戦後のベビーブーム時代に誕生したことから、

(人数が多いため)何か職を持たないと生存競争に生き残っていけない

と、考えたお母さんに勧められ、

1958年、小学5年生の時、東映児童演劇研修所の一期生として入所したそうです。

(お母さんが大川栄子さんに相談なく願書を提出すると、運良く合格したのだそうです)

大川栄子は当初「東映児童演劇研修所」をサボってばかりいた

そして、「東映児童演劇研修所」では、基本的な発声、演技、パントマイム、歌、ダンスなどのレッスンが毎週土曜日と日曜日に行われたそうですが・・・

大川栄子さんは、女優になるつもりは全くなかったことから、「友達の誕生日会があるから」などと言って、何かと理由をつけては、休んでばかりいたといいます。

(その度に、お母さんが、電話ではなく、西武線の大泉にあった東映の撮影所まで欠席の報告をしに行っていたそうです)

大川栄子は13歳の時、卒業公演後も「東映児童演劇研修所」に残ることになっていた

そんな中、2年後の1960年(大川栄子さん13歳)に卒業公演が行われると、その後、そのまま残るかやめさせられるか審査されたそうですが、

大川栄子さんは、(ほかにもバイオリンやバレエをやっていたこともあり)残るほうに選ばれたのだそうです。

ただ、大川栄子さんは休んでばかりでやる気があるかどうかわからないと、「東映児童演劇研修所」から、「本人に確認を」ということで、お母さんと共に親子で呼び出され、

所長さんに、

君はあまり熱心にレッスンに参加していないがやる気はあるのですか?

と、尋ねられると、

お母さんが、

やる気はあります!!

と、答えたそうですが、

所長さんには、

お母さんは黙っていてください。本人に尋ねているのです!

と、言われたそうで、

大川栄子さんは、なんとも言えない怖い雰囲気に、とても、「やる気はありません」とは言えず、思わず、

やる気はあります

と、答えてしまったのだそうです。

大川栄子は中学1年生の時に父親が他界し学費のために女優になる決意をしていた

こうして、大川栄子さんは、「東映児童演劇研修所」に残ることになったそうですが、「やる気はあります」と答えたのはウソで、いつやめようかとそればかり考えていたそうです。

しかし、中学1年生の時、お父さんが病気で他界したそうで、

ちょうど大川栄子さんは成城学園に中学受験で入学したばかりの頃で、また、お兄さんも大学1年生で、2人そろって私立の学校だったことから、学費にお金がかかり、大川栄子さんは、やむなく、女優の仕事を始めることにしたのだそうです。

(ただ、お父さんが勤めていた「日立」は、お父さんが亡くなってからも、大川栄子さんが大学を卒業するまで、給料の半額を毎月届けてくれたそうで、大川栄子さんはそのことに今でも深く感謝しているそうです)

大川栄子は14歳の時に「ひばりの母恋いギター」で映画デビュー

その後、大川栄子さんは、1960年、NET(現在のテレビ朝日)の開局記念番組で、屋上の上でバイオリンを弾くシーンで女優デビューすると、

1962年、15歳の時には、「ひばりの母恋いギター」(8月12日公開)で、映画デビューも果たしています。

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大川栄子が20歳の時には刑事ドラマ「キイハンター」の谷口ユミ役でブレイク

以降、大川栄子さんは、テレビドラマや映画に出演すると、

1968年、大学在学中の20歳の時には、刑事ドラマ「キイハンター」で、記憶の天才・谷口ユミとしてコミカルな美女役を演じると、たちまち人気を博したのでした。

「大川栄子の夫・河原崎建三との馴れ初めは?息子は河原崎貴!現在はセリカ?」に続く

大川栄子
「キイハンター」より。

お読みいただきありがとうございました

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