1975年9月、25歳の時、島田洋七さんに誘われて漫才コンビ「B&B」を結成すると、1980年には、「お笑いスター誕生」で10週勝ち抜きを達成してグランドチャンピオに輝き、一躍、スターダムにのし上がった、島田洋八(しまだ ようはち)さん。
そんな島田洋八さんは、もともとは役者志望だったそうで、1983年に「B&B」解散後は、俳優として活動しています。
今回は、島田洋八さんの、若い頃(漫才師デビュー)から現在までの経歴を生い立ち(幼少期)を交えてご紹介します。また、最後に、俳優としての出演作品(映画、テレビドラマ)もご紹介します。
島田洋八のプロフィール
島田洋八さんは、1950年2月13日生まれ、
岡山県笠岡市生江浜の出身、
学歴は、
笠岡市立金浦中学校
⇒盈進高校卒業
趣味は、スポーツ観戦、野球、ゴルフ、サーフィン、
ちなみに、本名は「藤井健次(ふじい けんじ)」で、
笠岡市議会議員で第45代議長の藤井義明さんは実兄です。
島田洋八の幼少期は裕福な家庭で何不自由なく育っていた
島田洋八さんは、町の名士で雑貨屋兼酒屋を営んでいたお父さんのもと誕生したそうで、
欲しいものは何でも買ってもらえるような、裕福な家庭で何不自由なく育ったそうです。
島田洋八は25歳の時に島田洋七に口説かれ「B&B」を結成していた
そんな島田洋八さんは、青年期には、ボウリングのインストラクター、卸問屋、製薬会社、漆塗りなど、様々な職に就いていたそうですが、
役者を目指し、吉本興業に入社すると、花月劇場の幕引き&進行役をしていた際、
島田洋七さんに、
俺と一緒に漫才で勝負しよう
と、口説かれ、
1975年9月、漫才コンビ「B&B」を結成したのだそうです。
ちなみに、島田洋七さんは、それまで、2度「B&B」を解散していたそうで、新しい相方を探す中、桂三枝(現・六代目桂文枝)さんから、
これからの漫才は顔がええ方がええかも。おまえが一方的にしゃべったらええやん
と、アドバイスされ、島田洋八さんに声をかけたといいます。
島田洋八は27歳~28歳の時に「B&B」として「上方お笑い大賞銀賞」「第13回上方漫才大賞奨励賞」を受賞していた
実は、島田洋八さんは、コンビ結成当初は、なかなかうまく話せず、連日8時間、島田洋七さんから漫才の基本を叩き込まれたそうで、
その甲斐あって、活動はすぐに軌道に乗り、コンビ結成2年目の1977年には「上方お笑い大賞銀賞」、翌年の1978年には「第13回上方漫才大賞奨励賞」を受賞するなど、「B&B」の漫才は高く評価されたのでした。
島田洋八は29歳の時に「B&B」として上京していた
しかし、当時、関西では、演芸番組が激減していたほか、吉本興業には、「やすしきよし」「コメディNo.1」「Wヤング」など、実力者が揃っていて層が厚く、
新人だった「B&B」は思うようにテレビで活躍できず、実力はあるものの、お茶の間の人気を博すことができませんでした。
そんな中、島田洋七さんに東京進出を打診されたそうで、島田洋八さんは二つ返事でOKし、1979年9月に上京したのだそうです。
「B&B」(左が島田洋八さん、右が島田洋七さん)。
島田洋八は30歳の時「B&B」で大ブレイクし年収3億円だった
すると、「B&B」は、1980年1月20日放送のゴールデンタイムの1時間番組「花王名人劇場」に出演すると、そのスピード感あふれる漫才がたちまち反響を呼び、
さらに、同年4月から始まった「お笑いスター誕生」でも、ストレートで10週勝ち抜きを達成してグランドチャンピオンに輝き、大ブレイク。
こうして、「B&B」は、一躍、スターダムにのし上がったのでした。
また、島田洋八さんも、翌年の1981年にスタートしたバラエティ番組「オレたちひょうきん族」で、ビートきよしさん(ツービート)、松本竜助さん(紳助竜介)と「うなずきトリオ」を結成し、大人気を博したのでした。
「B&B」(左が島田洋八さん、右が島田洋七さん)。
ちなみに、「B&B」は、漫才ブーム全盛期、レギュラー19本に、土日も営業があり、寝る暇がないほどの忙しさだったそうで、年収は3億円だったそうです。
(月間出演本数は、帯番組を含めると300本もあったそうです)
島田洋八は33歳で「B&B」解散後は俳優として活動していた
しかし、1982年に「お笑いスター誕生!!」が放送終了すると同時に、「B&B」の人気は急下降し、翌年の1983年秋にはコンビは解散。
そんな中、島田洋八さんは、「藤井洋八」の芸名で俳優活動を開始すると、テレビドラマを中心に多数出演し、1999年には、映画「鮫肌男と桃尻女」で、イカれたホテルの支配人・ソネザキ道夫役を演じ、一部で高い評価を得ています。
島田洋八は41歳と46歳の時に「B&B」を再結成していた
その後、島田洋八さんは、1991年には、島田洋七さんと「B&B」を再結成しているのですが、すぐに解散。
また、1996年にも再結成しているのですが、これも、2007年には事実上の活動停止となっています。
ちなみに、相方の島田洋七さんは、2021年、「週刊大衆」のインタビューで
B&Bは解散してないんですよ。2020年も2回仕事しました。けど、僕が佐賀、洋八が伊豆大島に住んでいますから、仕事で呼んで頂いても交通費だけでもバカになりませんしね。
それに歌なら懐メロが流行ってますけど、漫才はそうはいかない。やっぱり新しいものが求められますから
と、語っています。
島田洋八は50歳頃の一時期、芸能界を引退していた
そんな島田洋八さんは、2000年頃から伊豆大島で暮らし、一時期、芸能界を引退していたそうですが、
2023年3月、妻の真紀さんが膵臓ガンにより他界されると、長年暮らしていた伊豆大島を離れて東京都内に戻り、俳優業を再開すると、舞台を中心に活動しています。
2023年、舞台「見えない人たち」の公開稽古より。島田洋八さんと川原美咲さん。
島田洋八の出演作品(映画)
それでは、ここで、島田洋八さんの俳優としての出演作品もご紹介しましょう。
映画では、
- 1983年「真夜中のボクサー」
- 1987年「青春かけおち篇」
- 1994年「大阪極道戦争 しのいだれ」
- 1996年「薔薇ホテル」
- 1998年「二宮金次郎物語 愛と情熱のかぎり」
- 1999年「鮫肌男と桃尻女」
「鮫肌男と桃尻女」より。岸部一徳さん(左)と島田洋八さん(右)。 - 2000年「難波金融伝ミナミの帝王14」
- 2000年「PARTY7」
- 2004年「るにん」
- 2005年「佐賀のがばいばあちゃん」
- 2006年「トリック劇場版2」
- 2007年「自虐の詩」
- 2011年「スマグラー おまえの未来を運べ」
島田洋八の出演作品(テレビドラマ)
テレビドラマでは、
- 1983年「事件記者チャボ」第6話
- 1983年「エプロンおばさん」第8話
- 1984年「特捜最前線」第367話
- 1984年「星雲仮面マシンマン」第10話
- 1984年「超電子バイオマン」第25話
- 1984年「宇宙刑事シャイダー」第36話
- 1985年 NHK大河ドラマ「春の波涛」
- 1986年「温泉仲居物語・湯煙り湯の街女の涙」
- 1988年「女優 夏木みどり モンロー殺人事件」
- 1993年「電光超人グリッドマン」 第30話「世界滅亡の日」
- 1994年「水戸黄門」第23部 第9話、第42部 第17話
- 1998年「踊る大捜査線 秋の犯罪撲滅スペシャル」
- 1999年「ナニワ金融道6」
- 2000年「池袋ウエストゲートパーク」第8話
「池袋ウエストゲートパーク」より。 - 2010年「木下部長とボク」
- 2010年「駅弁刑事・神保徳之助4」
- 2011年「示談交渉人 ゴタ消し」
- 2011年「カレ、夫、男友達」
- 2012年「密会の宿9」
- 2014年「京都南署鑑識ファイル8」
ほか、多数の作品に出演しています。
「島田洋八の元妻は?再婚相手(歯科医)の死因は?息子は?娘は?」に続く