1980年代、「杉山清貴&オメガトライブ」、菊池桃子さん、中森明菜さん、原田知世さんほか、数多くのアーティストやアイドルに曲を提供して、ヒットさせると、

2020年代には、日本のシティポップが世界中で注目されるようになる中、再び、その楽曲が高く評価されている、林哲司(はやし てつじ)さん。

そんな林哲司さんのプライベートはどのようなものだったのでしょうか。

今回は、林哲司さんの妻、子供についてご紹介します。

林哲司

「林哲司は菊池桃子に提供した曲が7作連続オリコン1位となっていた!」からの続き

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林哲司の妻は?

林哲司さんは、人気絶頂だった1983年から1984年頃、一般女性と結婚しているようですが、林哲司さんは、プライベートをほとんど明かしていないため、どのように知り合い、いつ頃から交際して、どのような経緯で結婚に至ったかは不明です。

ちなみに、林哲司さんは、2023年、「ZakII」のコラムで、自身の父親について綴っているのですが、

その中で、結婚前、お父さんと共に、奥さんの実家に挨拶に訪れた際、お父さんが、

こいつはこんな仕事をやっているけど真面目ですから

と、突然、言ったのを聞き、そんな風に見てくれていたんだと驚いたといいます。

(林哲司さんは、大学を2年で中退して音楽の道に進んでおり、その際、お父さんから勘当(かんどう)同然となってしまっていたそうですが、後になって、お父さんがずっと遠くから見守ってくれていたことに気がついたそうです)

林哲司には息子が3人

そんな林哲司さんには、奥さんとの間に男の子が3人誕生しており、3人共、音楽関係の仕事をしているそうですが、子供についても、奥さん同様、ほとんど明かしていないため、詳細は不明です。

ただ、3人のうちの1人(何人目の息子さんかは不明)は、「林紘生(はやし ひろみ)」さんと言い、2023年時点、ビクターで宣伝の仕事をするほか、ディレクターの仕事や作曲にも携わっているそうで、

2020年に発売された、「杉山清貴&オメガトライブ」の大ヒットナンバーを収録した「杉山清貴&オメガトライブ 7inch Singles Box」の制作にも参加しています。

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林哲司の長男は父親が脳梗塞で倒れる約1ヶ月後に誕生していた

また、林哲司さんの長男は、1984年6月頃に誕生しているそうですが、その約1ヶ月前の5月、お父さんが脳梗塞で倒れてしまい、危険な状態からは脱したものの、意思の疎通が取れず、会話もできない状態となり、その後、他界されたそうで、

林哲司さんは、

最も忙しい過酷な制作活動が続くなかで〝死〟を意識せざるを得ない状況に陥った父と、息子の誕生という〝生〟に直面。その狭間で生きていることに輪廻転生のようなものを感じていました。

忙中閑、ほんのわずかな安らげる時間。神社のお祭りで息子を抱いて神輿(みこし)を追いかけていたらポロポロ涙がこぼれてきた。なんで泣いているのかわからなくて。

父のことで張りつめた気持ちと息子を抱いている幸せな気持ちが入り混じり、『ワッショイ、ワッショイ』と声を出すうちに感無量になったのでしょうか。母は100歳まで生きてくれました。

と、綴っています。

お読みいただきありがとうございました

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