1955年、30歳の時、助監督の松山善三さんと結婚すると、結婚後は、子供には恵まれなかったものの、女優として妻として幸せな毎日を送ったという、高峰秀子(たかみね ひでこ)さんですが、実は、1941年、17歳の時、当時、助監督だった黒澤明さんと交際していたといいます。

今回は、高峰秀子さんと黒澤明さんの馴れ初めや破局理由などをご紹介します。

高峰秀子

「高峰秀子の子供は?養女は斎藤明美(週刊文春の記者)!遺産は?」からの続き

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高峰秀子は黒澤明と交際していた

高峰秀子さんは、アイドル女優として人気を博していた時代、助監督だった黒澤明さんと交際していたことがあったそうです。

高峰秀子さんは、1941年、17歳の時、山本嘉次郎監督の映画「馬」で主演を務めているのですが、黒澤明さんは、この「馬」で、B班監督と編集を務めていたそうで、2人は、この「馬」の東北地方でのロケーション撮影がきっかけで知り合ったそうです。

(B班監督とは、監督代行のような役割で、黒澤明さんは、山本嘉次郎監督に信頼され、演出のほとんどを任されていたのだそうです)

黒澤明
黒澤明さん。

高峰秀子と黒澤明の馴れ初めは?

そんな中、初めて馬に乗った高峰秀子さんが落馬しそうになった際、黒澤明さんが優しく抱きとめ、背中を撫でてくれたそうで、このことがきっかけとなり、高峰秀子さんと黒澤明さんは親交を深めたそうですが、

高峰秀子さんには監視人がついていたほか、黒澤明さんも、山本嘉次郎監督に責任ある仕事を任されていたことから、撮影中は会話をすることもできなかったそうで、

デートといえば、せいぜい、盛岡のロケ先の映画館で、「ベルリンオリンピック記録映画」を観に行ったぐらいだったそうです。

(しかも、大演出家を夢見る黒澤明さんは、この大記録映画に大変なショックを受けていたそうで、映画館から宿への帰り道は、ただ、黙々と自分の足元に目を落とし、高峰秀子さんの存在は気にも留めてくれなかったそうです)

高峰秀子は黒澤明に仕事部屋に遊びに来るよう誘われていた

その後、「馬」のロケが終わり、完成すると、高峰秀子さんは、公開の決まっている他の映画の撮影に追い回されて多忙だったことから、黒澤明さんと会う機会がめっきりと減ってしまったそうですが、

会えば、必ず、食堂でお茶をしたり、昼休みに撮影所の裏の林の中の小道を散歩するなどし、短いデートを楽しんでいたそうで、

1941年秋頃、東京の撮影所で、久しぶりに黒澤明さんに会った際には、

黒澤明さんに、

成城に仕事部屋を借りたんだよ。デコ(高峰秀子さんのこと)の家のすぐそばだ、遊びにおいで

と、誘われ、

(胸が高鳴った)高峰秀子さんも、

仕事部屋へ、きっと遊びに行くよ

と、約束したのだそうです。

(黒澤明さんは、「馬」のロケ先では、夕食を終えると、(自由時間になり、他のスタッフがそれぞれ好きなように時間を使う中)一人だけ、サッと姿を消し、旅館の小さな布団部屋で夜遅くまで脚本を書いていたそうで、高峰秀子さんには、その時の姿が思い出されたのだそうです)

高峰秀子は黒澤明の仕事部屋に遊びに行くも養母にバレて連れ戻されていた

そして、それから2~3日経った日の夕方、高峰秀子さんは、(人を集めて麻雀をしている)養母に行き先を告げないまま、外に飛び出すと、小走りに走って黒澤明さんのアパートに向かったそうで、

そこで、管理人のおじさんに黒澤明さんの部屋番号を聞き、2階に上がって、黒澤明さんの部屋をノックすると、

どなたですか

と、声がして、ドアが開き、

和服姿の黒澤明さんが、ニコッと笑って、右手を軽く上げて、失敬のマネをしたそうで、

高峰秀子さんが、

遊びにきたよ

と、言うと、

黒澤明さんは、

よく来たね、お入りよ

と、言ってくれたのだそうです。

そして、黒澤明さんが、ドアを閉め、立ったままでいる高峰秀子さんの肩を押さえ、向き合って座ったそうですが・・・

その瞬間、パッとドアが開き、そこには、目をつり上げ、息を切らせた養母とアパートの管理人がいたそうで、

高峰秀子さんは、養母に連れ戻されてしまったのだそうです。

(養母は常に高峰秀子さんに監視の目を光らせており、高峰秀子さんが年頃になるにつれて、ますますその監視の目は厳しくなり、高峰秀子さん宛ての手紙には必ず目を通し、撮影に行っている間には、高峰秀子さんの部屋をくまなく点検し、ゴミ箱の中までチェックしていたといいます)

高峰秀子は養母に1週間部屋に軟禁されていた

それから1週間、高峰秀子さんは、自宅の2階の部屋に閉じ込められ、お手洗いへ行くほかは階下に降りることも許されなかったといいます。

(そのため、撮影中だった映画がどうなったのかも、高峰秀子さんには分からなかったそうです)

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高峰秀子と黒澤明は東宝と高峰秀子の養母の猛反対により破局していた

そして、1週間の軟禁が終わり、高峰秀子さんが、撮影所に出勤し、昼休みの時間を今か今かと待って、昼休みになるとすぐにセットを飛び出し、人ごみをかき分けるようにして、黒澤明さんを探すと、

黒澤明さんは、食堂の前の芝生に、一人でポツンと立っていたそうですが、

高峰秀子さんが、

黒澤さん!

と、叫びながら、駆け寄るも、

黒澤明さんにはもう、あの人懐っこい笑顔はなく、ほとんど無表情で、高峰秀子さんの顔を見たそうで、

高峰秀子さんは、黒澤明さんが何かを言ってくれるのを待ったそうですが、黒澤明さんは、一言も発さず、突然、くるりときびすを返し、高峰秀子さんに背中を見せて足早に立ち去ってしまったのだそうです。

この時のことを、高峰秀子さんは、著書「わたしの渡世日記」に、

私は呆然とした。が、ふしぎに彼を追う気にならなかった。追って、すがって、理由を聞くほど、私の「女」は、成長していなかったのかもしれない。

「そっちがその気なら、それでもいい」という意地が先に立ったのかもしれない。私は負けん気の17歳であった。

それっきり、黒澤明と私の交渉は途絶えた

と、綴っています。

実は、高峰秀子さんが養母に軟禁された翌朝、偶然にも「高峰秀子と助監督・婚約」という記事が新聞に出たそうで、

このことに、高峰秀子さんの養母、山本嘉次郎監督、当時東宝の専務だった森岩雄氏の3人が驚き、3人で協議し、早急に高峰秀子さんと黒澤明さんを別れさせることで決着したそうで、

高峰秀子さんは、山本嘉次郎監督に、

2人とも、結婚にはまだ早いだろう?デコ・・・とにかく、そういうことだよ

と、説得されたのだそうです。

高峰秀子さんは、この時、1週間も軟禁された理由や、黒澤明さんのとりつくしまのないような表情が理解できたそうで、

おそらく、決着をつけるための話し合いの席には黒澤明さんも同席させられ、黒澤明さんのプライドを傷つけるような言葉や耳を塞ぎたくなるような言葉が飛び交ったのでは、と黒澤明さんの心情を思い遣っています。

お読みいただきありがとうございました

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