1929年、5歳の時、映画「母」で子役デビューすると、以降、長きに渡って女優として活動を続け、1979年、55歳で女優業を引退するまで、300本を超える作品に出演した、高峰秀子(たかみね ひでこ)さん。
今回は、そんな高峰秀子さんの若い頃(アイドル女優時代以降)から引退するまでの出演作品(テレビドラマ、映画)や経歴、死因などをご紹介します。
「【画像】高峰秀子の子役時代からアイドル女優時代までの出演映画や経歴は?」からの続き
高峰秀子は22歳の時に、萩原遼監督作品「大江戸の鬼」、阿部豊監督作品「愛よ星と共に」、千葉泰樹監督の「幸福への招待」に出演
高峰秀子さんは、1946年10月、22歳の時、東宝に第2次東宝争議が発生したことをきっかけに、大河内傳次郎さん、長谷川一夫さん、原節子さん、山田五十鈴さんらと「十人の旗の会」を結成すると、
その後、新東宝に移籍し、1947年には、移籍第1作目として、萩原遼監督作品「大江戸の鬼」で、主人公の清吉(長谷川一夫さん)と命がけの恋をする能面師の娘役、
「大江戸の鬼」より。高峰秀子さんと長谷川一夫さん。
続いて、阿部豊監督作品「愛よ星と共に」では、子供を持つ母親の役、タバコを吸う役と、いずれも初めての役を演じています。
「愛よ星と共に」より。
そして、千葉泰樹監督の「幸福への招待」では、幸の薄い未亡人役を演じて、アイドル女優からの脱皮に成功し、大人の女優としてのイメージを印象づけました。
「幸福への招待」より。
高峰秀子は25歳の時に「銀座カンカン娘」でヒロインを務めると同名の主題歌が大ヒット
そんな高峰秀子さんは、1949年、25歳の時には、「銀座カンカン娘」でヒロインを務めているのですが、
高峰秀子さんが歌唱する同名タイトルの主題歌「銀座カンカン娘」がシングルとしてリリースされると、レコード売上50万枚となる大ヒットを記録しています。
「銀座カンカン娘」より。
高峰秀子は26歳の時に、阿部豊監督作品「細雪」、小津安二郎監督作品「宗方姉妹」に出演するも新東宝を退社
また、高峰秀子さんは、1950年には、
- 阿部豊監督作品「細雪」
- 小津安二郎監督作品「宗方姉妹」
に、出演するのですが、同年11月頃、新東宝を退社しています。
「宗方姉妹」
高峰秀子は27歳~55歳の時に「二十四の瞳」ほか木下恵介監督12作品に出演
新東宝を退社後、フリーとなった高峰秀子さんは、映画会社が締結した”五社協定”に縛られることなく、各社の名匠の映画に自由に出演できるようになり、
特に、木下恵介監督の作品には、
- 「カルメン故郷に帰る」※日本初のカラー映画
「カルメン故郷に帰る」より。 - 1952年「カルメン純情す」
- 1954年「女の園」
- 1954年「二十四の瞳」
- 1955年「遠い雲」
- 1955年「浮雲」
- 1957年「喜びも悲しみも幾歳月」
- 1957年「風前の灯」
- 1960年「笛吹川」
- 1961年「永遠の人」
- 1962年「二人で歩いた幾春秋」
- 1979年「衝動殺人 息子よ」
「衝動殺人 息子よ」より。若山富三郎さんと高峰秀子さん。
と、12作品に出演しています。
(「五社協定」とは、日本の大手映画会社5社(松竹、東宝、大映、新東宝、東映)が1953年9月10日に調印した、専属監督・俳優らに関する協定のことをいい、後に日活が加わり、新東宝が倒産するまでの3年間は六社協定となりましたが、1971年をもって自然消滅しています)
高峰秀子は37歳の時に夫・松山善三監督のデビュー作「名もなく貧しく美しく」で主演
また、高峰秀子さんは、1955年には、当時、木下恵介監督の助監督だった松山善三さんと結婚すると、
1961年、37歳の時には、松山善三監督のデビュー作「名もなく貧しく美しく」で主演を務め、
「名もなく貧しく美しく」より。高峰秀子さんと小林桂樹さん。
以降、松山善三監督作品の、「われ一粒の麦なれど」(1964年)、「六條ゆきやま紬」(1965年)で主演を務めています。
高峰秀子は47歳の時に「一筆啓上致します」、52歳の時に「落日燃ゆ」に出演
そして、1965年以降は映画出演が減少し、1968年からは、東芝日曜劇場などのテレビドラマにも出演するようになると、
1971年、夫の松山善三監督の脚本による「一筆啓上致します」、1976年、52歳の時には、同じく夫の松山善三監督の脚本による「落日燃ゆ」などに出演しています。
高峰秀子の死因は?
そんな高峰秀子さんは、1979年、木下恵介監督作品「衝動殺人 息子よ」に出演したのを最後に、女優業を引退すると、引退後は、エッセイストとして活動していたのですが、
2010年12月28日午前5時28分、肺ガンにより東京都渋谷区の病院で86歳で他界されています。
高峰秀子の出演作品(映画)
それでは、最後に、高峰秀子さんのその他の主な出演作品をご紹介しましょう。
映画では、
- 1930年「麗人」
- 1931年「私のパパさんママが好き」
「私のパパさんママが好き」より。 - 1932年「陽気なお嬢さん」
- 1933年「頬を寄すれば」
「頬を寄すれば」より。高峰秀子さんと岡譲司さん。 - 1934年「その夜の女」
- 1935年「母の愛」
- 1936年「新道 前篇朱実の巻、新道 後篇良太の巻」
- 1937年「花嫁かるた」
- 1938年「藤十郎の恋」
- 1939年「美はしき出発」
- 1940年「釣鐘草」
- 1941年「阿波の踊子」
- 1942年「希望の青空」
- 1943年「ハナ子さん」
- 1944年「三尺左吾平」
- 1945年「北の三人」
- 1946年「陽気な女」
- 1947年「東宝千一夜」
- 1948年「三百六十五夜」
- 1949年「春の戯れ」
- 1950年「戦火を越えて」
- 1951年「我が家は楽し」
- 1952年「東京のえくぼ」
「東京のえくぼ」より。 - 1953年「煙突の見える場所」
- 1954年「この広い空のどこかに」
- 1955年「渡り鳥いつ帰る」
- 1956年「妻の心」
- 1957年「あらくれ」
- 1958年「張込み」
- 1960年「女が階段を上る時」
「女が階段を上る時」より。高峰秀子さんと森雅之さん。 - 1961年「妻として女として」
- 1962年「山河あり」
- 1963年「女の歴史」
- 1964年「乱れる」
- 1966年「ひき逃げ」
- 1967年「華岡青洲の妻」
- 1969年「鬼の棲む館」
- 1973年「恍惚の人」
「恍惚の人」より。高峰秀子さんと森繁久彌さん。 - 1976年「スリランカの愛と別れ」
高峰秀子の出演作品(テレビドラマ)
テレビドラマでは、
- 1968年「浮かれ猫」
- 1969年「あさきゆめみし」
- 1970年「海はあおいか」
- 1972年「ささやくなら愛を」
- 1973年「雨の日の恋」
- 1975年「台所のおと」
- 1976年「母の待人」
- 1978年「流れゆく日々」
など、数多くの作品に出演しています。
「高峰秀子の夫・松山善三との馴れ初めは?結婚後の夫婦仲は?」に続く
“子役は大成しない”というジンクスを見事打ち破り、昭和の大女優としてその名を日本映画史に刻んだ、高峰秀子(たかみね ひでこ)さん。 そんな高峰秀子さんのプライベートはどのようなものだったのでしょう …