長年、最年長者として「安全地帯」を支えるも、2004年に「安全地帯」が活動を休止した後は、音楽活動を離れ、サラリーマンをしていたこともあったという、六土開正(ろくど はるよし)さん。
今回は、六土開正さんの若い頃(「安全地帯」としてデビュー以降)から現在までの経歴を時系列でご紹介します。
「六土開正の生い立ちは?田中裕二と矢作渉と共に玉置浩二らに合流していた!」からの続き
六土開正は25歳の時に「安全地帯」として井上陽水のツアーに参加するも大きな挫折を感じていた
1981年9月、六土開正さんら「安全地帯」のメンバーは、井上陽水さんのバックバンドに抜擢されて上京し、井上陽水さんのツアー(同年12月10日まで、全国23ヶ所)に参加したそうですが、
お給料が出ず、良い衣装を買うお金がなかったことから、みんなで渋谷のジーンズメイトに行って服を買い、それに、ハチマキを巻いたスタイルで、ツアーに参加していたほか、
多少は自分たちのバンドのレベルに自身を持っていたところ、東京では自分たちレベルのバンドがゴロゴロいたそうで、
この井上陽水さんとのツアーを通して、大きな挫折を感じ、この挫折感を踏み台にして、さらなる練習に励んだそうです。
六土開正は26歳の時に「安全地帯」として「萠黄色のスナップ」でレコードデビュー
そんな中、1982年2月25日には、「萠黄色のスナップ」でレコードデビューを果たしたそうですが・・・
「萠黄色のスナップ」
売り上げは思わしくなく、
その後も、
- 同年10月25日には、2枚目のシングル「オン・マイ・ウェイ」
「オン・マイ・ウェイ」 - 1983年1月25日には、ファーストアルバム「Remember to Remember」
- 1983年4月1日には、3枚目のシングル「ラスベガス・タイフーン」
「ラスベガス・タイフーン」
とリリースするも、売り上げはパッとしない状態が続いたのだそうです。
六土開正は28歳の時「安全地帯」として「ワインレッドの心」が大ヒットを記録していた
しかし、「安全地帯」は、1983年11月25日、4枚目のシングル「ワインレッドの心」をリリースすると、
サントリーのワイン「赤玉パンチ」のCMタイアップや、「夜のヒットスタジオ」「ザ・ベストテン」といった人気音楽番組に出演したことがきっかけで、オリコンチャート1位を獲得して、たちまち、スターダムに駆け上ると、
「ワインレッドの心」
年間80本ものライブツアーをこなすほか、毎週2回のテレビ出演、年1~2枚のアルバム制作という多忙な日々を送るようになったそうで、
六土開正さんは、
レコーディングやって、テレビの中継やって、ツアーやって、そればっかりだったね。
と、語っています。
また、六土開正さんは、テレビ出演が苦手だったそうで、
テレビは出るまでけっこう待たされて、ちょっとしか演奏しないのに、すごく疲れるんですよ。
とも、語っています。
六土開正が29歳~31歳の時には「安全地帯」として「恋の予感」「熱視線」「悲しみにさよなら」「碧い瞳のエリス」「プルシアンブルーの肖像」が大ヒット
そんな「安全地帯」は、この「ワインレッドの心」のヒットをきっかけに、
その後も、
- 1984年10月には、「恋の予感」
「恋の予感」 - 1985年1月には、「熱視線」
「熱視線」 - 1985年6月には、「悲しみにさよなら」
「悲しみにさよなら」 - 1985年10月には、「碧い瞳のエリス」
「碧い瞳のエリス」 - 1986年7月には、「プルシアンブルーの肖像」
「プルシアンブルーの肖像」
と、リリースしたシングルが立て続けにヒットし、トップアーティストとしての地位を不動のものにしたのでした。
六土開正は33歳の時にファミコンソフト「貝獣物語」のサウンドトラックを発表していた
ただ、そんな「安全地帯」も、1988年には、活動休止を宣言。
すると、六土開正さんは、同年、ファミリーコンピュータ用ソフト「貝獣物語」のサウンドトラックを発表するほか、
「貝獣物語」
以降も、
- 1991年 ファミリーコンピュータ用ソフト「じゅうべえくえすと」
- 1992年 ファミリーコンピュータ用ソフト「ドリームマスター」
- 1994年 スーパーファミコン用ソフト「大貝獣物語」
- 1996年 スーパーファミコン用ソフト「大貝獣物語II」
- 1999年 ドリームキャスト用ソフト「エレメンタルギミックギア」
と、ゲームソフトの音楽制作を行っています。
六土開正は49歳の時にはサラリーマンをしていた
そんな中、「安全地帯」は、1990年に活動を再開するも、
その後も、
- 1992年に活動休止
- 2002年に活動再開
- 2004年に活動休止
- 2010年に活動再開
と、活動休止と活動再開を繰り返しているのですが、
六土開正さんはというと、「安全地帯」が2004年に活動休止となった際、音楽活動を離れ、サラリーマンをしていたこともあったといいます。
(ただ、どのような仕事だったかは不明です)
六土開正の現在は?
ただ、その後、2009年に、玉置浩二さんが「安全地帯」の活動再開を決め、「安全地帯」のメンバーを招集して、2010年から活動を再開すると、六土開正さんも「安全地帯」の活動に加わっており、
六土開正さんは、2025年6月現在も、精力的に音楽活動を続けています。
六土開正は結婚してる?子供は?
ところで、六土開正さんは結婚しているようですが、プライベートについてほとんど明かしておらず、奥さんについての詳細は不明です。
また、奥さん同様、子供がいるのかも不明ですが、プライベートをほとんど明かしていないということは、奥さんや子供は芸能関係者ではないと思われます。
1982年、26歳の時、「安全地帯」としてシングル「萠黄色のスナップ」でレコードデビューすると、以降、40年以上に渡り、「安全地帯」の音楽的土台を支え続けている、六土開正(ろくど はるよし)さん。 そんな六土開正さんは、 …