1973年、16歳頃、「安全地帯」にベースとして加入すると、以降、しばしば「ヤマハポピュラーソングコンテスト」に出場するほか、自分たちの音楽を目指そうと、「ミュージカル・ファーマーズ・プロダクション(MFP)」を設立し、メンバーと共同生活を送りながら、猛練習に励んでいたという、宮下隆宏(みやした たかひろ)さんですが、レコードデビューする前に「安全地帯」を脱退していたといいます。

今回は、そんな宮下隆宏さんの若い頃(「安全地帯」加入から脱退まで)の経歴を時系列でご紹介します。

宮下隆宏

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宮下隆宏のプロフィール

宮下隆宏さんは、1957年頃生まれ、
北海道の出身、

ちなみに、「宮下隆宏」は本名です。

宮下隆宏は16歳頃に「安全地帯」にベースとして加入していた

宮下隆宏さんは、1973年11月、玉置浩二さんの実兄・玉置一芳さん(ドラマー)と共に、「安全地帯」に、ベースとして加入したそうですが、

それまで、ガロの「学生街の喫茶店」を演奏するなど、フォーク路線だった「安全地帯」は、玉置一芳さんの影響で、「レッド・ツェッペリン」や「ブラック・サバス」などのハードロック路線に転向したそうです。

玉置一芳と宮下隆宏

宮下隆宏は16歳頃から「安全地帯」として「ヤマハポピュラーソングコンテスト」に出場していた

また、宮下隆宏さんと玉置一芳さんが新たにメンバーに加わり、玉置浩二さん(ボーカル)、武沢豊さん(ギター)、武沢俊也さん(ギター、キーボード)の5人編成となった「安全地帯」は、同年(1973年)から、「ヤマハポピュラーソングコンテスト(第6回)」に出場するようになると、以降、第11回を除く第13回まで連続で出場したそうですが、

(「ヤマハポピュラーソングコンテスト」は、当時、プロを目指すアマチュアミュージシャンの登竜門だったそうです)

第13回への出場を最後に一区切りつけ、”自分たちの音楽を目指す””東京から旭川にファンを呼ぶバンドになる”ことに方向転換したのだそうです。

(「安全地帯」は、第12回では、「昔にみたもの」で北海道代表となり、初めて全国大会に出場したそうですが、何も賞を獲ることができずに終わってしまったそうです)

宮下隆宏が20歳頃「安全地帯」は「六土開正バンド」を吸収合併し8人編成となっていた

そんな中、宮下隆宏さんら「安全地帯」は、1977年6月、ドラムの玉置一芳さんが脱退し、その後、大平市治さんが加入すると、

かねてよりライバルとして注目していたバンド「六土開正バンド」と親交を深め、1977年12月には、「六土開正バンド」を吸収する形で合併したそうで、

「六土開正バンド」の六土開正さん(キーボード)、矢萩渉さん(ギター)、田中裕二さん(ドラム)さんを加えた「安全地帯」は、宮下隆宏さん(ベース)、玉置浩二さん(ボーカル)、武沢豊さん(ギター)、武沢俊也さん(ギター、キーボード)、大平市治さん(ドラム)と、8人編成となったのだそうです。

北海道時代の「安全地帯」
アマチュア時代、8人編成だった時の「安全地帯」。後列左から2人目が宮下隆宏さん。

宮下隆宏は21歳頃、田中裕二と揉める玉置浩二の鼻をパンチし大けがを負わせていた

その後、宮下隆宏さんら「安全地帯」は、「安全地帯」専用のスタジオ(練習場)を作るべく、1978年2月、北海道旭川市郊外の永山にある廃屋(農機具小屋)を借りて、自分たちでリフォームしたそうですが・・・

(「安全地帯」専用のスタジオ(練習場)は、「ミュージカル・ファーマーズ・プロダクション(略称MFP=”音楽を耕す農夫集団”の意)」と命名したそうです)

完成前日の打ち上げで、玉置浩二さんと田中裕二さんが揉め始め、宮下隆宏さんが止めに入ったそうですが、宮下隆宏さんのパンチが玉置浩二さんの鼻に直撃してしまったそうで、

玉置浩二さんは鼻の骨を折る大ケガを負って入院・手術となり、「安全地帯」は、スタジオ完成から2ヶ月、玉置浩二さん不在の活動となってしまったのだそうです。

宮下隆宏は「安全地帯」としてヤマハ主催の「第1回 ステージフライト」に出場しグランプリを獲得していた

こうして、いろいろありながらも、「ミュージカル・ファーマーズ・プロダクション(MFP)」で共同生活をしながら、猛練習に励んだ「安全地帯」は、

1978年7月には、ヤマハ主催の「第1回 ステージフライト」に出場すると、「RACE」という曲で、見事、グランプリを獲得し、

ベスト部門で、宮下隆宏さんが「ベストベース」、田中裕二さんが「ベストドラム」、玉置浩二さんが「ベストボーカル」を獲得したのだそうです。

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宮下隆宏が「安全地帯」を脱退した理由とは?

ただ、宮下隆宏さんは、同年(1978年)11月、「安全地帯」を脱退しており、

宮下隆宏さんは、脱退した理由について、

個人賞を獲って天狗になった

辞めてラクになりたかった

玉置さんの才能についていくのは大変だった

などと、語っています。

(この時、宮下隆宏さんと同時に、田中裕二さんも「安全地帯」を脱退しています)

「宮下隆宏の現在はジビエ(狩猟)専門フランス料理店(結婚式場)を経営!」に続く

お読みいただきありがとうございました

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