1990年、バンド「フリッパーズ・ギター」として、2枚目のシングル「恋とマシンガン」がヒットすると、続く、2枚目のアルバム「CAMERA TALK」もヒットし、たちまち人気を博した、小山田圭吾(おやまだ けいご)さん。

今回は、小山田圭吾さんの、若い頃(「フリッパーズ・ギター」としてデビューしてから解散するまで)のアルバムやシングルほか経歴を時系列でご紹介します。

小山田圭吾

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小山田圭吾は20歳の時に「フリッパーズ・ギター」として1stアルバム「three cheers for our side~海へ行くつもりじゃなかった」でレコードデビュー

小山田圭吾さんは、1989年8月25日、「フリッパーズ・ギター」として、ファーストアルバム「three cheers for our side~海へ行くつもりじゃなかった」でレコードデビューを果たしているのですが、

実は、同年8月の初旬頃、友達の車に乗っていた際、交通事故に遭い、全治6ヶ月の重傷を負って3ヶ月の入院を余儀なくされていたそうで、

小山田圭吾さんは、

発売日が8月25日だったんですが、その月の頭ぐらいに友達の車に乗ってたら交通事故に遭っちゃったんです。なので、発売日は病院で迎えました。ベッドに固定され脚を牽引した状態のまま(笑)

と、語っています。

「three cheers for our side~海へ行くつもりじゃなかった」
「three cheers for our side~海へ行くつもりじゃなかった」

ちなみに、小山田圭吾さんの乗っていた車が、後方から追突されて対向車線に押し出され、助手席に座っていた小山田圭吾さんは、ダッシュボードと座席の間に挟まれて骨盤を骨折したそうで、

入院中も、しばらく足を動かすことができず、車椅子にも乗れなかったそうですが、幸い、手は動かせたことから、病室ではひたすらギターの練習をしていたそうです。

小山田圭吾が退院後「フリッパーズ・ギター」は小沢健二との2人編成となっていた

その後、小山田圭吾さんは、同年(1989年)11月に退院し、松葉杖をつきながら、音楽活動に戻ったそうですが、

(「フリッパーズ・ギター」は、小山田圭吾さんが入院中、音楽活動を一時停止していたそうです)

「フリッパーズ・ギター」は、メンバーの、井上由紀子さん、吉田秀作さん、荒川康伸さんの3人が脱退し、小沢健二さんとの2人編成となったそうです。

小山田圭吾は21歳の時「フリッパーズ・ギター」として2ndシングル「恋とマシンガン」が10万枚以上を売り上げる大ヒット

そんな「フリッパーズ・ギター」は、1990年1月25日には、ファーストシングル「Friends Again」をリリースしているのですが、

「Friends Again」
「Friends Again」

1990年5月5日にリリースした2枚目のシングル「恋とマシンガン」は、10万枚以上を売り上げる大ヒットを記録したのでした。

「恋とマシンガン」
「恋とマシンガン」

小山田圭吾は21歳~22歳の時に2ndアルバム「CAMERA TALK」と3rdアルバム「DOCTOR HEAD’S WORLD TOWER -ヘッド博士の世界塔-」が大ヒット

さらに、続く、同年(1990年)6月6日(小山田圭吾さん21歳)にリリースした2枚目のアルバム「CAMERA TALK」も、オリコンチャート6位の大ヒットを記録すると、

1991年7月10日にリリースした3枚目のアルバム「DOCTOR HEAD’S WORLD TOWER -ヘッド博士の世界塔-」もオリコンチャート8位にランクインする大ヒットとなったのでした。

小山田圭吾は22歳の時に突然「フリッパーズ・ギター」を解散していた

しかし、そんな「フリッパーズ・ギター」も、「DOCTOR HEAD’S WORLD TOWER -ヘッド博士の世界塔-」リリースからわずか2ヶ月後の1991年10月、突然、解散。

すでにチケットの発売が開始されていたライブツアー直前の解散だったことから、世間からは、批判も浴びているのですが、

小山田圭吾さんは、解散に至った経緯について、

フリッパーズの時は契約とかもよく分からず、何か言われるままに曲を作っていましたね。最初は5人でしたが、曲を作っていたのは小沢(健二)と僕の2人だけで。

レコード会社のお金でスタジオでレコーディングできるというのでやっていましたけど、いろいろやってみるけど、自分が思うようにできないということも感じてました。

(フリッパーズは)突然やめちゃったんで、当時、新聞にたたかれたり、みんなに迷惑かけました。なにか一つ理由があったわけじゃなく、もうお互い、そういう感じになってたんです、きっと。「やめよっか」みたいな感じだったと思います。

と、語っています。

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小山田圭吾の「フリッパーズ・ギター」時代のシングルとアルバム一覧

それでは、最後に、小山田圭吾さんの「フリッパーズ・ギター」時代のシングルとアルバムをご紹介しましょう。

シングルでは、

  • 1990年1月25日「Friends Again」
    「Friends Again」
    「Friends Again」
  • 1990年5月5日「恋とマシンガン」
    「恋とマシンガン」
    「恋とマシンガン」
  • 1990年9月25日「カメラ! カメラ! カメラ!」
    「カメラ! カメラ! カメラ!」
    「カメラ! カメラ! カメラ!」
  • 1990年11月21日「LOVE TRAIN」
    「LOVE TRAIN」
    「LOVE TRAIN」
  • 1991年3月20日「GROOVE TUBE」
    「GROOVE TUBE」
    「GROOVE TUBE」
  • 1991年8月25日「星の彼方へ」
    「星の彼方へ」
    「星の彼方へ」

アルバムでは、

を、リリースしています。

「【画像】小山田圭吾(コーネリアス)の若い頃から現在までの代表曲や経歴は?」に続く

お読みいただきありがとうございました

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