圧倒的なテクニックと音楽的センスで、「ザ・フィンガーズ」「フライド・エッグ」「クリエイション」など、数々の伝説的バンドで活躍し、日本のロック・ギタリストの草分け的存在である、成毛滋(なるも しげる)さん。
そんな成毛滋さんは、幼い頃からアメリカンポップスやロックなどの洋楽に親しむなど、音楽に恵まれた環境で育ち、中学生の時、アコースティック・ギターを始めると、高校生の時には、映画で見た「ザ・シャドウズ」の演奏に衝撃を受け、エレキギターに転向していたといいます。
今回は、成毛滋さんの、幼少期(生い立ち)から「ザ・フィンガーズ」のアマチュア時代までをご紹介します。
成毛滋のプロフィール
成毛滋さんは、1947年1月29日生まれ、
東京都の出身、
学歴は、
慶應義塾幼稚舎(小学校)
⇒慶應義塾普通部(中学校)
⇒慶應義塾高等学校
⇒慶應義塾大学卒業
ちなみに、「成毛滋」は本名です。
成毛滋の祖父はブリヂストン創業者、従兄弟は鳩山由紀夫・邦夫
成毛滋さんは、
おじいさんが、ブリヂストン創業者である石橋正二郎さん、
お父さんが、同社の副社長、
妹さんが、漫画家の成毛厚子さん、
また、鳩山威一郎氏は母方の伯母の夫で、鳩山由紀夫氏・邦夫氏兄弟は従兄弟、
という、由緒ある一家です。
成毛滋は幼い頃から洋楽に恵まれた環境で育っていた
成毛滋さんは、ブリヂストン社の副社長だったお父さんのもと誕生したそうですが、
実家は、進駐軍と深い関わりを持っていたそうで、幼い頃から蓄音機でアメリカのレコードを聴くなど、洋楽に恵まれた環境で育ったそうです。
成毛滋は中学時代にアコースティック・ギターを始めていた
そんな成毛滋さんは、小学校時代は、歌舞伎のマネや西部劇に凝っていたそうで、
中学時代には、後に「ザ・フィンガーズ」のメンバーとなる、朝吹誠さん(成毛滋さんの祖父の石橋正二郎さんと同郷の政治家・石井光次郎氏の孫)、齋藤茂一さん、髙橋信之さんらと、8ミリ映画を撮るほど映画が好きだったそうですが、
勉強がおろそかになり、心配した両親によって、東大生の家庭教師をつけられたそうで、
今度は、その東大生がカントリ-・ギターを愛用していたことから、このことに影響を受け、次第にアコースティックギターに興味を持つようになったそうです。
成毛滋は高校1年生(16歳)の時にバンド「The cool boys」を結成
その後、成毛滋さんは、慶応普通部(中学)の卒業祝いにギタ-を買ってもらえることなったそうで、銀座のヤマハを訪れると、
偶然、ドラムセットを買いにきていた朝吹誠さんと出会ったそうで、
朝吹誠さんと二人で、高橋信之さん、斉藤茂一さん、三野村清さんらを誘って「The cool boys」を結成し、エルヴィス・プレスリーやアメリカン・ポップスの音楽のカバーをするようになると、
やがて、成毛滋さんは、映画でイングランドのロックバンド「ザ・シャドウズ」がエレキギターを演奏する姿を見て衝撃を受け、エレキギターに転向したそうで、
その後、「The cool boys」は、バンド名を、「The savage」⇒「ブルー・サウンズ」と改名し、16歳の時、品川の高輪閣で開催された小学生時代の恩師を囲む「おやじ会」でステ-ジ・デビュ-を果たしたのだそうです。
(「The savage」時代には、自主制作EP盤を制作したそうです)
成毛滋は17歳の時に「ザ・ベンチャーズ」より直々にギターの奏法を教えてもらっていた
そんな成毛滋さんは、1965年1月3日より開催された「ザ・ベンチャーズ」の日本公演を観に行ったそうですが、その際、自分たちとは全く違った演奏方法に愕然としたそうで、
その理由を確かめたいと、思い切って、「ザ・ベンチャーズ」の楽屋を訪れ、「ザ・ベンチャーズ」のメンバーから直々にギターの奏法を教えてもらったといいます。
ただ、それでも、最初は全く分からなかったそうですが、「ザ・ベンチャーズ」のナンバーを練習しているうち、ギターの弦を上に押し上げてピッチを高くする奏法(ベンディング)の存在に気づいたそうで、メンバー全員がそのことに感激し、バンド名を「ザ・フィンガーズ」に改名したのだそうです。
ちなみに、この奏法は「ザ・ベンチャーズ」のノーキー・エドワーズさんが行っていたもので、成毛滋さんが気がつく以前から広く使用されているものだったそうですが、
当時の日本で売られていたギターの弦では実現が難しかったため、成毛滋さんは独自の方法としてギターの弦を一段低い方にずらし、1弦にバンジョーの高音弦を張るという方法を考案したのだそうです。
成毛滋は18歳の時に「ザ・フィンガーズ」としてグループ・サウンズ「ザ・スパイダース」と共演していた
こうして、「The cool boys」から、「The savage」⇒「ブルー・サウンズ」⇒「ザ・フィンガーズ」と改名した成毛滋さんらは、その後も精力的に音楽活動を展開すると、
1965年2月(成毛滋さん18歳)には、高校生バンドながら、銀座ヤマハホールで開催されたコンサートで、プロの人気グループ・サウンズ「ザ・スパイダース」とも共演しています。
成毛滋が大学進学後は「ザ・フィンガーズ」は髙橋信之と2人だけになっていた
その後、成毛滋さんは、1965年春、慶應義塾大学に進学したそうですが・・・
発足からのメンバーだった、ドラムスの朝吹誠さんは海外留学、ベースの斎藤茂一さんは交通事故に遭い、バンドのメンバーは、成毛滋さんと髙橋信之さんの2人だけになってしまったそうです。
それでも、成毛滋さんと髙橋信之さんの、バンドを存続させたいという強い意志で、様々なバンドに助っ人を頼み、活動を続けたのだそうです。
成毛滋は19歳の時に「ザ・フィンガーズ」として「勝ち抜きエレキ合戦」で4週連続勝ち抜き、グランドチャンピオンに輝いていた
そんな「ザ・フィンガーズ」は、1966年(成毛滋さん19歳)には、テレビ番組「勝ち抜きエレキ合戦」に出場すると、1週目は「荒城の月」を演奏して最高得点、
2週目は「ゼロ戦」、3週目は「ノラ」、4週目は「灯りのない町」で、他を寄せ付けない高得点を獲得し、
同年7月、「エレキ日本一決定戦」では、「ツィゴネルワイゼン」「荒城の月」を演奏すると、見事、グランド・チャンピオンに輝いたのでした。
また、「ザ・フィンガーズ」は、同年の「歴代グランド・チャンピオン大会」でも優勝すると、全国的な注目を集め、成毛滋さんの驚異的な早弾きは、多くのギタリストを驚かせたのでした。
「【画像】成毛滋の若い頃(プロデビュー後)から死去までのアルバムほか経歴は?」に続く
1960年代後半、自ら結成したバンド「ザ・フィンガーズ」で頭角を現し、圧倒的なギターテクニックで注目を集めると、その後も、「ストロベリー・パス」、「フライド・エッグ」など、数々のバンドで日本のロック黎明期をけん引し、プロ …