1960年代から1980年代にかけて、当時はまだ珍しかった女性作詞家として、昭和の歌謡界に数々の名曲を残すほか、その洗練された私生活が度々メディアでも取り上げられるなど、時代の先端を行くファッションアイコンとしても注目を集めていた、安井かずみ(やすい かずみ)さん。
そんな安井かずみさんは、プライベートでは、結婚を2回、離婚を1回しているのですが、今回は、安井かずみさんの前夫(最初の夫)との、馴れ初め、離婚に至る経緯、離婚理由についてご紹介します。
「安井かずみと沢田研二の関係は?「危険なふたり」は願望の表れだった?」からの続き
安井かずみの前夫(最初の夫)新田信一との馴れ初めは?
安井かずみさんは、1967年、実業家の新田信一さんと結婚しています。
(新田信一さんは、”新田ジョージ”と呼ばれていました)
安井かずみさんは、1964年秋、25歳の時、イタリアンレストラン「キャンティ」のオーナー夫人である川添梶子さんが主宰するパーティーで新田信一さんと知り合うと、お互い、美術、テニス、スキーなどのスポーツや車が好きだったことから、すぐに意気投合したそうですが、
実は、新田信一さんは、アメリカンスクールに通った後、アメリカへ留学するなど、外国暮らしが長かったことから、日本では、周囲と話が合わず、ずっと、部外者のような存在だったそうで、そんな、どこか孤独な影のある新田信一さんに、安井かずみさんが自分自身を重ね合わせていったのだそうです。
安井かずみの前夫(最初の夫)新田信一は大富豪の息子なうえマルチリンガルでルックスも良かった
ちなみに、新田信一さんは、イタリアのポリテクニコディトリノ工科大学で建築美術を学び、その後、ニューヨークのユニオンカレッジと上智大学で経済学を学んだ後、お父さんが経営する赤坂のナイトクラブに併設されたデパート部門を任されていたそうですが、
大富豪の息子なうえ、英語、イタリア語、フランス語、スペイン語が堪能で、美術、建築、音楽にも造詣が深く、ルックスも、背が高く、がっしりした体格で、ツイードのジャケットを粋に着こなすとてもかっこいい男性だったといいます。
安井かずみは前夫(最初の夫)新田信一と同棲を経て結婚していた
さておき、安井かずみさんは、1965年春、初めて新田信一さんとデートをすると、それから半年後、安井かずみさんが暮らしていた南青山三丁目のマンションで同棲を始めたそうですが、
そんな中、安井かずみさんが、新田信一さんと仲間たちと一緒に志賀高原にスキーに出かけた際、くるぶしを骨折してしまい、しばらく、新田信一さんの助けがなければ身動きが取れない生活となってしまったそうで、
このことをきっかけに、安井かずみさんが、一気に、新田信一さんとの結婚を考えるようになったそうで、安井かずみさんと新田信一さんは、1966年10月、イタリア・ローマで結婚式を挙げたのだそうです。
(新田信一さんの友人が数人参列するだけのアットホームな結婚式だったそうです)
そして、結婚式の後は、電車やバスでヨーロッパ中を旅行すると、帰国後は、外国人用にしつらえた、代官山の東急アパートの1LDKで暮らし始めたのだそうです。
(建築に詳しい新田信一さんが、超モダンな内装にリフォームしたそうで、安井かずみさんは、そんな新田信一さんの影響でセンスが磨かれていったそうです)
安井かずみが仕事を再開すると前夫(最初の夫)新田信一とギクシャクするようになっていた
そんな、人もうらやむ新婚生活を送っていた2人だったのですが、帰国後、安井かずみさんが作詞の仕事を再開すると、(作詞家という仕事の性質もあり)関係者と毎晩遊び歩く生活となったそうで、
これに対し、真面目な性格の新田信一さんが、怒って物を投げたりするようになり、2人の間は、ギクシャクするようになっていったといいます。
安井かずみは前夫(最初の夫)新田信一とニューヨークに移住するも生活に馴染めず家出していた
また、そんな中、安井かずみさんと新田信一さんは、1968年6月、ニューヨークに移住すると、
(安井かずみさんには、この移住をきっかけに夫婦の仲が再び良くなることを願う気持ちもあったそうです)
新田信一さんが新たに始めた、アクセサリーの製作・販売の仕事がすぐに軌道に乗り、高収入を得たそうで、安井かずみさんもアクセサリー作りを手伝うようになったそうですが・・・
安井かずみさんは、先の見えない生活に不安を覚えるようになったほか、ニューヨークの殺伐とした空気にも馴染めなかったそうで、
ついには、そんな生活に耐えられなくなり、ニューヨークでの生活が8ヶ月過ぎた頃、
パリに服を買いに行きます
と、書き置きを残し、ニューヨークの家を飛び出したまま、帰らなかったのだそうです。
安井かずみと前夫(最初の夫)新田信一の離婚理由は?
実は、安井かずみさんは、友人で「渡辺プロダクション」の副社長・渡邊美佐さんが仕事でパリにいることを知り、会いに行ったそうですが、
これをきっかけに、離婚を決意したそうで、1969年3月に日本に帰国し、同年6月、離婚が成立したのだそうです。
ちなみに、安井かずみさんの友人で、3人でニューヨークで一緒に遊んだことがあるというファッションデザイナーのコシノジュンコさんは、安井かずみさんと新田信一さんの離婚の理由について、
ジョージ(新田信一さんのこと)はすごくいい人だった。行動や美意識が感心するぐらい素敵で、粋だった。でも真面目な人で、そういう人との安定した生活にZUZU(安井かずみさんのこと)は退屈した
と、語っています。
一方、新田信一さんは、安井かずみさんから離婚したいと告げられた時、裏切られたと怒り、また、自尊心が傷つけられたと感じたそうですが、
その後、
彼女は正しい選択をした。あのままニュ―ヨークにいたら、(安井かずみさんは)病気になっていた
と、語っているほか、
安井かずみさんと別れた後に、一度だけ夕食を共にしたことがあったそうですが、安井かずみさんの隣には2番目の夫・加藤和彦さんが、新田信一さんの隣には新しいガールフレンドがいたそうで、
新田信一さんは、その時のことを、
(安井かずみさんは)幸せそうでした。『いい人がいて、よかったね』と僕は言いました。加藤さんは頭がよくて、優しそうだった。それから週刊誌などで彼女の活躍を見ると、頑張っているんだなぁって。あの人は頑張り屋さんでしたから
と、語っていたといいます。
「安井かずみの2番目の夫・加藤和彦との馴れ初めは?結婚生活は?子供は?」に続く
1969年6月、実業家の新田信一さんと離婚すると、その後は、恋に仕事にと自由を謳歌していたという、安井かずみ(やすい かずみ)さんですが、1977年には、ミュージシャンの加藤和彦さんと再婚しています。 今回は、安井かずみ …