1964年、18歳の時、日活映画「風と樹と空と」に出演すると、1967年には、「痴人の愛」でヒロインを務め、たちまち、脚光を浴びた、大楠道代(おおくす みちよ)さん。
そんな大楠道代さんは、モデルとして活動していた高校時代に、舛田利雄監督にスカウトされて、「河内ぞろ どけち虫」とその続編に端役で出演すると、その後、舛田利雄監督に誘われて上京し、「風と樹と空と」に出演したものの、女優になるつもりは全くなかったそうですが、
翌年、若山富三郎さんと勝新太郎さんから直々にオファーを受けたといいます。
今回は、大楠道代さんの、幼少期(生い立ち)から本格的に映画界入りするまでをご紹介します。
大楠道代の国籍は?本名は?
大楠道代さんは、1946年2月27日生まれ、
中国天津市の出身(国籍は日本)、
学歴は、
武庫川学院高等学校
⇒武庫川学院短期大学国文科中退
ちなみに、「大楠道代」は本名で、旧姓は「安田道代」だそうです。
大楠道代は幼い頃からファッションが大好きだった
大楠道代さんは、物心ついた頃からファッションが大好きだったそうで、
幼い頃、連れて行ってもらった仕立て屋さんで色の好みを聞かれると、必ず「黒」と答え、それ以外の色は拒否するなど、この頃から、服を装うことへのこだわりが強かったそうです。
(大楠道代さんが幼い頃は、まだ、既製服があまり普及しておらず、服を手に入れるには、オーダーメイドか家庭洋裁が主流だったそうです)
大楠道代は高校時代にスカウトされて「河内ぞろ どけち虫」とその続編に端役で出演していた
そんな大楠道代さんは、高校時代、叔父さんが広告代理店に勤めていたことがきっかけで、モデルの仕事を始めたそうですが、
そんな中、「河内ぞろ どけち虫」の撮影で大阪に来ていた舛田利雄監督にスカウトされ、「河内ぞろ どけち虫」とその続編に端役で出演したそうです。
大楠道代は大学在学中に映画「風と樹と空と」に出演するもその後の女優契約を断っていた
また、その後、大楠道代さんは、舛田利雄監督に誘われて上京し、1964年、18歳の時には、吉永小百合さん主演の日活映画「風と樹と空と」に、本名の「安田道代」名義で出演し、本格的に女優デビューを果たしたそうですが、
契約を結ぶ段階になると、大楠道代さんは、憧れの石原裕次郎さんを間近で見ることができて満足していたことから、女優になる気がなく、この契約を断って、大阪に帰ったのだそうです。
大楠道代は短大時代に勝新太郎から直々にオファーを受けて映画界入りしていた
しかし、翌年の1965年、短大生になった大楠道代さんのもとに、若山富三郎さんからオファーがあったそうで、この時も、大楠道代さんは、このオファーを断ったそうですが、
続いて、若山富三郎さんの弟・勝新太郎さんからもオファーが来たそうで、
大楠道代さんが、直接、断ろうと撮影所に行くと、
そこで、勝新太郎さんに、
ちょっとおいで
と、衣装合わせに連れて行かれたそうで、豪商の娘の衣装を着せられたそうですが、
その衣装があまりに綺麗で、幼少期からファッションには目がなかった大楠道代さんは、つい、
やります!
と、言ってしまったそうで、
正式に大映と契約を結ぶことになったのだそうです(笑)
「【画像】大楠道代の若い頃(デビュー)から現在までの出演映画や経歴は?」に続く
1967年、21歳の時には、映画「痴人の愛」で体当たりの演技を見せ、青春スター路線から、異色演技派女優への転身に成功すると、以降、数多くの映画やテレビドラマに出演し、 1975年からは、結婚により一時活動を休止するも、1 …