1963年、「高校三年生」で歌手デビューすると、いきなり100万枚を売り上げる大ヒットを記録し、瞬く間にスターとなった、舟木一夫(ふなき かずお)さんですが、
幼い頃は、お父さんが事業に失敗し、小学1年生の時には、お母さんが家を出て行くと、その後は、貧しい暮らしの中、のべ9人もの継母と暮らすなど、複雑な少年時代を過ごしたそうで、
そんな中、中学1年生の時、お父さんと9番目の継母の間に弟が誕生し、弟を幸せにしてあげたいとの気持ちから、稼げる仕事は何か考えていると、ある時、テレビで歌手を見て、歌手の道を志すようになったといいます。
今回は、舟木一夫さんの、幼少期(生い立ち)からスカウトされて上京するまでをご紹介します。

舟木一夫のプロフィール
舟木一夫さんは、1944年12月12日生まれ、
愛知県中島郡萩原町(現・一宮市)の出身、
身長172センチ、
体重66キロ、
靴のサイズは25センチ、
血液型はO型、
学歴は、
愛知高等学校
⇒自由ヶ丘学園高等学校(転入)卒業
趣味は、ペン収集、時計収集だそうです。
舟木一夫の本名は?
ちなみに、舟木一夫さんの本名は「上田成幸(うえだ しげゆき)」というそうですが、
2人の武将、楠木正成(くすのき まさしげ)と真田幸村(さなだ ゆきむら)から一字ずつ取って名付けられたそうです。
舟木一夫の芸名の由来は?
また、芸名の「舟木一夫」については、当初は、「舟木和夫」と名付けられる予定だったそうですが、
舟木一夫さんが、
和はひ弱な感じがあるので、一にして欲しい
と希望し、「一夫」になったそうです。
ただ、舟木一夫さんは、
(「和夫」は)紙に書いたら字が縦に長くなって横倒しになりそうで頼りない感じがしたので、「和」を「一」にして“つっかえ棒”としてほしい、とお願いした
とも、語っています。
舟木一夫が幼い頃は父親の事業の失敗で貧しい暮らしを余儀なくされていた
舟木一夫さんは、お父さんの上田栄吉さんとお母さんの昌子さんのもと、長男として誕生すると、お父さんは、もともと、バクチ打ちで、足を洗った後、芝居小屋を営み、興行師として活動していたそうですが、
事業に失敗すると、舟木一夫さんが小学校1年生の時には、お母さんが家を出ていく形で両親が離婚したそうで、
舟木一夫さんはお父さんと暮らすことになったそうですが、とても貧しい生活を強いられたそうです。
舟木一夫は幼い頃のべ9人もの母親がいた
そんな中、お父さんは、舟木一夫さんが小学校3年生の時に再婚したのを皮切りに、その後、女性を取っ替え引っ替えしていたそうで、
実際に結婚していたかどうかは不明ですが、舟木一夫さんには、小学校6年生まで、延べ9人もの母親がいたといいます。
ちなみに、舟木一夫さんは、9人目の母親にあたる上田節さんが、本当のお母さんのように愛情深くて優しく、一番好きだった旨語っているのですが、
上田節さんは、手記に、
わたしをみるなり、八重歯をのぞかせて、ほんの少し笑ってくれた顔が、張り詰めたわたしの気持ちを一瞬ときほぐしてくれたのを今でも覚えています。
わたしのことは、すでに、父親から言い聞かされていた成幸(舟木さんの本名)は、わたしの前に両ひざをそろえてキチンと座ると、「ぼく成幸です。」と、ぺこりとおじぎをしました。
「ぼうや、わたしのことをなんて呼んでくれる?おばちゃん?おかあちゃん?」
すると、成幸は、わたしの顔をじっとみつめ、「ぼく、おかあさんて呼びます」
わたしは、思わずヒザの上にキチンとそろえた、成幸の小さな手をにぎりしめていました。
と、舟木一夫さんと最初に出会った日のことを綴っており、
舟木一夫さんの第一印象が良かったことが、その後の舟木一夫さんに対する愛情の深さにつながったのかもしれません。
舟木一夫は小学4年生の時に音楽に興味を持つようになっていた
さておき、舟木一夫さんは、小学4年生の時、肩こりが酷かったおばあちゃんの肩叩きをいつもしてあげていたそうで、ある時、おばあちゃんから、ご褒美にハーモニカをプレゼントしてもらったそうですが、
ラジオで三橋美智也さんの歌を聴いたこともきっかけとなり、音楽に興味を持つようになったそうです。

幼少時代の舟木一夫さん。
舟木一夫は中学1年生の時に13歳年下の弟を幸せにしたいと思い歌手の道を志していた
その後、舟木一夫さんが中学1年生の時、お父さんと9番目のお母さんの間に、弟・幸正さんが誕生したそうですが、舟木一夫さんは、この弟をとてもかわいがっていたそうで、
やがて、
弟の幸正が物心つくまでには世間並みの暮らしをさせてやろう、そのために自分はどんな仕事に付けばいいのか。
と、考えるようになり、
学業を終えたら、自らの能力を活かして短時間で収入を得たいと思うようになったそうで、
そんな中、友人宅のテレビで歌手の姿を目にして、「これしかない」と確信し、「歌手になって、弟を幸せにしてあげたい」と歌手の道を志すようになったそうです。
舟木一夫は中学3年生の時に歌の教室に通うようになっていた
そこで、舟木一夫さんが、中学2年生の終わり頃、お父さんに、
歌の勉強をするため、教室に通わせてほしい
と、頼み込みと、
中学校の音楽教師の仲介により、指揮者の山田昌弘氏を紹介してもらったそうで、
中学3年生の時には、名古屋市内の教室でレッスンを受けるようになったのだそうです。
舟木一夫は高校2年生の時にスカウトされて上京していた
そんな舟木一夫さんは、1962年、高校2年生の2月、地元CBCテレビの番組「歌のチャンピオン」に出場し、松島アキラさんの「湖愁」を歌うと、見事、チャンピオンに輝いたそうですが、


松島アキラさん(右は当時)。
その夏、地元、名古屋で行われた「松島アキラショー」に友達と一緒に観に行くと、
ステージ上の松島アキラさんが、
(「湖愁」を)誰か一緒に歌わないか
と、客席に向かって尋ねた際、
隣に座っていた友達に手首を掴まれ、手を挙げさせられたそうで、ステージに上がり、松島アキラさんと一緒に、「湖愁」を歌い切ると、それを見ていた芸能関係者にスカウトされたそうで、
舟木一夫さんは、翌年の1963年5月、遠藤実さんのレッスンを受けるため、上京したのだそうです。
「【画像】舟木一夫の若い頃は「高校三年生」でデビュー即ブレイクしていた!」に続く
![]()
学園3部作と呼ばれる「高校3年生」「修学旅行」「学園広場」が立て続けに大ヒットし、橋幸夫さん、西郷輝彦さんと共に「御三家」と称されて、アイドル的な人気を博した、舟木一夫(ふなき かずお)さん。 今回は、舟木一夫さんの、若 …







