サックス奏者として活動を始めて以来70年以上に渡って音楽活動を続け、国際的にも高い評価を受けている、渡辺貞夫(わたなべ さだお)さんですが、

2023年、90歳の時には、突然の体調不良により、その長いキャリアの中で初めてライブ公演を中止し、多くのファンを心配させました。

また、渡辺貞夫さんは、1980年代にも、C型肝炎を患い、体調不良に悩まされていたといいます。

今回は、渡辺貞夫さんがC型肝炎と診断されるまでの経緯や、90歳で狭心症の手術を受けていたことについてご紹介します。

渡辺貞夫

「渡辺貞夫の兄は殺人事件の被害者だった!弟は渡辺文男!妹はチコ本田!」からの続き

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渡辺貞夫は48歳頃に原因不明の体調不良に見舞われていた

渡辺貞夫さんは、1981年に、アルバム「オレンジ・エクスプレス」をリリースしているのですが、

ちょうどこの頃、ニューヨークでの録音を終え、帰国すると、異常なほどの疲労感で体が動かなくなっていたそうで、急遽、入院したそうですが、原因は分らなかったそうです。

また、スケジュールがぎっしり詰まっていたことから、医師の言う事を聞かずに、米国公演を行い、その後、国内公演も行ったそうで、一連のスケジュールを終えてから、1982年の初めに、ようやく入院したのだそうです。

(ステージの上では不思議と大丈夫だったそうですが、それ以外の時はとにかく体が重かったそうです)

渡辺貞夫は体調不良により5ヶ月間の療養生活を送っていた

こうして、渡辺貞夫さんは、5ヶ月もの間、療養生活を送ったそうですが、

(最終的に、この体調不良はC型肝炎と判明したそうです)

実は、主治医に、

あなたは美味しいものを食べてのんびり余生を過ごしてください

と、まるで人生が終わったかのようなことを言われていたそうで、

渡辺貞夫さんは、かまわず、病室で曲を書いていたのだそうです。

(奮起したわけではなく、好きなことをやっていただけだったそうです)

渡辺貞夫は体調不良の中、不本意なアルバム「ランデブー」が大ヒットしていた

そして、それから数年間は、体調不良を抱えながらの活動が続いていたそうですが、そんな中、1983年には、アルバム「フィル・アップ・ザ・ナイト」、1984年には、アルバム「ランデブー」をリリースすると、

「ランデブー」は、米国の音楽誌「ビルボード」の全米ジャズ・チャート2位となる大ヒットを記録し、渡辺貞夫さんの国際的な評価を高めたのですが、

渡辺貞夫さんは、

この2作は、制作側の方針でポップに寄りすぎた音作りになった。どこか不本意な作品でした。病み上がりで体調が万全でなく、僕自身、プロデューサーと渡りあって、主張を通す気力に欠けていたのも悔やまれました

と、語っており、

不本意な作品が大ヒットするという皮肉な結果で、心から喜べなかったようです。

渡辺貞夫はC型肝炎が順調に回復していた

さておき、その後、渡辺貞夫さんは順調に回復したそうで、1985年には、アルバム「マイシャ」をリリースしているのですが、このアルバムは、とても満足のいくものだったようで、

渡辺貞夫さんは、

(前2作の反省から自身がプロデュースを担当し)好きにやらせてもらったアルバムです

日中は気温50度を超える砂漠を四輪駆動の車で延々と走る過酷な旅で、同行したスタッフは次々とダウンしました。病み上がりの僕が一番元気でしたね。

砂漠やオアシスの風景、そこに生きる人々や風物などに触発され曲作りをしました。ジャケットの女性の写真は、僕が現地で撮影したもので、その意味でも思い出深い作品です

と、語っています。

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渡辺貞夫は90歳の時に狭心症の手術を受けるも無事に回復していた

その後も、渡辺貞夫さんは、順調に音楽活動を続けていたのですが、2023年10月(渡辺貞夫さん90歳)には、予定されていた複数の公演を中止しています。

(長いキャリアの中、公演を中止するのは初めてのことだったそうです)

実は、狭心症の手術を受けるためだったそうで、約2週間入院し、カテーテル手術を受けたそうですが、術後は順調に回復し、退院からわずか1週間ほどでステージに復帰したそうで、

2025年、92歳の現在も、精力的に全国ツアーを行っています。

(渡辺貞夫さんは、2024年にかけて、ほかにも、肝臓ガン、胃ガン、帯状疱疹と様々な病気に見舞われていたそうですが、いずれも、早期発見、早期治療により回復していたそうです)

「渡辺貞夫の妻との馴れ初めは?結婚後の夫婦仲は?子供は娘が1人!」に続く

お読みいただきありがとうございました

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