ロシア人のお父さんと日本人のお母さんの間に誕生すると、1958年、14歳の時に雑誌「装苑」のモデル募集で2000人の中から1位に選ばれてモデルデビューし、

1964年には、「世界一チャーミングなモデル」に選ばれるなど、1960年代、モデルとして人気を博した、入江美樹(いりえ みき)さん。

今回は、そんな入江美樹さんの、若い頃(幼少期~モデルとして活動)から現在までの経歴と、ルーツである、父親、母親、家系図などをご紹介します。

入江美樹

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入江美樹のプロフィール

入江美樹さんは、1944年8月13日生まれ、
神奈川県横浜市の出身、

身長165センチ、

学歴は、
サンモール・インターナショナル・スクール中退、

また、
日本語のほか、英語、フランス語、ロシア語が堪能だそうです。

入江美樹の本名は?芸名の名付け親は永六輔

入江美樹さんの本名は、ヴェラ・ヴィタリエヴナ・イリーナ(元木・ヴェラ・イリーン)で、結婚後は、「小澤ヴェラ」です。

また、モデルとして活動を始めた当初は「元木信子」名義だったそうですが、その後、永六輔さんにより、「入江美樹」と名付けられ、改名したそうです。

入江美樹はハーフ(父親はロシア人、母親は後に料理研究家の入江麻木)

入江美樹さんのお父さんは、ロシア貴族の末裔で、ヴィタリー・ペトロヴィチ・イリーンさんと言うそうで、

1917年、母国・ロシアで勃発したロシア革命の際、お父さん(入江美樹さんの祖父)のピョートルさんに連れられて、大連(満州の一部)に逃れると(亡命)、その後、日本大学法学部に留学したそうで、

(ロシア革命後、多くの白系ロシア人が満州地域(特にハルビンや大連)に逃れてコミュニティを形成したそうで、入江美樹さんのお父さんの家族もその流れで満州に移住したと考えられているのですが、当時、満州は日本の影響下にあり、ロシア人移民がたくさん住んでいたそうです)

東京・四谷で割烹旅館を営む入江美樹さんのおばあさんが、ロシア人留学生の身元保証人となったことがきっかけで、その娘である元木君江さん(入江美樹さんのお母さん)と知り合うと、双方の家庭からの大反対を押し切り、1942年に結婚にしたそうです。

ただ、娘の入江美樹さんがモデルとして活動を始めると、元木君江さんは、娘のサポートに専念するようになったことから、夫のヴィタリー・ペトロヴィチ・イリーンさんの申し出で離婚したそうで、

その後、元木君江さんは、50代の時に、「入江麻木」として料理研究家に転身しています。

入江美樹
幼い頃の入江美樹さんとお母さんの元木君江(入江麻木)さん。

入江美樹は14歳の時に2000人中1位に選ばれ雑誌「装苑」のモデルになっていた

さておき、ロシア人のお父さん・ヴィタリー・ペトロヴィチ・イリーンさんと日本人のお母さん元木君江(入江麻木)さんのもと誕生した入江美樹さんは、

1958年、14歳の時、モード雑誌「装苑」のモデル募集を見つけたお手伝いさんと2人で、お母さんに内緒で、お化粧をした写真を送って応募すると、2000人の中から、見事1位に選ばれ、「元木信子」名義でモデルとして活動を始めたそうですが、

(競争率は200倍以上という難関だったそうです)

ファッション誌やテレビに登場したことで、学校から注意を受け、高校2年生の時に中退すると、日本人の通う高校に転校を考えたそうですが、漢字が苦手だったため、断念したそうで、

デザイナーの森英恵さんは、日本経済新聞「私の履歴書」で、15歳頃の入江美樹さんについて、

初めて会ったのは1950年代末、銀座の私のお店だった。服飾雑誌の写真撮影をするため編集者とお母さんに連れられて訪れた彼女はまだ高校生。

内気な少女でいまにもこわれそうな繊細な雰囲気を漂わせていた。みるみるうちに輝きを増してトップモデルになったのである。

と、綴っています。

入江美樹は18歳~19歳頃「シャボン玉ホリデー」のマスコットガールで人気を博していた

そんな入江美樹さんは、1963年、19歳の時には、「シャボン玉ホリデー」のマスコットガールとして出演すると、

番組の冒頭で、テーマ曲であるハープの音色をバックに、大きなシャボン玉を膨らませる可憐な姿が人気を博します。

入江美樹
「シャボン玉ホリデー」出演時の入江美樹さん。

入江美樹は19歳の時に「世界一チャーミングなモデル」に選ばれていた

また、入江美樹さんは、1960年代は、森英恵さんのショーに数多く出演しており、1964年4月には、アメリカラスベガスデザート・インで開かれた「第1回インターナショナル・ファッション・フェスティバル」で、森英恵さんのコレクションのモデルとして出場すると、「世界一チャーミングなモデル」に選ばれており、

森英恵さんは、この時のことを、日本経済新聞の「私の履歴書」で、

オートクチュールのショーでは、伝統的にコレクションの最後をウエディングドレスで締めくくる。シーズンの創作の集大成である。私達は、この華やかな結婚衣装を「お嫁さん」と呼ぶ。

ショーでどのモデルがお嫁さんに選ばれるか・・・出演するモデルたちの注目の的である。私は仮縫いをしながら、最後に決める。お嫁さんのショーの最後を飾る華である。新しい人生のスタートを切る時の福にふさわしい初々しさが大切だ。

思い出深いのは、小沢ヴェラさん。かつての入江美樹さんである。1960年代に日本で開いていたショーでは、いつも彼女がお嫁さん役だった。

1964年、ラスベガスで開かれた国際ファッション・フェスティバルに共に出席したが、彼女が私のデザインした服を着て「世界一チャーミングなモデル」に選ばれた時は興奮した。

と、綴っています。

入江美樹は22歳の時には映画「他人の顔」で女優デビュー

そんな入江美樹さんは、1965年には、「第16回NHK紅白歌合戦」の審査委員を務めるほか、1966年には、勅使河原宏監督の映画「他人の顔」で女優デビューを果たしています。

入江美樹
「他人の顔」より。

入江美樹は24歳の時に小澤征爾と結婚後はファションデザイナーに転身していた

そして、1968年、24歳の時には、指揮者の小澤征爾さんと結婚すると、結婚後は、モデル・女優活動を引退し、

「小澤ヴェラ」として、ファッションデザイナーに転身して、レディスブランド「ザ・ギンザ・バイ・ミズ・ヴェラ」を手掛けるほか、主に子供服の分野で活動していたのですが・・・

入江美樹の現在は?

その後、入江美樹さんは、公の場での活動がほとんど見られず、

2024年に夫の小澤征爾さんが他界された時は、小澤征爾さんの過去の活躍とともに、追悼関連の記事で、入江美樹さんの名前が挙がることが多かったのですが、

入江美樹さん本人の直接的なコメントや活動情報は掲載されませんでした。

入江美樹さんは、現在、80歳を回る高齢ということもあり、私生活を重視した静かな日々を送っていると思われます。

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入江美樹の家系図

それでは、最後に、入江美樹さんの家系図をご紹介しましょう。

入江美樹の家系図
入江美樹さんの家系図

「入江美樹の夫・小澤征爾との馴れ初めは?子供は小澤征良と小澤征悦!」に続く

お読みいただきありがとうございました

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