1986年、育児に専念していた妻の九重佑三子さんが芸能界に復帰すると、以降、夫婦2人での活動を始めるも、2007年には、突然、足が動かなくなり(歩行困難)、病院を何件も回るも原因不明で、医師からは「一生車椅子」と宣告されていたという、田辺靖雄(たなべ やすお)さんですが、

妻・九重佑三子さんのスパルタ式のリハビリで、奇跡的に歩けるようになっていたといいます。

今回は、田辺靖雄さんが、足が動かなくなった時の状況や歩けるようになった経緯をご紹介します。

田辺靖雄

「【画像】田辺靖雄の若い頃から現在までのヒット曲ほか経歴は?」からの続き

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田辺靖雄は原因不明の足の病気で「一生車椅子」を宣告されていた

田辺靖雄さんは、これまで病気をしても、一日寝れば大丈夫なほど丈夫だったそうですが、2007年、ある日のこと、突然、足が動かなくなったそうで、妻の九重佑三子さんに、すぐに病院に連れて行かれたそうですが、

いくつもの病院を回って検査をしても原因が分からず、ある病院では、「ストレス」と言われるも、治療法がない状態だったそうです。

(田辺靖雄さんは、長年、歌手として大勢の観客の前で歌を歌ってきているのですが、実は、緊張しやすい性格で、以前から、強いストレスを感じると、足にビリビリとしびれる感覚があったそうです)

そして、医師から強く入院を勧められ、

さらには、

これから一生車椅子生活を覚悟してください

と、言われたといいます。

田辺靖雄は妻・九重佑三子のスパルタ式リハビリで歩けるようになっていた

ただ、これを聞いた妻の九重佑三子さんは、

冗談じゃない!私が治す!

と言って、入院を拒否し、田辺靖雄さんを連れて帰ったそうで、

医師の診断を聞いて弱気になり、車椅子に乗って居心地がいいと言う田辺靖雄さんに、

人は慣れると楽しようとして、立ち直れなくなる

と、叱咤激励し、

田辺靖雄さんは、足に力が入らず、つっぱって歩けない状態だったにもかかわらず、田辺靖雄さんの大好きなコーヒーやタバコを手が届かない少し遠くの方に置き、自分で歩いて取りに行くように仕向けるほか、厳しくリハビリさせたそうで、

田辺靖雄さんは、後に、

当時は足が動かないことよりも精神的にきました。ですから、気持ちで負けないように、「なにくそっ」と思いながらリハビリをしていました。

と語っているのですが、

田辺靖雄さんは、この時、人生で初めて、「こんちくしょう!」と思いながら、動かない足を動かそうと頑張ったそうで、これが功を奏し、田辺靖雄さんの足は奇跡的に治り始め、約一年後には、すっかり良くなり、歩けるようになったのだそうです。

(田辺靖雄さんを襲ったこの病気は、いまだに謎のままで、心因性の疾患ではないかと言われているそうです)

田辺靖雄は原因不明の歩行困難を克服し医師に驚愕されていた

また、九重佑三子さんは、医師に、その年に予定していたコンサートは絶対に無理だと言われていたにもかかわらず、あえてコンサートを中止にしなかったそうですが、

田辺靖雄さんは、見事、その年のコンサートに出演すると、ステージ中央までゆっくりと自分の足で歩いていき、歌い切ったそうで、

それを見た医師は、

どこで治したんですか?

と、驚いたといいます。

そんな田辺靖雄さんは、

この病気がきっかけになって、ものごとを俯瞰(ふかん)して見られるようになりました。僕はそれまで人と接するのが苦手だった。面倒だったんですね。

でも、日本歌手協会の会長を仰せつかって、引き受けた。それも病気になったからこそです。昔の僕を知ってる人は、やっちんがまさか会長とはねって笑います。(笑)

と、語っています。

ちなみに、田辺靖雄さんが、「歩行困難を経験したことをきっかけでに福祉活動に力を入れるようになった」との記事がネット上で多数見受けられますが、

実際には、田辺靖雄さんは、それよりもっと早くの1993年に、収益金の一部から車椅子を寄贈する「田辺靖雄ハートフルチャリティーコンサート」を開始しており、2001年には、寄贈した車椅子が2000台を超えています。

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田辺靖雄は80歳の時に人工関節の手術を受けていた

ただ、そんな田辺靖雄さんも、寄る年波には勝てず、その後、股関節を痛め、2025年5月には、人工関節の手術を受けており、

”80歳の壁”をひしひしと感じている

と、語っているのですが、

それでも、退院して1週間後には、ライブのステージに立っています。

「田辺靖雄の元カノは大原麗子!馴れ初めは?破局理由は?その後は?」に続く

お読みいただきありがとうございました

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