秋吉敏子さんとチャーリー・マリアーノさんを両親に持ち、1991年、アルバム「mangetsu」でシンガーソングライターとしてデビューすると、アシッドジャズシーンで精力的に活動し、アシッドジャズの先駆者としても知られている、Monday満ちる(まんでい みちる)さん。
そんなMonday満ちるさんは、11歳でフルートを習い始めたそうですが、24歳の時に、相米慎二監督にスカウトされて、映画「光る女」の主演を務めると、いきなり「日本アカデミー賞新人俳優賞」を受賞して脚光を浴び、以降、「秋吉満ちる」名義で、テレビドラマ、映画、CM、ラジオに出演するなど、女優やモデルとして活動していました。
今回は、Monday満ちるさんの、幼少期(生い立ち)、女優として活動していた頃の出演作品(テレビドラマ、映画)などをご紹介します。

Monday満ちる(秋吉満ちる)のプロフィール
Monday満ちるさんは、1963年8月19日生まれ、
東京都の出身、
学歴は、Interlochen Arts Academy卒業?
血液型はAB型、
だそうです。
Monday満ちるの本名の由来は?旧芸名は秋吉満ちる
Monday満ちるさんの本名は、「Monday Michiru Sipiaguine(旧姓は「Monday Michiru Mariano」)」だそうですが、
月曜日に生まれたことから「Monday」、育つに従って人間的に満ちてくるようにとの願いから「満ちる」と名付けられたそうです。
また、旧芸名は「秋吉満ちる」です。
Monday満ちる(秋吉満ちる)の母親は秋吉敏子、父親はチャーリー・マリアーノ
Monday満ちるさんは、
お母さんが、ジャズピアニストの秋吉敏子さん、
お父さんが、アルト・サックス奏者のチャーリー・マリアーノさん、
という、音楽家の一家です。
(ただ、両親は、Monday満ちるさんが2歳の時に離婚しています)
Monday満ちる(秋吉満ちる)は母・秋吉敏子が日本公演で帰国した際に誕生していた
当初、お母さんの秋吉敏子さんとお父さんのチャーリー・マリアーノさんはアメリカで暮らし、音楽活動をしていたそうですが、
お母さんの秋吉敏子さんが、1963年に、日本公演のため帰国した際、Monday満ちるさんを妊娠していたことから、そのまま日本に滞在し、Monday満ちるさんを東京で出産したそうです。
Monday満ちる(秋吉満ちる)は2歳の時に両親が離婚
こうして、Monday満ちるさんは、しばらく、お母さんの秋吉敏子さんに日本で育てられたそうで、
1965年、Monday満ちるさんが2歳頃、お父さんのチャーリー・マリアーノさんが待つニューヨークに戻ったそうですが・・・
お父さんのチャーリー・マリアーノさんは、前妻との家族の問題に巻き込まれていたそうで、ほどなくして別居となると、そのまま、同年に両親は離婚となったそうです。
Monday満ちる(秋吉満ちる)は幼少期の4年間を両親と離れて過ごしていた
両親が離婚後、Monday満ちるさんは、お母さんの秋吉敏子さんに育てられたそうですが、お母さんは、生活のために働かなくてはいけないため、Monday満ちるさんは、1年間、日本の病院に預けられたそうです。
そして、その後、お母さんの生活の拠点であるアメリカへ呼び戻されたそうですが、3歳になると、今度は、大分県別府市のお母さんの姉の所に3年ほど預けられたそうです。
Monday満ちる(秋吉満ちる)は6歳の時に母親と義理の父親(ルー・タバキン)の3人で暮らし始めていた
ただ、1969年、Monday満ちるさんが6歳の時、お母さんの秋吉敏子さんが、テナーサックス奏者のルー・タバキンさんと再婚したそうで、
ようやくお母さんに引き取られ、義理のお父さん(ルー・タバキンさん)と3人で生活することになったのだそうです。
Monday満ちる(秋吉満ちる)は母・秋吉敏子に厳しく育てられていた
とはいえ、秋吉敏子さんは、自伝「ジャズと生きる」で、
母がスパルタ教育だったので、社会に出て一人で生活できたが、その影響で素直に愛情を示すことができず娘に(自分の母にされたように)同様に接した。
規則を作り厳しく守らせた。厳しくするばかりで肩を抱いてやることはなかった
私は母としては完全に失格者だと思う
一番大切なのは人間同士の愛情と後で知った
と、綴っており、
Monday満ちるさんは、念願のお母さんとの暮らしも、厳しく育てられたようです。
Monday満ちる(秋吉満ちる)は11歳の時にフルートを習い始めていた
そんな中、Monday満ちるさんは、8歳の時にモダンダンスとバレエ、11歳の時にフルートを習い始め、フルート奏者になることを夢見みていたそうで、
その後、「The Armstrong Flute Association」と「Interlochen Arts Academy」から奨学金を獲得し、「Interlochen Arts Academy」に進学したそうです。
(「The Armstrong Flute Association」は、フルートメーカー「The Armstrong」に関連する財団で、Monday満ちるさんが獲得した奨学金は、才能ある若手フルート奏者の育成のために提供したものだと思われます。また、「Interlochen Arts Academy」の何科に進学したかは不明ですが、「Art」は芸術一般を差し、音楽も含まれているので、ここで音楽を勉強していたと思われますが、それ以上の情報はなく詳細は不明です)
Monday満ちる(秋吉満ちる)は24歳の時に相米慎二監督作品「光る女」の主演に抜擢され「日本アカデミー賞新人俳優賞」を受賞していた
その後、Monday満ちるさんは、1987年、24歳の時には、女優の経験がなかったにもかかわらず、相米慎二監督にスカウトされて、映画「光る女」の主演に抜擢され、「秋吉満ちる」名義で、不思議な存在感を持つヒロイン(オペラ歌手)を演じると、
見事、「日本アカデミー賞新人俳優賞」を受賞し、一躍、脚光を浴びています。
Monday満ちる(秋吉満ちる)の出演作品(テレビドラマ)
すると、その後も、Monday満ちるさんは、
テレビドラマでは、
- 1988年「ハートブレイクなんてへっちゃら」第1話
- 1989年 火曜サスペンス劇場「窓の女」※主演

「窓の女」より。 - 1990年 火曜ミステリー劇場「遠い国からの訪問者」
Monday満ちる(秋吉満ちる)の出演作品(映画)
映画では、
- 1988年「椿姫」
- 1990年「ZIPANG」
などに、「秋吉満ちる」名義で出演するほか、ラジオやCMなどにも出演し、女優、モデルとして活動しています。

1988年、25歳頃のMonday満ちる(秋吉満ちる)さん。
「【画像】Monday満ちるの若い頃から現在までの代表曲やアルバムほか経歴は?」に続く
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1991年、28歳の時、アルバム「mangetsu」で本格的にミュージシャンとしてデビューすると、ジャズとソウルをベースに、アシッド・ジャズやクラブ・ミュージックを融合させた洗練されたサウンドで日本のクラブシーンを牽引し …












