20代前半の頃は、高倉健さんの紹介で東映東京撮影所の大部屋俳優となり、東映の任侠映画にエキストラとして出演していたという、石倉三郎(いしくら さぶろう)さん。
今回は、石倉三郎さんの下積時代(東映の大部屋俳優時代)を高倉健さんとのエピソードを交えてご紹介します。

「石倉三郎の生い立ちは?幼少期は極貧!中卒後就職も役者目指し上京していた!」からの続き
石倉三郎は20歳で上京し青山のユアーズでアルバイトをしながら劇団の研究生になっていた
中卒後、地元で会社員になるも、ひょんなことがきっかけで、役者を目指すべく上京を決意したという石倉三郎さんは、20歳の時、会社を辞め、片道4時間半かけて大阪から上京したそうで、
東京では、新大久保の最中(もなか)屋に就職し、飴こを練る仕事をしていたそうですが、ある時、石倉三郎さんが役者を目指していることを知ったパートさんに、スターがたくさんいる青山に行くことを勧められたそうで、
石倉三郎さんは、青山に行ったところで何をしていいかは分らなかったそうですが、とりあえず、休みの日、東京見物がてら青山に行ってみると、たまたま、(深夜営業の走りだった)高級スーパー「ユアーズ」が従業員を募集していたことから、応募すると、採用されたそうで、
以降、夕方から深夜まで「ユアーズ」で必死にアルバイトをして、毎月、お母さんに仕送りをしながら、劇団の研究生になったそうです。
(石倉三郎さんは、もともと三木のり平さんに憧れており、三木のり平さんの内弟子になりたかったそうですが、お母さんへの仕送りと両立することができないため、断念したそうです)
石倉三郎は高倉健に紹介されて東映の大部屋俳優になっていた
そんな石倉三郎さんは、アルバイトの食事休憩の後にたまたま入った喫茶店で、高倉健さんを見かけたそうですが、その後も、その喫茶店に行くと、いつも高倉健さんがいたそうで、
それから、3ヶ月ほど経った頃には、高倉健さんから、
サブちゃん、ちょっとこっちおいでよ
と、声をかけられといいます。
(高倉健さんは、喫茶店のママが石倉三郎さんを「サブちゃん」と呼ぶのを覚えてくれていたのでした)
そして、
高倉健さん:サブちゃん、喧嘩が好きなの?
石倉三郎さん:嫌いですよ喧嘩なんてのは
高倉健さん:そうだよなぁ、じゃあなんで毎日そんなに赤タン青タン吹いてんの?
石倉三郎:バイト先で遊び人風の人らに絡まれたり・・・
高倉健さん:バイトしてるってことは、将来なんか夢でもあるのか?
とのやり取りをしたそうですが、
石倉三郎さんが、まさか大スターの前で俳優を目指しているなんで言えず、誤魔化していると、
このやり取りを聞いていた喫茶店のママが、
実はこの子、役者志望なんですよ
と、言ってくれたそうで、
高倉健さんが、
それでバイトしてんのか
と、言ったことから、
石倉三郎さんが、
そうなんです。でも劇団の研究生なんて金取られるばっかりで、ダメですよ
と、愚痴(ぐち)ると、
高倉健さんは、
じゃあ東映に来いよ。金もらえるから。通行人とかエキストラだけど、出演料がでるからさ、そこで勉強すりゃいいじゃないか
と、誘ってくれたのだそうです。
ただ、石倉三郎さんが、
だって俺、素人ですよ
と、言うと、
高倉健さんは、
いや、俺だって最初は素人だよ
と、言ってくれたそうで、
石倉三郎さんが、迷わず、
はい!お願いします!
と、答えると、
その後、すぐに、東映東京撮影所の大部屋に入れてもらったのだそうです。
石倉三郎が25歳の時に東映東京撮影所を退社した理由とは?
こうして、1967年、20歳の時、東映東京撮影所の大部屋俳優となった石倉三郎さんは、念願の芸能界デビューも果たしたそうですが・・・
5年が経過した1972年(石倉三郎さん25歳)には東映を退社してしまったといいます。
というのも、石倉三郎さんさんは、大部屋俳優として、主に任侠映画で斬られ役などをしていたそうですが、大部屋での生活は厳しく、そのうえ、スタッフから理不尽なイジメに遭っていたそうで、
ついに堪忍袋の緒が切れてそのスタッフを殴ってしまい、東映を辞めざるを得なくなったのでした。
石倉三郎は東映退社後も高倉健にはずっと可愛がられていた
ちなみに、ちょうどこの頃、高倉健さん主演の映画「網走番外地」シリーズのロケ中だったことから、
石倉三郎さんは、すぐに高倉健さんに呼ばれ、
ヤクザの世界では『膝まで泥水につかる』って言うけど、サブちゃん、この世界に首までつかる度胸はあるか?
と、聞かれたそうで、
石倉三郎さんが、
あります
と、答えると、
高倉健さんは、
じゃあ、がんばれ
と、言ってくれたそうですが、
高倉健さんは、石倉三郎さんの退社理由がスタッフとのケンカだと知ると、
役者は絶対けんかなんかしちゃだめだ
と、怒ったそうです。
それでも、高倉健さんとの交流はその後も続いたそうで、石倉三郎さんがコメディアンとして成功した時には、
電話で、
よく頑張った
と、言ってもらうなど、高倉健さんには、いつも気にかけてもらっていたそうで、
石倉三郎さんは、インタビューで、
結婚した時に、スイスのコンスタンチンをいただいて、名前が売れてから初めて共演した「忠臣蔵 四十七人の刺客」(1994年)では、ロレックスをいただきました。
と、高倉健さんから2回も高級腕時計をプレゼントされたことも明かしています。
また、ネーム入りのペンダントもプレゼントされたことがあったそうですが、そこには、
芸に耐え、苦に耐え、煩に耐え、閑に耐え、競わず、争わず、もって大事をなすべし
と、彫られてあったのだそうです。
「石倉三郎が若い頃(下積時代)は坂本九とビートたけしを兄と慕っていた!」に続く
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