東映退社後は舞台に出るも鳴かず飛ばずで、その後、漫才に転向するも、相変わらずパッとしない日々が続いていたという、石倉三郎(いしくら さぶろう)さんは、33歳の時には、ついに芸能界を引退し、トマトの水耕栽培会社の立ち上げに参加していたそうですが、
レオナルド熊さんに誘われ、芸能界に復帰すると、1981年、35歳の時には、レオナルド熊さんと結成した「コント・レオナルド」が鋭い社会風刺コントで大当たりとなり、一躍脚光を浴びました。
ただ、相方のレオナルド熊さんとは仲が悪く、ケンカを繰り返していたといいます。
今回は、石倉三郎さんの若い頃(「ラッキーパンチ」時代~「コント・レオナルド」時代まで)をご紹介します。

「石倉三郎が若い頃(下積時代)は坂本九とビートたけしを兄と慕っていた!」からの続き
石倉三郎は33歳の時にレオナルド熊と漫才コンビ「ラッキーパンチ」を結成するも早々に解散していた
仲良太郎さんとの漫才コンビ「チャップリンズ」が振るわず、解散した石倉三郎さんは、その後、1979年、33歳の時には、レオナルド熊さんと、漫才コンビ「ラッキーパンチ」を結成したそうですが、
レオナルド熊さんは、しばしば結核で倒れ、その度に収入が途絶えたことから、
石倉三郎さんは疲れ、
あんた、このままだと死んじゃうぜ? もうやめなよ。オレもやめるわ
と、言って、「ラッキーパンチ」は早々に解散したそうです。
石倉三郎は33歳の時に芸能界を引退しトマトの水耕栽培をする会社の立ち上げに参加していた
そして、石倉三郎さんは芸能界も引退したそうですが、ちょうどこの頃、アルバイト時代の先輩に誘われ、トマトの水耕栽培をする会社の立ち上げに参加したそうで、
まずは、千葉にある畑に水を通すパイプを埋めるため、朝から晩まで土掘りをしていたといいます。
石倉三郎はレオナルド熊に誘われ芸能界に復帰していた
そんな中、ある夜のこと、ようやく仕事が終わって宿舎に帰り、テレビをつけると、レオナルド熊さんが「コント・レオナルド」というコンビ名で出演していたそうで、
石倉三郎さんは、
はあぁ、この人、本当にこの世界が好きなんだなあ。がんばれよ
と、思っていたそうですが、
その後、なんと、レオナルド熊さんから電話がかかってきて、
相棒が逃げた。やってくんねえか
と、誘われたのだそうです。
そこで、石倉三郎さんは、一回だけ付き合おうと、ライブに参加したそうですが・・・
時代は折からの漫才ブームで、ビートたけしさんにも芸能界に戻って来るように言われたそうで、散々悩みながら千葉に帰ると、
先輩が、
芸能界に戻りたいんだろう?オレも疲れたし、もうやめる
と、言ってくれたそうで、
石倉三郎さんは、芸能界に戻ることを決意したのだそうです。
ちなみに、石倉三郎さんは、この時のことを、
あそこが、まさにオレの分岐点でしたねえ。あんなに悩んだことはなかったし、先輩の言葉が有り難かった。
先輩はそのあと尾上菊五郎さんのマネージャーになったんです。今度の舞台の稽古のときに再会しましてね。縁って不思議ですよねえ。
と、語っています。
石倉三郎は35歳の時にレオナルド熊と「コント・レオナルド」を結成すると一躍脚光を浴びていた
こうして、石倉三郎さんは、1981年、35歳の時、レオナルド熊さんと「コント・レオナルド」を結成(事実上、再結成)したそうですが、
社会を鋭く風刺するコントが大当たりとなり、石倉三郎さんは、一躍、脚光を浴びたのでした。

「コント・レオナルド」時代のレオナルド熊さん(左)と石倉三郎さん(右)。
石倉三郎は39歳の時、人気絶頂の中「コント・レオナルド」を解散していた
そして、その後も、「コント・レオナルド」は安定した人気を誇っていたのですが・・・
人気絶頂の中、1985年10月には解散。
実は、解散の理由は、石倉三郎さんとレオナルド熊さんの不仲だったといいます。
というのも、レオナルド熊さんにとって、「コント・レオナルド」は石倉三郎さんとのコンビではなく、「自分のグループ」という意識が強く、自分が「コント・レオナルド」の知名度を上げたという強いプライドを持っていたそうで、
(実際、シナリオを書いていたのはレオナルド熊さんだったそうです)
そのため、レオナルド熊さんは、何度も、石倉三郎さんに無断で、弟子や若手を引き連れ、地方で堂々と「コント・レオナルド」として営業していたそうで、
その度に、石倉三郎さんとレオナルド熊さんはケンカしていたというのです。

「コント・レオナルド」時代のレオナルド熊さん(左)と石倉三郎さん(右)。
しかし、ついに、石倉三郎さんは、そんなレオナルド熊さんに、堪忍袋の緒が切れたそうで、
(レオナルド熊さんの度重なる裏切りに)会ってぶん殴る気でいたけど、土下座して、『三郎さん、コンビを続けて下さい』って頼むんだ。いつもサブって呼んでるのに、何が三郎さんだっていうの。そのみじめな姿を見て、コンビを解消する決心がついたね
と、語っており、
その後、レオナルド熊さんとは絶縁。
1994年12月にレオナルド熊さんが他界するまで顔を合わさなかったといいます。
(レオナルド熊さんの葬儀には参列したそうです)
ちなみに、石倉三郎さんは、この時代のことは語りたがらず、近年になって、ようやく、サラッと語るまでにはなっているのですが、よほど、嫌気が差していたことが伺えます。
「【画像】石倉三郎の若い頃(俳優復帰後)から現在までの出演ドラマ映画は?」に続く

「コント・レオナルド」時代の石倉三郎さん(左)とレオナルド熊さん(右)。
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「コント・レオナルド」解散後は、俳優業にも復帰し、お笑いタレントと並行して活動を続けると、46歳の時、連続テレビ小説「ひらり」のヒロインの叔父役でのコミカルな演技で、一躍、全国区となり、さらに、48歳の時には、市川崑監督 …







