広岡達朗は巨人入団当初から川上哲治に嫌味を言われていた! 野球 大学4年生の終わり頃に、憧れの巨人から誘われた、広岡達朗(ひろおか たつろう)さんは、東京六大学野球のスター選手として、鳴り物入りで巨人に入団したそうですが、待っていたのは、とても厳しい上下関係だったといいます。 続きを読む
広岡達朗は大学時代「早稲田の貴公子」と呼ばれていた! 野球 早稲田大学野球部では、大学1年生からレギュラーに選ばれ、東京六大学野球リーグでは「早稲田の貴公子」と呼ばれるほどの人気を博したという、広岡達朗(ひろおか たつろう)さんは、大学3年生の時には、プロ野球の球団からスカウトの […] 続きを読む
広岡達朗は早稲田大学時代に三塁手から遊撃手に転向していた! 野球 高校入学当初は弱小だった野球部が、学校統廃合により強くなり、3年生の時には、あと一歩で甲子園出場というところまで行ったという、広岡達朗(ひろおか たつろう)さんは、その後、この試合を見ていた大学関係者から誘われて、早稲田 […] 続きを読む
杉下茂がフォークを多投しなかったのは味方からのクレームが原因だった! 野球 “打撃の神様”と称されていた川上哲治選手をして「捕手が捕れないのに打てる訳がない」と言わしめるほど、大きな落差のフォークボールを自ら編み出したという、杉下茂(すぎした しげる)さんですが、今回は、 […] 続きを読む
杉下茂の落差のあるフォークボールは川上哲治も打てなかった! 野球 プロ入り3年目の1951年2月下旬、サンフランシスコ・シールズのキャンプで、ほぼ直角に落ちるフォークボールを編み出したという、杉下茂(すぎした しげる)さんは、帰国後、シーズンで、”打撃の神様”と […] 続きを読む
杉下茂はフォークボールで中日入団2年目から27勝していた! 野球 帝京商業学校時代の監督で、明治大学では技術顧問だった天知俊一さんにフォークボールの存在を聞き、試行錯誤の末、投げ方を会得するも、試合で初めてフォークを投げた際、当たり損ないながらヒットになったことから、縁起が悪いと、以来 […] 続きを読む
杉下茂は中1のとき高等小学校大会に出場したことが大問題になっていた! 野球 1939年4月、旧制帝京商業学校(現・帝京大学中学校・高等学校)に進学するも、その年の3月まで在籍していた一ツ橋高等小学校から高等小学校の軟式野球大会に出場してほしいとの依頼を受け、4番投手で出場すると、見事、一ツ橋高等 […] 続きを読む
中西太は西鉄で兼任監督辞任と同時に現役引退もしていた! 野球 1964年には、エース稲尾和久投手の長期離脱や若林忠志ヘッドコーチの退団などで、西鉄ライオンズを5位に転落させてしまった、中西太(なかにし ふとし)さんは、その後、1965年は3位、1966年と1967年は2年連続2位と […] 続きを読む
中西太は西鉄監督時代に若林忠志ヘッドコーチ退団で批判されるも・・・ 野球 1961年のシーズン終了後、川崎徳次監督の後任として西鉄ライオンズの選手兼任監督となると、2年目の1963年には、見事、リーグ優勝を果たした、中西太(なかにし ふとし)さんですが、1964年、5位に転落すると、オフに若林 […] 続きを読む
中西太は兼任監督就任2年目で西鉄ライオンズを優勝に導いていた! 野球 プロ入り1年目には新人王、2年目には本塁打王と打点王の2冠王に加え、史上最年少でトリプルスリーを達成した、中西太(なかにし ふとし)さんは、その後も、4年連続本塁打王と4度の二冠王と、毎年、打撃3部門のいずれかのタイトル […] 続きを読む