夏木陽介の若い頃は?賀来千香子?現在も独身?パリダカでドライバーも!

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大学在学中、画家の中原淳一さんにモデルとしてスカウトされ芸能界入りすると、大学卒業後には東宝へ入社し、1965年、テレビ映画「青春とはなんだ」の主人公を演じて、たちまちお茶の間の人気者になった、夏木陽介(なつき ようすけ)さん。無類の車好きとしても有名で、1985年~1993年には、「パリ・ダカール」に出場するなど、ラリードライバーとしても活躍されました。




プロフィール!


夏木さんは、1936年2月27日生まれ、
東京都八王子のご出身です。

身長175センチ、

胸囲102センチ、
胴囲83センチ、

靴のサイズは26.5センチ、

本名は、
阿久沢 有(あくさわ たもつ)、

血液型はA型、

出身大学は、
明治大学経営学部卒業、

趣味は、
音楽鑑賞、読書、水彩画、

だそうです♪


モデルから俳優へ


夏木さんは、大学在学中、高校の同級生の、
ホキ徳田さん(現在はジャズ歌手)の、
おばあさんの家に寄宿していた画家の中原淳一さんに、

中原さんが発行する雑誌「ジュニアそれいゆ」
のモデルとしてスカウトされ、
1958年には、大学卒業と同時に東宝へ入社すると、

その後、中原さんに、

「夏の太陽の下で青い若木よ、大きく伸びよ、伸びよ」

との意味を込めた「夏木陽介」と命名され、
同年、「美女と液体人間」で映画デビュー。


「ジュニアそれいゆ」モデル時代の夏木さん。

以降、現代アクション、戦争映画、時代劇、怪獣映画、
青春映画、サラリーマン物、文芸映画、コメディと、
さまざまな分野の映画に出演し、
着実に演技のキャリアを積まれたのですが、

1964年頃、映画界が斜陽化の一途をたどりはじめると、
徐々に俳優業への情熱が冷め始め、

房総半島のレジャーランド計画(行川アイランド)に、
幹部待遇で迎えられて参画されるなど、
ビジネスへと関心が傾いていったそうです。

テレビ映画「青春とはなんだ」でブレイク!


そんな折、東宝の助監督だった松森健さんが、
テレビ映画「青春とはなんだ」で監督デビューすることになり、

スタッフのたっての願いもあり、夏木さんは、
主人公、野々村健介役のオファーを渋々受けられたのですが、
フタを開けると、ドラマは高視聴率を記録。


「青春とはなんだ」より。左から2人目が夏木さん。
その右隣は藤山陽子さん。


それに伴い、夏木さんも、
一躍、お茶の間での知名度を上げられると、

これをきっかけに、

1966年「これが青春だ!」
1967年「坊っちゃん社員 青春は俺のものだ!」
     「坊っちゃん社員 青春でつっ走れ!」
     「でっかい太陽」
     「燃えろ!太陽」

1968年「燃えろ!青春」


「これが青春だ!」より。

と、青春ものの映画に次々と出演し、
人気俳優となられたのでした。

そして、その後も、
映画、テレビドラマで順調に活動を続けられると、

1973年、俳優の三船敏郎さんから、

「力を貸して欲しい、俳優が必要なんだ。」

と誘いを受け、三船プロダクションに移籍。

その後は、本格的に活動の場をテレビドラマへと移し、

1973年「荒野の用心棒」
1975年~1979年「Gメン’75」
1979年「江戸の激斗」

などのドラマに出演されています。

「Gメン’75」をケンカで降板


ちなみに、テレビドラマ「Gメン’75」は、
1982年まで続く人気番組となっているのですが、
夏木さんは1979年に突然降板。

実は、夏木さんは、「Gメン’75」のロケの際、
プロデューサーの近藤さんと中華料理を食べに行かれたのですが、

夏木さんが先に支払いを済ませたことで、
近藤さんが怒りだし、二人は口論になったそうで、

(近藤さんは、プロデューサーという立場上、
 自分が支払いを、と考えていたのでした。)

最終的には、夏木さんが、

「悪いけど俺、この回終わったら(Gメン’75)辞めるから」

と、言い放ち、

その後、近藤さんが、降板のエピソードを作らせてほしい、
と、打診したそうですが、夏木さんは強く拒否。

結局、夏木さんは、突然、
ドラマから姿を消す形で降板されたのだとか。

ちょっと今では考えられませんが、
その後も夏木さんは普通に他のドラマに出演されているので、
特に大きな問題にはならなかったようですね。


「Gメン’75」より。(左から)原田大二郎さん、森マリアさん、
藤木悠さん、夏木さん。


「夏木プロダクション」で賀来千香子を育成


そんな夏木さんは、1982年に、
「三船プロダクション」を退社されると、

既に、1968年に設立するも、ほとんど活動していなかった
個人事務所「夏木プロダクション」の業務を本格的にスタートされ、

賀来千香子さん、西村和彦さん、
志村東吾さん、小沢仁志さん、小沢和義さんら、
後進の育成に励まれています。


ラリードライバーとして


そして、もともと、大の車好きだった夏木さんは、
1970年頃から、「パリ・ダカール・ラリー」
に興味を持たれていたそうで、

1985年頃からは、俳優業からも遠ざかり、
ラリードライバーとして活動。

1985年、49歳の時には、ご自身のチームを結成し、
自ら、三菱パジェロを運転して、
「パリ・ダカール・ラリー」に出場されると、

翌年の1986年にも2年連続で、
ドライバーとして出場されています。

また、1987年からは(1993年まで)、
三菱のサテライトチーム「チーム三菱・シチズン夏木」
の監督として引き続き出場されています。


夏木さん(中央)と篠塚建次郎さん(右)。
(1987年のパリ・ダカールラリーで3位)


1993年以降は、年齢のせいか、
ラリーには参加されていないようですが、

近年は、「金津創作の森」(福井県あわら)で、
毎年5月に行われるクルマ好きが集まるイベント、
FTP(フレンチ・トースト・ピクニック)に、

毎年欠かさずゲストで登場されているということで、
夏木さんの車好きは健在のようですね。


独身


ところで、夏木さんの、
気になるプライベートですが、

夏木さんはこれまで一度も結婚されておらず、
独身なのだとか。

2014年にテレビ番組に出演された際には、
結婚しない理由を、

俺さ、子供の頃から結構悪かったから。
例えば結婚して、男の子が生まれて、
俺と同じような性格の子が生まれたら多分、
自分の手で殺しちゃう。

と、仰天発言されています!

さて、いかがでしたでしょうか?

奔放な性格が、そのまま、
青春物のテレビドラマの主人公にハマった夏木さん。

2009年には、軽度の「脳梗塞」
2010年には、左の腎臓に「悪性腫瘍」が見つかり、
摘出手術を受けられるなど、体調面に不安を抱えられているようで、

2014年には、自身の高齢を理由に、(2014年で78歳)
「夏木プロダクション」を営業停止されていますが、

2016年現在、愛車のジャガーでの、
ドライブは楽しまれているということなので、
大事はなさそうですね♪



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