加藤雅也の若い頃は?元モデル!ハーフ?結婚相手は?子どもは?元彼女は?

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男性ファッション雑誌「メンズノンノ」の創刊号でモデルデビューをされ、その後、俳優に転身された、加藤雅也(かとう まさや)さん。50歳を過ぎてもなお、ダンディな魅力で多くのファンを惹きつける、元祖イケメンです。




年齢は?出身は?身長は?本名は?


加藤さんは、1963年4月27日生まれ、
奈良県奈良市のご出身、

身長183センチ、

血液型はA型、

学歴は、
奈良県立奈良高等学校
⇒横浜国立大学教育学部卒業(保健体育専攻)、

趣味・特技は、
英語、マーシャルアーツ、居合、ボクシング、
合気道、陸上競技、スキー、水泳、

資格は、
小学校教員免許、中学校・高校 保健体育教員免許、
普通自動車免許、スキューバダイビング免許、大型自動二輪車免許、

ちなみに、加藤雅也は本名で、
1990年までは、加藤昌也(読み同じ)
という芸名を使っておられました。


デビューは?若い頃は?


高校では陸上部に所属され、
インターハイにも出場された経験があるそうです。

そして、教師になりたくて、
横浜国立大学教育学部に進学されたのだとか。

スポーツに勉強にと、まさに文武両道ですね。

しかし、

スポーツができても、オリンピックに行けるわけではなく、
勉強ができても東大に入れるわけじゃない。

と、上には上がいるということを、
痛感されていた加藤さんは、

大学3年生の時、偶然、モデルマネージャーの方と知り合われ、
その方の勧めでモデルになられます。

それまでは、ファッション雑誌を見たこともなく、
モデルという仕事に対して、知識もなかったそうですが、

大学4年生になって、本格的に、
モデルの仕事を探し始められたのだとか。

しかし、何度売り込みにいっても断られ、
何度か通って、ようやく小さな仕事がもらえる程度だったそうです。

そんな時、女性ファッション雑誌「ノンノ」の特別編集版として、
男性向けファッション雑誌「メンズノンノ」が刊行され、

「おそらく近いうちに正式版が創刊されるはずだ。」

と、予想された加藤さんは、すぐに編集部にアポを取られ、
自身を売り込まれたのでした。

その甲斐あって、加藤さんはモデルに起用され、
当時モデルだった阿部寛さんとともに、
セイシェル島に出向き、撮影を行ったそうです。

そして、「メンズノンノ創刊号」の、
巻頭特集を飾られたのでした。



それは読者の大反響を呼び、創刊号から完売状態が続いたというから、
まさに夢のようなお話ですね。

加藤さんはその時のことを振り返り、

楽しかったですね。
モデル仲間には遊び回っている人もいたようですが(笑)、
僕にとってはせっかく掴んだだチャンス。

大学は卒業していたし、
本気でモデルとして一本立ちしようと決めていたから、
休みのときは遊んでも、仕事はすごく一生懸命でした。

どうやったら洋服がキレイに見えるだろうとか、
真剣に考えていましたよ。

と、インタビューで語っておられました。

そして、モデルとしてのキャリアを、
順調に重ねられた加藤さんは、
パリコレへの出演も果たされたのでした。

しかし、当時の男性モデルは、
ギリシャ彫刻のようなマッチョな体格が求められており、
加藤さんは体格的に少し小さかったそうです。

どう見ても大きい服を、かっこ良く着こなすことができずに、
肉体的な限界を感じられたのだとか。

そこで、

モデル以外で、何か別の表現方法はあるかと考えたときに、
以前CM撮影の現場で言われた、『動いている姿もいいね』
という言葉が頭に浮かんで、俳優を目指すようになったんです。

モデルと違い、俳優は体の大きさも含めて、
すべてが個性になりますからね。

と、俳優に転身された経緯を、
明かしておられました。

そして、1988年、
加藤さんは、25歳の時に、

映画「マリリンに逢いたい」で、
俳優デビューを主演で飾られます。


「マリリンに逢いたい」より。加藤さんと安田成美さん。

その後、ハリウッドデビューを果たすべく、
ハリウッドに進出された加藤さんですが、

言葉の壁にぶつかり、
その2年後の1990年に語学留学を決意。

モデル時代は、言葉がしゃべれなくても、
モデルクラブを突撃訪問して起用してくれるところが、
比較的多かったそうですが、

さすがに俳優では、そうはいかなかったようです。

それでも、1994年には、
本格的にハリウッドで俳優活動を開始され、

1996年には、様々な陰謀が渦巻くパリを舞台にした、
サスペンス映画「ボンテージ・ゲーム」で、
見事、準主役に抜擢。



しかし、当時の海外の人には、
典型的な日本人の容姿がウケたため、

加藤さんのような、彫りの深いイケメンは、
イメージに合わず、なかなか起用が難しかったようです。

2008年時点では、トーク番組で、

「まだまだハリウッドへ挑戦している」

と語っておられた加藤さんですが、
現在はどうでしょうか?

その辺りは分かりませんでしたが、
また、ハリウッド映画に出演される日が、
来るかもしれませんね。

出演ドラマ映画


それでは、ここで、
加藤さんのそのほかの出演作品もご紹介しましょう。

テレビドラマでは、

1988年「NEWジャングル」第28話
1989年「青春家族」
1992年「ジュニア・愛の関係」
1993年「誰にも言えない」第9話
1995年「ひとりにしないで」


「ジュニア・愛の関係」より。加藤さんと松雪泰子さん。

1996年「八月のラブソング」
1999年「ナオミ」
2000年「ドラマDモード 喪服のランデヴー」
2001年「聖徳太子」
2002年 NHK大河ドラマ「利家とまつ~加賀百万石物語~」

2004年「昨日の友は今日の敵?」
2005年 NHK大河ドラマ「義経」
2006年「アンフェア」
2007年「きらきら研修医」
2008年「Around40~注文の多いオンナたち~」


「Around40~注文の多いオンナたち~」より。藤木直人さんと加藤さん。

2009年「怨み屋本舗REBOOT」
2010年「タンブリング」
2011年「戦国疾風伝 二人の軍師 秀吉に天下を獲らせた男たち」
2012年「恋なんて贅沢が私に落ちてくるのだろうか?」
2013年 NHK大河ドラマ「八重の桜」

2014年「女はそれを許さない」
2015年「天皇の料理番」
2016年「逃げる女」
2017年「カンナさーん!」第3-6話
2018年「いつまでも白い羽根」


「カンナさーん!」より。渡辺直美さんと加藤さん。

映画では、

1988年「クレイジーボーイズ」
1989年「君は僕をスキになる」
1990年「マドンナのごとく」
1991年「よるべなき男の仕事・殺し」
1992年「落陽」


「落陽」より。加藤さんとダイアン・レインさん。

1993年「シンガポール・スリング」
1994年「セブンスフロア」
1995年「大失恋。」
1996年「クライング フリーマン」
1997年「ボンテージ・ゲーム」

1998年「GODZILLA」
1999年「残侠」
2000年「死者の学園祭」
2001年「BROTHER」
2002年「マッスルヒート」
2003年「許されざる者」


「許されざる者」より。北村一輝さんと加藤さん。

2004年「最後の晩餐-The Last Supper」
2007年「太陽が弾ける日」
2009年「新宿インシデント」
2010年「サヨナライツカ」
2011年「アンフェア the answer」

2013年「モンスター」
2014年「イン・ザ・ヒーロー」
2015年「罪の余白」
2016年「棒の哀しみ」
2017年「THE LAST COP/ラストコップ」
2018年「おみおくり」


「棒の哀しみ」より。加藤さんと神保悟志さん。

ほか、数多くの作品に出演されています。


ハーフ?


彫りの深い顔立ちと、183センチの長身のせいか、
加藤さんを、「ハーフ」で、
検索されている方が多いようです。

しかし、加藤さんは純日本人のようです。

こんなイケメンがいたら、
子どもの頃から目立ちそうですが、
加藤さんいわく、
全然そんな感覚はなかったのだとか。

謙遜されているのかもしれませんね


結婚相手は?子どもは?


さて、加藤さんのプライベートですが、
2006年、お医者さんと結婚されています。

一般の方の為、
情報はありませんでしたが、

加藤さんが映画の撮影中に怪我をしてしまい、
それがきっかけで知り合われたそうです。

そして、2010年には、
女の子が誕生しています♪


元彼女は?


さて、そんな加藤さんですが、
過去には、女優の藤原紀香さんと交際されていたとか。

時期は定かではありませんが、
2000年から2006年の間のようです。

藤原さんがCMの女王として、
引っ張りだこだった時期で、

これからのことを考えた、
藤原さんの事務所が交際に猛反対し、
藤原さんは、泣く泣く別れを選んだと言われています。



この話が本当だとすると、
お互い嫌いになって別れたわけではないので、
加藤さんも辛かったと思いますが、

それを乗り越えて、
現在では幸せを掴まれているようなので、
良かったですね。

イケメン人気モデルから、
見事に俳優として成功された加藤さん。

これらからも末永いご活躍を期待したいですね。
応援しています!!



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