映画「男はつらいよ」や、テレビドラマ「白い巨塔」などに出演され、一躍トップ女優となられた、太地喜和子(たいち きわこ)さん。大女優としての地位を確立された一方で、プライベートでは、恋多き女として数多くの恋愛を重ねられています。
そんな太地さんの、華やかだったプライベートを中心に調べてみました!
三國連太郎と激しい恋に落ちる
太地さんは、1959年、15歳の時、「東映ニューフェイス」の第6期に合格されると、高校に通いながら、演技のレッスンを積まれ、1年後の1960年、17歳の時、「東映」と専属契約を結ばれます。
当時の太地さん(「悪魔の手毬唄(1961)」より)
この時、太地さんは、女優の仕事にすべてを捧げようと思われていたそうですが、それから2年後、19歳の時、当時、39歳で妻子持ちの三國連太郎さんと知り合われると、たちまち激しい恋に落ちてしまい、映画「飢餓海峡」の撮影中だった三國さんを追って、北海道まで押しかけたこともあったとか。
「飢餓海峡」より。三國連太郎さん。
ほどなくして、太地さんは、妻子を置いて家を出た三國さんと同棲を始められるのですが、たったの半年で、三國さんが逃げ出してしまい、破局。(3ヶ月という説もあり)
別離直後、太地さんは、失意のどん底に叩きつけられるのですが、お芝居に救われ、以降、女優の道に邁進されたのでした。
破局の理由
では、なぜ、三國さんは逃げ出したのでしょう。
お二人の別離から約10年後、なんと、女性週刊誌でお二人の対談が実現。
太地さんご本人が、三國さんにその理由を尋ねられています。
太地 三國さんは、どうしてあの時、喜和子から逃げ出したんですか。
三國 (ながい沈黙)
太地 聞きたいの。
三國 十年目にして率直にいうけど…あなたのからだにひれふすことがイヤだった…そういうことです。あのころはぼくも若かったし、やり盛りだったから毎日でもできた。だけど、それは未来永劫につづくワケじゃない。
太地 でもよかった、お会いできて。
太地さんは、この時、三國さんと再会できたことを心から喜んでおられたといいます。
当時の太地さん(「顔役(1971)」より)
秋野太作と結婚も・・・中村勘三郎と
その後、太地さんは、1974年、「俳優座」で同期だった、秋野太作(あきの たいさく)さんと結婚されるも、すぐに離婚。
当時の秋野太作さん(「俺たちの旅(1975)」より)
そして、翌年の1975年、主演舞台「桜吹雪 日本の心中」を観に訪れた、当時19歳の中村勘三郎さんと出会われます。
中村さんは、その時のことを、
それがすごくよかったんです。で、次の日も見に行ったら、いちばん前の席しかなくて。照れくさい思いで見ていたら、途中で彼女が気づいたんだね。
「女は桜、日本です」という、最後の決めがあるんだけど、それをおれを見て言うの。
と、振り返っておられるのですが、
太地さんは、公演終了後、恥ずかしさのせいで、足早に帰ろうとする中村さんの手を後ろからつかみ、
あんた、また見にきてくれたのね。すぐ化粧を落として行くから待っててちょうだいね。
と、引き止められたそうで、
こうして、お二人は、お酒を飲みながら、演劇論を戦わせるようになり、次第に、男女の仲になっていったのだとか。
当時の中村勘三郎さん。(当時は中村勘九郎)
中村さんは、この時の太地さんのことを、
最初、色っぽい、女っぽい人だと思っていたのに、とんでもない男みたいな、さっぱりした人だったので、またびっくりしちゃって。
パウダーみたいな感じ、さらっとしているんだよ。あぐらかいてお酒飲んで芝居を語る姿に、なんだよ、この人はと思ったね。
と、語っておられました。
当時の太地さん。
(「男はつらいよ・寅次郎夕焼け小焼け(1976)」より)
別れ
しかし、太地さんの奔放な男性関係に中村さんが嫉妬し、口論が耐えなかったそうで、ある時には、太地さんは、中村さんに浮気を疑われて、渋谷の居酒屋で口論となった末、激昂した中村さんに突き飛ばされ、はずみでテーブルに頭をひどく打ち大出血。
その翌日、太地さんが、頭に包帯を巻いた姿で制作会見に現れたことは、今でも業界内で語り草となっているとか。
そして、出会いから3年ほど経った頃、太地さんは、あまりにも自分にのめり込んでいく、中村さんの歌舞伎界での将来を心配してか、自らこの関係を終わらせたのでした。
それから月日は経ち、太地さんは、1992年に事故で亡くなるのですが、この訃報に接し、中村さんは号泣したといわれています。
さて、いかがでしたでしょうか?
太地さんは、三國さんや中村さんのほか、七代目尾上菊五郎さん、志村けんさん、伊丹十三さん(不倫)と交際されていたと言われていますが、
私はサービス精神がある限り、見ている人に、この人は帰ったら所帯があると思わせてはいけない。
と言われ、秋野さんと離婚後は独身を貫かれたのですが、三國さんだけは特別だったようで、
本当に愛したひとは三國さんだけ。
と、公言され、
太地さん同様、数多くの女優と浮名を流した三國さんもまた、
今までで、惹かれた女優さんは一人だけです。太地喜和子さんだけ。
と、おっしゃっていました。
今は、お二人とも他界されていますが、そんな背景を心に留めながら、お二人の作品を観てみるのもいいかもしれません。
「太地喜和子の死因は事故!藪の中の黒猫!白い巨塔!志村けんの大ファンだった?」
https://www.youtube.com/watch?v=X4UqXO_7kW4