1966年、横山やすしさんと漫才コンビ「やすきよ」を結成すると、これまでにない革新的なネタで、一躍お笑い界の寵児となった、西川きよし(にしかわ きよし)さんですが、1986年には政界へ進出。これにより、コンビでの活動は停止状態となり、1989年、事実上、解散となったのでした。


「西川きよしの若い頃は?吉本新喜劇でヘレンと?相方横山やすしとの出会いは?」からの続き

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革新的な漫才スタイルを編み出す

漫才コンビ「やすきよ」を結成するも、当初は、
稽古を巡って対立することが多かった西川さんと横山やすしさん。

しかし、ヘレンさんとの結婚を考えると、
辞めるわけにはいかなかった西川さんと、

これまで4回も相方を変え、これ以上、
解散を繰り返すわけにはいかなかった横山さんは、

そのままコンビとしての活動を続けると、

周りの漫才コンビを、評価・採点し、
徹底的に分析や分類を繰り返しながら、
自分たち独自の漫才を模索したそうで、

その結果、芝居風の動きとしゃべりで、マイクを気にして、
コチコチの漫才をしていた西川さんを見て、
横山さんが思いついた「どつき漫才」や、

漫才に不得手だった西川さんを、
やすしさんが信じて自由にやらせたことで編み出した、
ボケ・ツッコミが激しく交互に入れ替わる「型破り漫才」など、

これまでにない、革新的な漫才を思いつきます。

そして、この頃くらいから、稽古が嫌いだった横山さんが、
西川さんの懇願で本格的にネタ合わせをするようになり、
心が一つになったお二人は、あれよあれよと人気を博していき、

結成1年足らずで(1967年)、
「上方漫才大賞」の新人賞を受賞。

「上方漫才大賞」新人賞受賞時の「やすきよ」

さらには、これがきっかけで、
演芸番組「お茶の間寄席」の司会など、
テレビ番組にも出演されるようになると、

全国ネット番組の「てなもんや三度笠」でも、
レギュラー出演を果たし、東京にも進出。

そして、ついに、1970年、結成からわずか5年にして、
「第5回上方漫才大賞」の大賞を受賞されたのでした。

横山やすしの不祥事で「やすきよ」は活動休止

しかし、これからという、この年、
横山さんは、タクシー運転手に暴行した挙げ句、
駆けつけた警察官に運転免許書の提示を求められると、

「俺、国際免許やねん」

と言いながらも、無免許運転だったことが発覚し、
(飲酒運転だったと言う話も)

これにより、横山さんは活動を自粛となり、
「やすきよ」としての活動も、
自粛せざるを得なくなってしまいます。

そして、事件から数日後、横山さんは西川さんに謝り、
自分には気を遣わないよう言われるのですが、

西川さんは、

「ここで横山さんを待たないと男ではない」

と、横山さんが復帰できる日まで待とうと決意。

その間、西川さんは、
ピン芸人としての腕を磨かれたほか、

「素人名人会」「爆笑寄席」「ナイトパンチ」
「パンチDEデート」「仁鶴・きよしのただいま恋愛中」
「プロポーズ大作戦」「料理天国」「スター誕生!」
など、

数々のバラエティ番組で、
司会者としての才能も開花させると、

「料理天国」より。(左から)龍虎さん、芳村真理さん、西川さん。

事件から2年半後の1971年4月、
ようやく、横山さんが長期謹慎から舞台に復帰。

当初は、マスコミから批判を受けて、
テレビには出ることができなかったのですが、

1973年の春、ついに、
「やすきよ」としてテレビ出演が叶うと、

はじめは、西川さんが司会、横山さんがバーターといった、
コンビとしては微妙な関係ながらも、

次第に本来の形に戻っていき、
1980~1982年頃に起きた漫才ブームでは、
「やすきよ」は大ブレイクを果たしたのでした。

度重なる横山やすしの不祥事

しかし、横山さんの破天荒ぶりはなかなか治らず、

1977年には、乗車したタクシー運転手と口論になったすえ、
暴言を吐いて車に蹴りを入れ、運転手から侮辱罪で告訴されたほか、

1982年の秋からコメンテーターとして、
レギュラー出演されていた久米宏のTVスクランブル」では、

お酒に酔った状態で生放送に出演して、暴言を発したり、
コメントの最中にCMを挟まれたことに腹をたて、

「今日は黙秘権」

と、一言発し、全くしゃべらなかったりと、
度々問題になり、

「久米宏のTVスクランブル」より。横山さんと久米宏さん。

ついには、1984年11月、渋滞による飛行機の乗り遅れが原因で、
同番組に穴を開け、番組を降板させられると、

吉本興業からも、「無期限謹慎処分」
を受けてしまったのでした。

参議院議員選挙に当選~事実上コンビ解散

一方、西川さんは、

そんな横山さんの度重なる不祥事や問題行動に、
ついに我慢の限界がきたのか、1986年、

中学校を出た人間が、高校しか出てない人間が、
一生懸命やったらどのぐらいのことができるか、
どれぐらいのことしかできないか、やってみたいです。

と、参議院議員選挙に大阪選挙区から、
無所属で立候補すると、見事当選。

参議院議員として初登院された西川さん。

(その後の2期も連続でトップ当選し、最終的には、
 2004年7月25日まで参議院議員を務められています)

これで、コンビとしての活動が、
実質、休止状態になると、

横山さんは、強い失望感に陥って、酒の量が増え、
ますます不祥事を繰り返し、芸能活動が激減。

やがては、吉本興業の専属契約を解除され、
1989年、コンビは事実上、解散。

結局、再結成することがないまま、
1996年1月、横山さんは他界されたのでした。

長男、次男、娘は?

そんな西川さんの、
気になるプライベートですが、

西川さんは、1967年にヘレンさんと結婚されると、
3人のお子さんに恵まれています。

1979年にリリースしたシングル「子供が三人おりますねん」より。
ヘレンさんと西川さん♪

まず、1968年に誕生した長男は、
俳優の西川忠志(にしかわ ただし)さんで、

忠志さんは、2009年には、きよしさんと同じ、
吉本興業に移籍し、「吉本新喜劇」でも活動。

2015年からは、関西のバラエティ番組「ちちんぷいぷい」に、
水曜レギュラーとして出演されています。

「ちちんぷいぷい」より。松本麻衣子さんと西川忠志さん。

また、1970年に誕生した次男は、
元俳優の西川弘志(にしかわ ひろし)さんで、

弘志さんは、以前、吉本興業に所属し、
歌手や俳優として活動していたのですが、

2005年に吉本興業を退社すると、
以降、芸能活動から遠ざかり、

2006年には、福岡市博多区に和食店「しゃり番」
2008年には、福岡市中央区に和食店「にし川」
を開店されています。

和食店「にし川」HPより。

現在は、本名の西川傑志(読み方同じ)名義で、
福岡のローカル情報番組「ももち浜ストア」に出演されるなど、
タレント活動も再開されているようです。

最後に、1974年に誕生した長女は、
タレントの西川かの子さんで、

かの子さんは、情報番組やバラエティ番組に、
タレントとして出演されていましたが、
現在は、大阪箕面で「BANZAI CAFE(バンザイカフェ)」
というお店を経営。時々、ラジオなどに出演されているようです。

NHKラジオ「かんさい土曜ほっとタイム」生出演時の、
西川かの子さん。(2018年3月)

病気だった!

ところで、西川さんは、2015年2月、
前立腺がんの検査「針生検」で、
「前立腺がん」と診断され、手術を受けられています。

 (※「針生検」とは、前立腺に針を14本刺し、針先に腫瘍が付くかどうか、
  調べる検査で、西川さんは3か所腫瘍がついたそうです)

実は、23年前から、眠っていても、1時間半ごとに、
トイレに行きたくなり、目が覚めるようになっていたそうで、

さらに、10年ほど前からは、逆に尿の出が悪くなったことから、
医療機関を受診されると、「前立腺肥大症」との診断結果が出ていたのですが、

今回、体調が悪化したことで、初めて「針生検」を受けられると、
「前立腺がん」が発覚し、手術を受けることとなったのでした。

結果、5時間に及ぶ手術は無事成功し、
約1ヶ月で仕事を再開できるほど回復されたのですが、

前立腺を取ったことで、肛門付近の骨盤底筋がゆるみ、
「尿失禁」に悩まされ、おむつを着用されていたそうで、

それでも、ご自身の持ちネタ通り、

小さなことからコツコツと

リハビリに励み、
無事、おむつを外すことができたそうです。

(それでも、2017年現在、「尿パッド」はつけておられるそうです)

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現在は?

さて、いかがでしたでしょうか?

2004年に参議院議員の任期を満了すると、
4期目の参議院議員選挙には立候補をせず、政界から身を引くも、

デビュー当初から続けてきた特別養護老人ホームや孤児院、
障碍者(しょうがいしゃ)施設への慰問等、福祉活動は、
ヘレンさんと続けられ、

2016年には、国会議員としての功績が評価され、
秋の叙勲で「旭日重光章」を受章された西川さん。

意図してか否か、結果的にこの政界進出で、
横山さんと決別することになった訳ですが、

現在でも、不定期で、大平サブローさん扮する、
「やすし」とのコンビで、「新やすし・きよし」
としての活動を行っておられるのは、

複雑ながらも、横山さんに対する、
特別な感情を持ち続けておられる証。

そんな、元祖「やすきよ」の漫才、
是非、この機会にご覧になってはいかがでしょうか。

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