漫才コンビ「紳助・竜介」として、リーゼントに作業服姿の「ツッパリ漫才」で、1980年代の漫才ブームを牽引した、島田紳助(しまだ しんすけ)さん。コンビ解散後は、司会者、若手芸能人のプロデュース業で成功を収められています。


そんな島田さんの、芸能界入りから、
現在までについて、調べてみました!

Sponsored Link

漫才師を目指す

島田さんは、もともと、
寿司職人、競艇選手、漫才師のいずれかに、
なりたいと考えられていたそうで、

1974年、18歳の時、
お笑いコンビ「B&B」に憧れたことから、

島田洋之介さん、今喜多代(後の今日喜多代)さんに弟子入りされ、
漫才師を目指されます。

「B&B」の島田洋八さんと島田洋七さん。

島田洋之介さんと今喜多代さん。

ただ、別の芸人と、
コンビを組んで活動を始められるも、
うまくいかず、すぐに解散。

その一方で、キャバレーの呼び込みのバイトをしたり、
劇場に通って、生で観た漫才の研究ノートをつけたり、

すでにテレビで活躍している漫才コンビの、
レギュラーの本数の推移をグラフに書き、
部屋いっぱいに貼るなど、日々、研究されていたそうです。

「紳助・竜介」として大ブレイク

その後、島田さんは、コンビ相手として、
同期の明石家さんまさんを誘われるも、
断られてしまったそうで、

代わりに、松本竜介さん
(解散後は松本竜助に改名)を紹介され、
1977年7月頃、漫才コンビ「紳助・竜介」を結成すると、

同年7月15日には、
「京都花月」でデビュー。

「紳助・竜介」の松本竜介さんと島田紳助さん。

4ヶ月後の11月には、
「第8回NHK上方漫才コンテスト」の予選に参加されると、

あれよあれよと決勝まで勝ち残り、
翌年の1978年3月、同コンテストの決勝で、
「優秀敢闘賞」を受賞されたのでした。

「紳助・竜介」は、当時の主流だった、
スーツスタイルの漫才に対し、

リーゼント頭につなぎ作業服を着た、
「ツッパリ漫才」を展開し、
若い男性を中心に人気爆発。

1980年頃から始まった、
漫才ブームを牽引する存在となったのでした。

「オレたちひょうきん族」で個人の才能を発揮

また、1981年に、バラエティ番組、
「オレたちひょうきん族」が放送を開始すると、
島田さんは、竜介さんとともにレギュラー出演し、

当時の歌番組「ザ・ベストテン」のパロディコーナー、
「ひょうきんベストテン」の司会を務められたり、

さんまさんの恋人役として、
女装姿でコントを演じられるなど、

島田さん単独の出演も増え、
コンビの枠にとらわれない個人の才能を、
発揮されるようになっていったのでした。

「オレたちひょうきん族」より。島田さんとさんまさん。

解散

そして、1985年5月、
漫才ブームが沈静化する中で、

当時、ほとんど無名に近かった、
「ダウンタウン」の台頭により、

島田さんは、

「もう俺らの時代は終わった」

と、解散を決意。

竜介さんの了解を得て、その数日後の5月16日、
「紳助・竜介」は、解散を発表されています。

司会者として

その後、島田さんは、1987年、
歌番組「歌のトップテン」で、

和田アキ子さんとともに2代目司会者に抜擢されると、
和田さんから司会術を学ばれ、

「歌のトップテン」より。島田さんと和田アキ子さん。

1988年~1990年「紳助・ケントの世界がお呼びです!」
1988年~1996年「CLUB紳助」
1988年~1991年「クイズ仕事人」「クイズ!紳助くん」の前身番組)

など、ご自身の冠番組で司会。

1986年~1992年「クイズ!!ひらめきパスワード」
(時期不明)「わくわく動物ランド」
(時期不明)「アイ・アイゲーム」
などのクイズ番組では、解答者としても出演。

「クイズ!!ひらめきパスワード」より。
(左から)香川照之さん、ラサール石井さん、板東英二さん、島田さん。

また、1990年から(2004年まで)は、
報道・政治討論番組「サンデープロジェクト」で、
司会を務め、タレントとしてのイメージを大きく変えられると、

以降、司会を務められた、

1990年~1994年「EXテレビ」
1992年~1993年「ダウトをさがせ!」
1994年~2001年「嗚呼!バラ色の珍生!!」
1994年~2011年「開運!なんでも鑑定団」

などを、人気番組へと導かれています。

名司会者、若手芸能人の才能を引き出す

そして、1991年秋にスタートした、
「オールスター感謝祭」では、

司会者として、3時間~5時間半の長時間、
毎回200人もの芸能人を仕切られ、
人気実力ともに名司会者としての地位を確立。

「オールスター感謝祭」より。島田さんと島崎和歌子さん。

特に、島田さんは、
若手芸能人や素人の出演者をいじるのが上手で、

通常であれば、バラエティには出演しない歌手や俳優も、
自身との相性を見抜いて出演させたことも多かったようで、

円広志さん、高木美保さん、misonoさん、
飯島愛さんなどを、ブレイクへと導かれたのでした。

プロデュース業に進出

このことがきっかけとなったのか、
2000年には、吉本興行のお笑いコンビ、
「ランディーズ」「ロザン」「キングコング」の3組による、
アイドルユニット「WEST SIDE」をプロデュースされるなど、
本格的にプロデュース業を開始。

(上段左から)西野亮廣さん、宇治原史規さん、中川貴志さん、
(下段左から)菅広文さん、梶原雄太さん、高井俊彦さん。

翌年の2001年には、吉本興業から、

「漫才復活のために知恵を貸してください」

と、頼まれたことから、
漫才選手権大会「M-1グランプリ」を企画されると、

大会委員長として審査員を務められ、
「ますだおかだ」「フットボールアワー」「ブラックマヨネーズ」
「チュートリアル」「サンドウィッチマン」

などの優勝者のほか、

「南海キャンディーズ」「オードリー」なども、
ブレイクへと導かれています。

「M-1グランプリ」より。

また、2005年になると、
若手漫才師だけではなく、

アイドルユニット「Pabo」「羞恥心」を、
バラエティ番組「クイズ!ヘキサゴンII」で、
プロデュースし、大ブレイクさせるなど、

プロデュース業でも成功を収められたのでした。

Sponsored Link

芸能界引退~現在は?

しかし、そんな島田さんも、2011年、
暴力団との黒い交際が報道されると、
自らの不祥事に責任を取る形で、芸能界を引退。

引退会見をされる島田さん。

気になる、引退後の生活はというと、
現在、収入はなく、貯金だけで、
過ごされているとのことでしたが、

その貯金額は、どこかの県レベル、
という莫大さで、

時間や場所に縛られず、
行きたいところに行きたい時に行くという、
悠々自適な生活を送られているのだとか。

また、島田さんは、
芸能界復帰について、

絶対にありません。
なぜなら仕事をする理由が見つからないからです。
今、僕が40歳なら戻っていたと思います。

18歳で芸人になってから幸せなことに、
55歳まで走り続けることができました。

この間、芸能界で出来ることは全てやりつくしました。

引退後に「本を書きませんか?」
というオファーをいただいたことがあり、

一度は筆を取ろうと思いましたが、
面倒になって結局お断りさせていただいたことがありました。

今、大切なものは家族と友人だけです。

と、おっしゃっており、

引退して何がよかったか?
それは感謝の気持ちを持てるようになったことです。

と、現在の心境も明かされていました。

現在の島田さん。

さて、いかがでしたでしょうか?

芸能界では、全力投球し、
すべてをやり尽くされた島田さん。

今は、きっと、仕事以外の楽しむことに、
全力投球されているのでしょう。

ただ、やはり、
島田さんの過去の映像を見ると、
ついつい復帰を願ってしまいますね。

時々でいいので。
期待しています!!

https://www.youtube.com/watch?v=LucGSmS_AH8

Sponsored Link