1962年、阪神タイガースの藤本勝巳内野手と結婚するも、借金、中絶、姑のイジメと、決して幸せとはいえない生活を送られていた、島倉千代子(しまくら ちよこ)さんですが、藤本さんと離婚後も、まだまだ不幸は続きます。

「島倉千代子の元夫は阪神の藤本勝巳!離婚理由は?子どもは?」からの続き

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元夫の多額の借金を背負う

こうして、島倉さんは、8000万円の借金を背負うのと引き換えに、
ようやく、藤本勝巳さんと縁を切ることができたのですが、

すっかり離婚協議に疲れ切った島倉さんは、今度は、
かつて失明の危機から救ってくれた恩人、眼科医の守屋義人さんを頼るようになり、
1974年頃からは守屋さんと恋愛関係になります。

すると、守屋さんは、それまで島倉さんのマネージャーをされていた、
島倉さんの実弟の島倉征夫さんをクビにし、新しいプロダクションを作るのですが、

コマ劇場等の公演での売上は、ヤクザ者にかすめ取られたうえ、
新曲のレコードを宣伝用に大量に購入するため、
勝手に島倉さんの実印を押して裏金融から3億円を借り、

(借金の額には諸説あり、総額4億3000万円、
 2億4000万円とも言われています)

最終的には総額13億円にまで借金を膨らした挙げ句、
島倉さんに全て背負わせたまま、蒸発してしまったのでした。

暴力団関係者と

その後、どういう経緯かは分かりませんが、島倉さんは、
政治ブローカーの安部正明さん宅に居候するようになり、

ある時、安部邸で暴力団「小金井一家」の堀尾昌志総長が麻雀をしていると、
新宿コマ劇場で島倉さんが債権者に囲まれているという連絡が。

そこで、安部さんが、新宿を縄張りにしている堀尾さんに、
誰にも面会させないよう指示を出すと、

堀尾さんは、

カタギじゃない俺が行くとコマ劇場に迷惑がかかるから、
ウチのにやらせよう。

と、堀尾さんの内縁の妻を派遣します。

堀尾の内縁の妻・細木数子に手打ちしてもらうも・・・

実は、この内縁の妻というのが、あの有名な占い師、細木数子さんで、
当時、細木さんは、クラブ「艶歌」を経営していたのですが、

細木さんは、1977年3月、債権者をクラブ「艶歌」に集めて、
テーブルの上に3億円を置くと、

あんたはいくら貸したんだ。
実際に借りたカネより膨らんでいるじゃないか。

と、詰め寄り、実際に借りた金なら払えると、
13億円にまで膨らんだ借金を3億円でチャラにしたのでした。


島倉さん(左)と細木数子さん(右)

そして、この出来事で、島倉さんはすっかり細木さんを信頼し、
細木さんを「細木のママ」と呼んで、「借金を肩代わりしてくれた恩人」と、
慕うようになるのですが・・・

細木数子に搾取される

実際のところは、借金の相手が細木さんに変わっただけで、
細木さんが島倉さんの債権者になり、興行権も細木さんに移ると、
細木さんは、芸能プロダクション「ミュージックオフィス」を設立。

以降、島倉さんは、キャバレーやクラブで歌うことが増えるなど、
仕事の質が変わってしまったうえ、細木さんからは、

「てめぇ」
「コノヤロー」
「明日の命だよ」
「死ぬ気でやれ」

などとヤクザ口調で脅されながら、
1年もすれば返し終えることができたであろう借金を、
3年間、馬車馬のごとく働かされ、

そのうえ、島倉さんのレーベルである「日本コロムビア」の関係者はじめ、
作詞家、作曲家も細木さんが怖くて島倉さんに近づけない状態になり、
島倉さんは新曲も出せない状態となってしまったのでした。

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日本コロムビアに立て替えてもらう

そして、細木さんは、内縁の組長とグルになって島倉さんを騙し続け、
借金総額は16億円にも膨らませたとも言われているのですが、

(細木さんは、島倉さんの負債額を、その時々で、2億4000万円、
 4億3000万円、12億円、13億円、16億円と、
 言っている金額が変わるなど、いい加減だったそうです)

島倉さんはというと、ロボットのように細木さんの言いなりで、
正確な負債額を把握しておらず、

働いても働いても、借金は減るどころか、逆に増えていることに、
次第にこのような状況はおかしいと思い始め、

いくら働いても借金は減らないし、
こんなに働いているのに、私には何も残らないのよ。

と、親しい人にこぼすようになったそうで、
ある時、細木さんが、

あと1億返したら自由にしていいよ

と言ったときに、(この時点ですでに細木さんへは4年で2億円を返済)

このアリ地獄のような状況を見かねた、島倉さんの知人が助け舟を出して、
レコード会社「日本コロムビア」に仲裁してもらい、
「日本コロムビア」が細木さんから島倉さんの興行権を取得することに。

ただ、細木さんはというと、

借金の決着をつけたのは私なのに礼はないのか。
1億円くらいもらっても罰は当たらないよ。

と、2億円を要求してきたそうで、
(借金返済1億円 + 礼金1億円の合計2億円)

結局、島倉さんは、「日本コロムビア」に2億円立て替えてもらい、
ようやく、細木さんと縁を切ることができたのでした。

ちなみに、島倉さんは、2005年、
著書「島倉家 これが私の遺言」の出版記念会見で、

法律が許してくれるならばこの手で刺したい

と、(借金を背負わせた相手の名前こそ出さなかったものの)
目に涙を浮かべながらおっしゃっています。

「島倉千代子の死因は?姉は自殺!人生いろいろ!最後の歌は?」に続く

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