1988年、40歳の時、ようやく、テレビドラマ「バラ」でシナリオライターとしてデビューするも、監督からはダメ出しの嵐で、落ち込んだという、内館牧子(うちだて まきこ)さんですが、主演の菅原文太さんの一言に救われると、翌年から一気に人気脚本家へと駆け上っていくことになります。

「内館牧子の若い頃は?シナリオライターの原点は菅原文太?」からの続き

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松下由樹との関係からドラマ「オイシーのが好き!」の脚本オファー

内館さんは、1989年には、当時、新人だった松下由樹さんが主演のテレビドラマ「オイシーのが好き!」の、共同脚本家を探していたTBSの演出家・今野勉さんからオファーを受けるのですが、

実は、内館さんは、松下さんとはご飯を食べに行ったりするほどの親しい間柄だったそうで、当初、内館さんの起用を迷っていたプロデューサーも、新人女優を起用するには、少しでも知っている人が脚本を書いたほうが良いだろうと、「あなたにします」と決めてくれたのだそうです。


「オイシーのが好き!」より。松本伊代さんと松下由樹さん

「想い出にかわるまで」が大ヒット

そして、翌年の1990年には、「オイシーのが好き!」の縁から、今井美樹さん、松下由樹さんがダブル主演のトレンディードラマ「想い出にかわるまで」の第4話から、内館さんが担当することに。

(第3話までは別の男性が脚本を書いていたのですが、(理由は不明ですが)その男性が担当をはずれたことから、ピンチヒッターとしての起用となったそうです)

すると、この作品が、普通に会社勤めをしている女性が主人公であったことから、13年間もの間、会社員をしていた内館さんにとって、自身の経験や見聞きしたことをドラマに活かすことができたことや、

ちょうどこの頃、普通の暮らしをしている主人公のドラマが一般に広く受け入れられるようになった時期でもあったため、時代とマッチし、ドラマは高視聴率を記録。

内館さんは、たちまち、人気脚本家の仲間入りを果たしたのでした。


「想い出にかわるまで」より。今井美樹さんと石田純一さん

ちなみに、この作品、エリートサラリーマン・高原直也(石田純一さん)との結婚を間近に控えた主人公・沢村るり子(今井美樹さん)が、些細な心のすれ違いから結婚を延期する間に、妹の沢村久美子(松下由樹さん)に結婚相手を奪われるというストーリーなのですが、

当時、まだ21歳だった松下さんが、姉の結婚相手を強引に奪うという難しい役柄を演じきられたことで、松下さんにとっても出世作となっています。

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NHK朝の連続テレビ小説「ひらり」がメガヒット

そして、1991年には、フジテレビのドラマ「千代の富士物語」の脚本を執筆すると、放送直前に大横綱・千代の富士が引退したことも相まって、テレビドラマは高視聴率を記録。

すると、今度は、NHK朝の連続テレビ小説の話が舞い込んでくるのですが、いわゆる、

「一生懸命に何かを成し遂げようとする女性の一代記」

が、苦手な旨を正直にNHKに言うと、

なんと、NHKからは、

主人公は相撲好きの女の子にしたい

と、言われたそうで、大の相撲ファンの内館さんにとって、これ以上嬉しいことはなく、オファーを快諾。

こうして、東京・両国を舞台に、相撲好きなヒロイン・ひらり(石田ひかりさん)と相撲部屋の人々との交流、部屋に出入りする町医者をめぐって姉と繰り広げる恋の騒動など、人間模様をコミカルに描いたNHK朝の連続テレビ小説「ひらり」が放送されると、

当時の「若貴ブーム」に沸く大相撲人気も追い風となり、1992~1993年の平均視聴率は36.9%、最高視聴率は42.9%というメガヒットを記録したのでした。

(「若貴ブーム」とは、当時、大横綱・千代の富士が君臨していた大相撲界に、若花田(のちの若乃花)と貴花田(のちの貴乃花)の兄弟力士が登場し番付を駆け上がったことで、日本中を熱狂の渦に巻き込んだ一大ブーム)


「ひらり」より。(左から)花沢徳衛さん、渡辺いっけいさん、鍵本景子さん、石田ひかりさん。


主題歌とタイアップした、DREAMS COME TRUEの「晴れたらいいね」も大ヒットを記録しています。

以降、内館さんは、「都合のいい女」(1993)、「あしたがあるから」(1993)、NHK大河ドラマ「毛利元就」(1997)などのヒット作を次々と世に送り出し、人気脚本家として不動の地位を確立。

また、脚本以外にも、「日本作詩大賞」を受賞するほか、70冊を超える著書を発表するなど、作家としても活躍されることとなったのでした。

「内館牧子の終わった人ほか脚本一覧(ドラマ映画)を画像で!」に続く

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