お父さんがプロ野球スターの落合博満さんだったことから、毎日、家に記者が詰めかけ、そのストレスでチック症になってしまったこともあり、両親には自由にのびのびと育てられたという、落合福嗣(おちあい ふくし)さんですが、その一方で、小学校、中学校時代には壮絶なイジメに遭い、毎日、死にたいと思うほど、追い詰められていたといいます。

「落合福嗣の幼少期の絶対禁止だったルールとは?」からの続き

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少年時代は壮絶なイジメに遭っていた

福嗣さんは、お父さんがプロ野球スターの落合博満さんだったことから、度々、お父さんと一緒にメディアに出て、「落合福嗣伝説」などが面白おかしく取り上げられていたこともあり、小学校・中学校時代は壮絶なイジメに遭っていたそうで、

(普段は、通学路で掃除している人に、毎日、「いつもありがとうございます」と大きな声で挨拶するような子供だったそうです)

小学生の時には、廊下に置いてあったロッカーに閉じ込められて鍵をかけられたり、

(大きな声を出して暴れ、ようやく先生が気づいて出してくれたそうです)

中学生の時には、(軟式野球チーム「世田谷ウイングス」の大型内野手として活躍したのですが)練習中、上級生に膝をバットで殴られたこともあったそうで、この影響で、高校生の時には、野球を断念せざるを得なかったといいます。

(福嗣さんは、その日の帰り、歩けなかったことから、お母さんの信子さんに、迎えに来てくれるよう電話をしたそうですが、本当のことを言うのが嫌で、練習でケガをしたと言ったのだそうです)

少年時代はイジメが原因で不登校になり、毎日、死ぬことばかり考えていた

そんな福嗣さんは、イジメが原因で、一時期、不登校になったこともあったそうで、毎日、ベランダに出て、「死にたい、死にたい」と言っていたそうですが、

それを聞いたお母さんに、「どうやって死のうか? かあちゃんも一緒に死んでやるよ」と言われ、一緒に、ああでもない、こうでもないと、10通りほど死に方を考えたそうで、

そのうち、死ぬ気がなくなり、ある日、

ホントは死にたいんじゃなくて『解決』したい

と書いた、一通の手紙をお母さんの枕元に置いたのだそうです。

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籍を抜き「落合」の名前を捨てようかという話も出ていた

実は、福嗣さんは、お父さんが試合で打てないと、「お前の親父のせいで負けた」と言われ、打ったら打ったでイジメられていたことから、籍を抜いて「落合」の名前を捨てようかという話も出たそうですが、

(それほど追い詰められていたそうです)

やはり、「落合」の名前に誇りを持っていたことから、名前を捨てることができず、「落合」として生きていくことを決意すると、お母さんとお父さんは最大限のサポートをしてくれたのだそうです。

(ただ、福嗣さんは「父ちゃんの子なんかに生まれなければよかった!」と叫び、お父さんと取っ組み合いのケンカになったこともあったそうです)

ちなみに、お母さんの信子さんは、

お年玉は100万円なんて言われていたけど、嘘よ。働かざる者は食うべからずと、私は親から教わっていましたから。ただ、できるサポートはしたかったし、そのためのお金は惜しまない。

大学に進学させたし、ロシア留学でも何でもチャレンジさせました。みんなは20歳で大人って言うけど、今は人生が長くなっているから、20歳でも昔でいうと17歳くらいだと思う。だから、落合家では25歳が成人だと考えています

と、語っています。

「落合福嗣の妻との馴れ初めは?子供は娘が2人と息子が1人!」に続く

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