小学5年生の頃に俳優に憧れると、中学卒業後は夢の実現に向け、俳優を目指して単身上京した、西田敏行(にしだ としゆき)さん。今回は、そんな西田さんの、上京間もない頃をご紹介します。

「西田敏行の生い立ちは?父は他界し母も再婚で養子に出されていた!」からの続き

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高校ではバレーボール部と演劇部を掛け持ち

福島弁が染みついてしまって標準語が話せなくなるのではないかという不安から、上京した西田さんですが、やはり、東京の高校でも演劇部には入部せず、バレーボール部に入部。

ただ、ある日のこと、男子部員がいなくて困っていた演劇部の女子部員から、部に協力してほしいと頼まれたそうで、以来、バレーボール部で活動するかたわら、顧問のような形で演劇部に参加し、舞台にも立つようになります。

「渥美清の泣いてたまるか」でテレビドラマデビュー

そして、1966年に高校を卒業し、同系列の明治大学に進学すると同時に、「日本演技アカデミー(夜間部)」に入学すると、その年のうちに大学を中退して、「日本演技アカデミー(昼間部)」に移り、

翌年の1967年には、「日本演技アカデミー」を卒業すると、仲間とともに劇団「シアター67」を結成するかたわら、「渥美清の泣いてたまるか」でテレビドラマデビューを果たされたのでした。

(劇団「シアター67」は活動が思わしくなく、1年ほどで解散されています)


「渥美清の泣いてたまるか」より。(左から)西田さん、津坂匡章(現・秋野太作)さん、渥美清さん。

中学時代の友人と連絡を断つ

こうして、着々と夢の実現に向かって歩を進めていった西田さんですが、やはり、単身での東京生活はとても寂しく、つい、中学時代の友達に電話をかけて、声を聞きたくなったそうですが、

舞台では、よく演出家に、「今のは福島弁だな」と言われており、自分では福島弁を直したつもりでも、福島訛り(なまり)が出ていたそうで、

中学時代の友達と話すと、また、福島弁に戻ってしまうのでは、という危機感から、一時期は、電話することさえもやめていたとのことで、後に振り返ると、人生の中で一番つらい時期だったそうです。

ホームシックになるとゴリラに会いに上野動物園へ

ちなみに、そんな孤独な西田さんの気持ちを慰めたのは、「ゴリラ」だったそうで、

西田さんは、

たまたま修学旅行で上野動物園に中学校3年の春に行った時に、ちょうどアフリカから連れてこられた最後のローランドゴリラで“ブルブル”というゴリラがいたんですけども。

何々動物園生まれですと紹介されたゴリラが多い中、アフリカから来たというのを見て、しかもいつも岩の上に立ち、遙かアフリカの大地を見ているような、遠望している顔があって、それがまるで哲学者のような深い面立ちでずっと見ているんですよ。

ものすごく気になりまして。それからふるさと恋しい時、ホームシックになると、上野へ上野へという気持ちがありました。

そこでブルブルに会うと、なぜか同じ共通の辛さの中にいるのかなという思いを持って、朝から晩までブルブル見ていると、心が安らぎ、気持ちが楽になりました。ブルブルも自分と目線を合わしてくれるようになって、お互いに見合ったことがありますね。

と、語っておられます。

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劇団「青年座」に入団

そんな西田さんは、1968年に「青年座俳優養成所」に入所すると、1970年には正式に「青年座」の座員に昇格。

同年、「青年座」7月公演「情痴」(作:西島大さん)で初舞台を踏むと、1971年には、舞台「写楽考」(作:矢代静一さん)で、早くも主役に抜擢。

1972年には「新・平家物語」、1973年には「国盗り物語」と、立て続けにNHK大河ドラマにも出演すると、1973年に出演されたNHK朝の連続テレビ小説「北の家族」が視聴率46%という大ヒットを記録したことで、西田さんも注目を集めたのでした。

(この頃、風呂付きの部屋に引っ越しすることができたそうです)

そして、その後、1974~1975年(27~28歳)頃には、「青年座」の地方公演で各地を回っていたそうですが、

自分で一応思ったのは、おまえは舞台役者になったなというふうに、劇団青年座というところに入って俳優の修業をしてそれで初舞台を踏んで、それで地方公演とか行っているうちに、地方を回っているうちに、

やっぱり福島にもこの芝居を持って行きたいという思い、友達にも見せたいという思いがあった時に、なんか台詞とか言葉とか別に訛っていてもちゃんと説得できる力を持っている、ましてや方言の方がむしろ力があるじゃないかとだんだん思い始めてきました。その初舞台の舞台踏んでいるときに。

その頃からもう大丈夫だ、訛ったっていいやっていう思いはどこかにありました。養成所の頃、基礎を学んでいる頃は、どうしても訛っちゃいけないとか、きれいな舞台でお客様全部に伝わるような発音・アクセントにしなきゃだめですと言われて、一生懸命忠実に守ろうとしましたけども。だんだんオレ流でいいかなと思い始めました。

と、自信をつけていかれたのでした。

「西田敏行の昔は?デビューからの出演ドラマ映画を画像で!」に続く

「新・平家物語」で源頼朝の義理の弟・北條義時を演じる24歳の西田さん。

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