名だたる監督の日本映画史に残る数多くの名作に出演し、日本映画の黄金期を支え続けた、若尾文子(わかお あやこ)さん。今回は、そんな若尾さんの、プライベートについて調べてみました。

「若尾文子の代表作ほか出演ドラマ映画を画像で!」からの続き

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最初の旦那は商業デザイナー

若尾さんは、1963年、商業デザイナーの西舘宏幸さんと結婚されています。

若尾さんは、1959年、ドイツ・ミュンヘンで開催される映画祭に出席するためドイツを訪れているのですが、最後にフランス・パリに立ち寄られた際、ガイドを務めていた西舘さんと知り合われたそうで、

(西舘さんは、東京大学文学部を卒業後、商業デザイナーを目指してパリの美術学校に留学されていたそうで、そこで、日本人旅行客を相手にガイドの仕事をされていたそうです)

初めて出会われた時は、挨拶の言葉を交わしただけだったものの、若尾さんが、その時、ビビッときたそうで、帰国後、すぐに、西舘さんに手紙を書き送られると、そのことをきっかけに文通がスタート。

それから3年後、若尾さんが再びパリを訪れ、西舘さんと再会すると、数日後、2人はローマに出かけたそうで、その際、西舘さんからプロポーズされ、結婚に至ったのだそうです。

ちなみに、若尾さんは、西舘さんについて、「婦人公論」のインタビューで、

私の理想100%の人

と、のろけるなど、幸せいっぱいだったのですが・・・


西舘宏幸さんと若尾さん。

離婚理由は?

若尾さんは、1968年7月、突然、記者会見を開かれ、離婚を報告。

ただ、この時点では、若尾さんに未練のあった西舘さんが離婚に応じておらず、まだ離婚は成立していなかったそうですが、

若尾さんが既成事実を作るため離婚会見を開かれたそうで、その後、調停となり、1969年8月、若尾さんが西舘さんに1000万円の慰謝料を支払うことで決着したのでした。

ちなみに、気になる離婚理由ですが、実は、若尾さんは、西舘さんと出会う前、同じ「大映」の俳優・菅原謙二さんと交際されていたのを、会社に無理やり別れさせられており、

その直後に、若尾さんが渡欧し、帰国すると、菅原さんは、すでに別の女性と結婚されていたそうで、若尾さんが西舘さんと結婚したのは、プライドを傷つけられ、あてつけに結婚しただけだったため、とにかく別れたかったのでは、と噂されています。

(ただ、若尾さんも西舘さんも離婚理由については明言されていませんので、真偽は不明です)

建築家・黒川紀章と再婚

そんな若尾さんは、1983年、世界的に有名な建築家の、黒川紀章さんと再婚されています。

お二人は、1976年、テレビ番組「すばらしき仲間」の対談で知り合われると、その日のうちに、黒川さんが(誰かから聞き出し)若尾さんの自宅に絵画を持参して訪問し、交際に発展。

その後、お二人は一緒に暮らし始めるのですが、実は、当時、黒川さんは妻子持ちで、奥さんが、娘が20歳になるまではと、離婚に応じなかったため、すぐに入籍することはできず、

7年後、離婚が成立した直後に、黒川さんが、

きみはバロックの美のようだ(目などに左右均等の美があるという意味)

と、若尾さんにプロポーズし、結婚に至ったそうです。


結婚当時の若尾さんと黒川さん。

順調な結婚生活

結婚後、若尾さんは、世界を飛び回る黒川さんに同行するため、テレビドラマや映画をセーブし、舞台を中心に活動。

ただ、その後は、

若尾は女優として国の宝。僕が独占しちゃいけない。

という、黒川さんの意向もあり、

2000年代以降は、(建築家と女優では生活の時間が違うため)若尾さんは自宅で、黒川さんは近くのホテルで暮らすなど、別居生活。

ただ、携帯電話で毎日連絡を取り合うほか、若尾さんが毎朝手作り弁当をホテルに持参されるなど、お互い気を遣い合い、円満な結婚生活を送られたのでした。

夫婦そろって参院選に出馬

また、若尾さんは、2007年7月には、黒川さんの依頼で、お二人一緒に参院選に出馬されています。

当初、若尾さんは、

(出馬は)死んでもイヤ

と、拒否されていたそうですが、

最後は、黒川さんのたっての願いで折れたようで、出馬された際には慣れない演説もこなし、演説の時は黒川さんと必ず手をつないでいたそうです。

ちなみに、若尾さんは、当時のインタビューで、

互いに気を使っているけれども口出しはしない。そういう関係がよろしいのではないでしょうか。

と、ご主人との関係について、語っておられました。

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二人目の夫・黒川紀章が死去

こうして、適度な距離感を保ちながら、円満な結婚生活を送られていたお二人ですが、2005年頃、黒川さんに「すい臓ガン」が見つかると、手術をされるなど、八方手を尽くすも、容態はあまり良くならず、

2007年10月9日、再び入院されると、若尾さんと、前妻の娘さんが、交代で看病されるも、その甲斐なく、10月11日、黒川さんは他界。

若尾さんは、黒川さんの遺体が安置されている赤坂の自宅マンションで、インターフォン越しに、

まさか、まさか、こんなに突然急変するとは思いませんからね、誰もね。あらかじめ覚悟といっても、まさかこんなに人間が簡単に死ぬとは思いませんから。つらかったですね。

あっという間に亡くなりましたけど、10日に「私、いい奥さんじゃなかったわね」と言ったら、「そんなこと言うなよ。本当に好きだったんだよ」と言ってくれたんです。

遺言みたいですが、それが最後の会話になりました。10月10日のことは一生忘れません。

と、悲しみをこらえて取材に応えられたのでした。

ちなみに、後に、若尾さんは、インタビューで、

(黒川さんはガンだと知っていた)そうみたいですね。でも、私には何も言いませんでした。私は本当に最後の最後までそれを知らなかった。

最後の会話で初めて聞いたんですから…。まあ、がんかも?と、どこかで思っていても、言われない限りは、信じたくないし、怖くて詮索もしたくないじゃないですか。

きっと私が冷たいのね。普通だったら、無理やりにでも聞くんでしょうが…。言わなかったのは、言うと私がガタガタになると思ったんでしょう。私の仕事のことも大事に思ってくれてましたし。最後の会話をして、亡くなったのは、その明くる朝です。

と、黒川さんからは、2007年の入院のときも、ガンということを知らされていなかったことを明かされているのですが、

黒川さんが、どれほど、若尾さんを大切に思われていたかが、伝わってきますね。

「若尾文子がソフトバンクCM裏を暴露?映画祭では小津安二郎への恋心も!」に続く

黒川さんと若尾さん。

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