あれだけ情熱を傾けていた「白い巨塔」への思いも、1977年12月に入ると、一転、作品そのものを軽視する発言を繰り返すなど、まるで、別人のようになってしまった、田宮二郎(たみや じろう)さんですが、1978年3月26日、テレビドラマ「白い巨塔」の撮影がクランクインすると、わずか1週間後には「躁うつ病」の症状が顕著に現れ、その影響か、「M資金」詐欺に遭い、巨額の借金を背負うことになってしまいます。

「田宮二郎の白い巨塔への人生を賭けた情熱が凄すぎる!」からの続き

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「M資金」詐欺で巨額の借金を背負う

1977年12月には、「白い巨塔」に興味を失ったように見えた田宮さんでしたが、1978年3月26日、「白い巨塔」の撮影がスタートすると、田宮さんは、ロケーションの現場に病院を自ら手配するなど、ハイテンションで撮影に臨み、初回6月3日放送は、視聴率18.6%と好調のスタート。

ただ、その一方で、田宮さんは、プライベートでは、「M資金」と呼ばれるいかがわしいビジネスに熱中するようになり、田宮家には得体の知れない者たちが出入りするようになります。

詐欺師・竹ノ下秋道

ちなみに、田宮さんを「M資金詐欺」に陥れたのは、竹ノ下秋道という詐欺師で、竹ノ下は、アメリカの高級車リンカーンを乗りまわし、都内の高級ホテルを住まいとしていた(装っていた)ことで、田宮さんを安心させると、「日本の有為の士だけの話」と前置きし、2000億円の融資話を持ちかけたそうです。

すると、精神的に崩壊しかけていた田宮さんは、いとも簡単にこの融資話に乗せられ、高級マンションや土地を次々と購入するのですが、話が軌道に乗ったところで、竹ノ下は姿を消し、田宮さんは、ようやく詐欺に遭っていたことを自覚。

(竹ノ下は、田宮さんから、手数料の900万円をもらったうえ、勝手に宿泊していた高級ホテル代500万円を田宮さんのツケにして行方をくらましたそうです)

しかし、田宮さんは、このときにはすでに、3億円とも4億円とも言われるほどの莫大な借金を背負っていたのでした。

「M資金」というのは、GHQ(連合軍最高司令官司令部)が占領下の日本で接収した財産などを基に、極秘に運用されていると噂される秘密資金で、GHQの経済科学局第二代局長・ウイリアム・フレデリック・マッカート少佐の頭文字の「M」をとったものだ言われているのですが、1952年には、日本政府がGHQが接収した資金を全額返金した事を明らかにしているほか、M資金の存在が公的に確認された事は一度もありません。)

ウラン採掘権の詐欺も

また、田宮さんは、同じく、「白い巨塔」の撮影中、トンガで「ウランの採掘権」を取得したと主張し、突如、トンガへ1週間ほど出かけたこともあったそうですが、これも詐欺に引っかかってのことで、

後に、幸子さんは、

まともな状態であれば、田宮もそうした話に乗ることはなかったと思う。精神が壊れていく過程にあって、ありもしない詐欺話にのめり込んでいったんです。

と、語っておられました。

(そのため、「白い巨塔」の撮影は、あわや、中止になりかけたそうです)

妻が身の危険を感じて姿を消す

こうして、数々のあやしげな詐欺話に乗ってしまった田宮さんですが、執拗な債権取り立ての中、土地の権利書や実印など不動産書類の引き渡しを求めて、奥さんの幸子さんと激しく言い争うようになっていきます。

そして、幸子さんによると、

いつも私がどこにいるかと、居場所を突き止めるようになりました。ある日、胸ぐらをつかんで階段から突き飛ばされそうになった時は、このままでは殺されてしまうと思いました。

と、いつしか、田宮さんは、家族の財産を守ろうとする奥さんの幸子さんを目の敵(かたき)にするようになったそうで、

恐ろしくなった幸子さんは、身の安全を考え、ついに、田宮さんの前から姿を消した(家を出ていった)のだそうです。

それでも、幸子さんは、田宮さんの食事を心配し、田宮さんが撮影をしている時間に、食事を作りに家に戻られたそうですが、

ガレージに車の入る音が聞こえると、逃げるように家を出たそうで、逃げることに間に合わなかった時は、自分の部屋にこもって、じっと息を潜めていたこともあったのだそうです。

(幸子さんは、まだ幼い息子たちには、戻ってきた田宮さんが「お母さんはどこに行った?」と聞いても、「知らない」というように教えていたそうです。)

日本のハワード・ヒューズ?

また、田宮さんは、撮影現場でも、共演者に投資話を持ちかけたり、

プロデューサーの小林俊一さんに、

撮影を中断して、1週間、トンガに行ってくる

と言い出すなど、異様な言動を重ねるようになっていくほか、

(トンガ行きは週に1便しかなく、もしトラブルでもあれば、最悪、主演の交代も考えなければならなかったため、小林さんは、田宮さんのこの言葉に耳を疑ったそうです。)

日本のハワード・ヒューズになる

と、言うのが口癖だったそうで、

小林さんによると、田宮さんは、シーンの撮影が終わると、山のような10円玉を持って、ピンク電話の前から離れず、30分~1時間も怪しい投資話をしていることがあったそうです。

(ハワード・ヒューズとは、映画製作と飛行機業に莫大な資産をつぎ込んで財を成した億万長者。ただ、晩年は強迫性障害を病み、非業の死を遂げています。)

後悔の念とセリフが覚えられずに泣きじゃくっていた

その後、田宮さんは、周囲の心配をよそにトンガから帰国するのですが、トンガへ行く前には、投資話などで大言壮語していたにもかかわらず、帰国後はまるで嘘のように意気消沈されていたそうで、

プロデューサーの小林さんから、

もうどうにもならない。奥さん、すぐ来てもらえますか?

と、呼び出され、すぐに撮影現場に駆けつけた幸子さんによると、

そこには、幸子さんに殺意の目を向けていた田宮さんでも、かつて脚本や演出などに口を挟んでいた情熱的な田宮さんでもなく、とにかく幸子さんに詫び、後悔の念でひたすら泣く田宮さんがいたそうで、

田宮さん演じる財前五郎は、難解な医学用語を使うほか、医療裁判にも駆り出されるため、膨大なセリフを覚えなければならなかったのですが、田宮さんは、「うつ病」のせいで集中力を欠き、セリフが覚えられなかったそうで、

彼は苦しんでいましたが、あと少しですべての撮影が終わるという責任感のみで立っていられたのだと思います

と、元女優である幸子さんが、田宮さんのセリフ合わせに根気よく付き合ったお陰もあり、なんとか撮影を全うすることができたのでした。

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妻に自殺をほのめかしていた

そして、田宮さんは、この頃から、

ずっと自殺を考えている

と、言うようになったそうで、

幸子さんは、旧知の精神科医・斎藤茂太さんに相談すると、

その状態であれば、むしろ死ぬことはないから安心だ

しかし、

ちょっと元気が出てきたら目を離してはいけない

と、言われたそうです。

一方、田宮さんはというと、自分のもとに奥さんが戻ってきてくれたことで安心感を得、絶望の淵から再び生きるエネルギーを取り戻したようで、

11月15日、「白い巨塔」のすべての撮影を終えると、共演者に深々と頭を下げて回り、12月26日には、幸子さんとともにフジテレビで最終回の試写を観られたのでした。

「田宮二郎は躁鬱病で山本學に盲腸を切らせてほしいと迫っていた!」に続く

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