一度も結婚せず、常に女性に囲まれ、独身貴族を謳歌されていた、志村けん(しむら けん)さんですが、60歳を過ぎたあたりからは、子どもが欲しい、と口にするようになっていたといいます。
晩年は子どもを欲しがっていた
生涯独身だった志村さんには子どもはいらっしゃいませんが、志村さんの知人によると、近年、志村さんは、冗談めかしてではなく、本気で、
子供を遺したいなぁ
と、話すようになっていたそうです。
また、志村さんの知人の30代の女性にいたっては、
結婚しなくていいから、経済的には絶対苦労させないから、オレの子供を産んでくれないか
と、話を持ちかけられていたというのです。
この女性は、はじめ、冗談だと思っていたそうですが、度重なるお願いと飄々(ひょうひょう)とした表情に、「本気なのかもしれない」と感じるようになったといいます。
子どもを持つことは母の願いだった
また、60歳を超えたあたりからは、インタビューでも、
結婚したい、子供もあきらめてない
と、おっしゃっていた志村さんですが、
若い頃は、結婚願望があるかないか以前に、とにかく移り気で、志村さんについていける女性はいないだろうと言われるほど、独身貴族を謳歌されていた志村さんが、なぜ、急に子どもが欲しくなったのでしょう。
実は、子どもを持つことは、志村さんのお母さん・和子さんの願いだったようで、
志村さんは、「夕刊フジ」に連載していた「志村けんの人生だいじょぶだぁ~」(2001年5月8日発行)で、
最近、うちのおふくろ(当時81歳)が、オレの顔を見るたびに、「早く『バカ殿』二世を作っておくれ」ってせがむんだよね。「お前と孫が白塗りで、舞台に立つのが夢なんだよ」って
いつかおふくろの夢を叶えてやりたいと思ってるから
と、語っておられるのです。
志村さんは、お父さんを若くして亡くしているのですが、お母さんである和子さんが、志村さんが付き人時代から「一番のファン」と公言するなど、志村さんを応援し、サポートし続けていたそうなので、そんなお母さんの願いを叶えてあげたいと思ったのでしょう。
しかし、そんな和子さんも2015年には他界。最愛のお母さんの願いは叶えることができませんでした。
志村けんらしいかっこいい最期
そんなことから、志村さんの知人は、
自由に生きてきて、倒れる前日まで好きなお店で飲んだり、遊んだりして、みんなに惜しまれてこの世を去る。志村さんとしては理想の最期のようにも思えますが、子供のことだけは本気だったんだと思います。
何も後悔がないように見えますが、子供を遺したかったなぁというのは、たった1つの後悔だったのかもしれません。
と、話しているのですが、
某週刊誌の記者は、
女遊びもしてきた人にもかかわらず、いわゆる無責任な行動を取っていないのが「まじめ」といわれる志村さんらしいところ。
芸能界の大御所が亡くなったとき、遺産トラブルが起きがちだが、志村さんの場合、それも起きないだろう。志村さん自身としては跡取りを残せなかったことは心残りかもしれないが、この潔さも志村さんらしさでしょう。
と、語っており、
結果的には、志村さんらしく、かっこいい最期だったともいえます。
19歳の時に子どもができていた
そんな志村さんですが、実は、昔、いかりや長介さんの付き人をしていた19歳の時、同棲していた16歳の専門学校生との間に子どもができていたというのです。
ただ、当時の志村さんは収入が少なかったため、結婚することができず、子どもは堕ろそうということになったのですが、
彼女のお父さんが、ちょっと怖い人だったそうで、誠意を見せろ、というようなことを言われ、どうしようもなくなり、お母さんにお金(100万円)を借りに行き、そのお金を持って、彼女の両親に謝りに行き、なんとか収まったのだそうです。
(ちなみに、その女性と子どもの消息は不明とのことでした)