1985年、歌手の松田聖子さんと結婚し、翌年の1986年には、娘・神田沙也加さんが誕生していた、神田正輝(かんだ まさき)さんですが、同時期、人気アイドル・岡田有希子さんが飛び降り自殺。当初、俳優の峰岸徹さんにフラれたことが原因だとされていましたが、実は、神田さんだったとの噂が囁かれるようになります。
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人気アイドルだった岡田有希子が投身自殺
それではまず、岡田有希子さんが自ら命を経った経緯とその前後の出来事から。
岡田さんは、1986年4月8日午前10時頃、自宅マンションで、リストカットしたうえ、ガス自殺を図るのですが、同じマンションの住人がガス臭に気づいたため、管理人が110番と東京ガスに通報。岡田さんは、すぐに北青山病院に救急搬送されたことから、幸い、一命をとりとめます。
そして、所属事務所「サンミュージック」の元専務・福田時雄氏によると、
その朝、(創業者の故・)相澤(秀禎)から「有希子が大変だ。北青山病院に迎えにすぐ行ってくれ」と電話が入ったんです。駆けつけると、カーテンの奥で手首に包帯を巻かれた有希子が泣いていた。
ワーッと声を出して泣くのではなく、シクシクという感じで。幸いためらい傷だけだったので、医者に入院の必要はないと告げられ、私は有希子を連れてタクシーに乗りました。
「どこに行きたい? 名古屋の実家へ戻るか? 自宅マンションへ帰るか? 事務所に行く?」と尋ねると、事務所がいいと言うので、四谷へ向かったのです。
とのことで、
その後、岡田さんは、福田氏に連れ添われて事務所に戻ると、福田氏と付き人の女性とともに6階の社長室で休養されたのですが・・・
それからしばらくして、外出中の相澤社長から福田氏に電話があり、福田氏が隣室に移ると、その隙きに岡田さんは、屋上に上り、飛び降り自殺されたのでした。
自殺は峰岸徹にフラれたことが原因?
そして、その1時間後、福田氏は、相澤社長とともに記者会見を開き、自殺の原因は分からないと答えているのですが、
岡田さんの自宅から遺書が見つかり、その中に俳優の峰岸徹さんの名前が書かれていたとされたことから、岡田さんと峰岸さんとの関係が取り沙汰されます。(遺書は公開されていません)
峰岸徹は記者会見で岡田有希子との交際を否定
この報道を受け、岡田さん自殺当日の夜、峯岸さんは、仕事先のTBSで記者に囲まれると、急遽、記者会見を開かれ、
岡田さんとの交際の事実を否定しながらも、
正直、ものすごくショックです。僕は兄貴のつもりでいたんですが、彼女はそれ以上のプラスアルファがあったのかもしれない。
(報道陣から男として責任を感じるかと問われると)彼女にとっての初恋のようなものだったんだと思う。年も離れていますし、(峰岸さんからは)あまり好意を見せないように気を付けていたくらいでしたが、彼女からのそれが愛だったとすれば責任はあると思います。
とコメントされたのですが・・・
(峯岸さんは当時42歳で、離婚しており、子どもを引き取って育てていたそうで、新しい恋人がいたとのこと。岡田さんとは、テレビドラマ「禁じられたマリコ」で共演されていました。)
岡田有希子の失恋相手は神田正輝だった?
やがて、記者の間では、
峯岸さんは誰かをかばっているのではないか
との噂が流れ始めます。
実は、岡田さんの失恋相手は、峯岸さんではなく、神田さんだったというもので、
もともと、岡田さんは神田さんと交際していたのですが、岡田さんが所属事務所「サンミュージック」の先輩である松田聖子さんを神田さんに紹介したところ、神田さんが岡田さんをフッて、聖子さんに鞍替え。
その後、1986年4月7日に、聖子さんが妊娠4ヶ月を発表するのですが、岡田さんは、これにショックを受け、翌日の4月8日、自殺したというのです。
そして、これを受け、神田さんの所属事務所「石原プロモーション」の社長・石原裕次郎さんが、結婚したばかりだった神田さんと聖子さんの醜聞を避けるため、峯岸さんに頭を下げ、神田さんのカモフラージュとなるように頼んだというのです。
(ちなみに、峯岸さんは、「石原プロモーション」から莫大なお金を受け取り、仕事上で様々な優遇を受けたとも言われているほか、もともと、峯岸さんは、石原さんに憧れて俳優を目指したそうで、そんな石原さんの頼みを断れなかったとの話や、聖子さんはもともと石原さんの愛人で、それを隠すために、神田さんが聖子さんと結婚させられたという話まであります。)
事務所社長の相沢秀禎は岡田有希子の遺書の内容を知っていた?
ところで、この謎を解く鍵を握るのは、岡田さんが死を決断したとされる交際相手について、赤裸々に綴られていたという、岡田さんが残した日記のようなノート(遺書)なのですが、
当時、週刊誌に掲載された、岡田さんのノート(遺書)の内容は、
俳優の峰岸徹さんにふられた結婚してくれると言ったじゃない嘘つき・・・勝手なことをしてごめんなさい・・・
俳優の峰岸徹さんにふられた・・・あこがれていたのに、最近冷たくされて悲しい・・・勝手なことをしてごめんなさい・・・
と、いうものでした。
また、所属事務所「サンミュージック」の社長(当時)相澤秀禎氏も、
峰岸徹さんを絶対に許さない
と、周囲に言っていたほか、
インタビューでも、
僕が歯医者から戻ると事務所のビルの下が大騒ぎ。有希子が飛び降り自殺したんです。僕を待っている間、朝の自殺騒動について僕に何か言われるのがいやで、屋上に言って飛び降りたんだと思ったんです。
ところが、彼女が残していた1冊の日記風のノートが発見されて、それを読んで自殺の真相が理解できました。有希子は峰岸さんに恋焦がれて、プラトニックな愛を持ち続けて、自殺したんです。
と、言っていたというのですが・・・
やはり石原裕次郎による隠蔽工作か?
岡田さんのノート(遺書)は、所属事務所「サンミュージック」の社長(当時)相澤秀禎氏が管理する金庫の中に保管されていたうえ、
相澤氏の他界後、一部公開された岡田さんのノート(遺書)にも、「あなた」とあるだけで、交際相手の名前は公開されておらず、
相澤氏を何度か取材した週刊誌記者によると、
(ある時、お酒の席で相澤社長に突っ込んで聞いてみたが)どんなに酔っていても、その話になると「その話はやめてくれ」の一点張りで、教えてもらえなかった。
ということから、
当時、巨大権力を誇っていた「石原プロモーション」と岡田さんの間で(結果的にせよ)何かあったことを、相澤氏が隠し通していた可能性も・・・
ただ、石原裕次郎さんはもとより、峯岸さんも2008年、相澤氏も2013年に他界されていることから、真相は闇の中です。
「神田正輝と長谷川理恵の馴れ初めは?破局後も熱愛継続工作?」に続く