「渡る世間は鬼ばかり」シリーズなど、今では、演技派女優としてのイメージしかない、泉ピン子(いずみ ぴんこ)さんですが、実は、中学生の時、歌手デビューされていました。しかも、その後には・・・

「泉ピン子の父親は浪曲師!母親は?祖父は漁師だった!」からの続き

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幼少期に母親が他界し父親の再婚相手を実母だと思って育つ

浪曲師のお父さん・鉱三郎さんと、お父さんが出演する寄席の常連だったお母さん・喜美代さんの間に、初めての子どもとして、泉さんは誕生するのですが、泉さんが2歳の時、お母さんが、2人目の子どもの出産時の事故で赤ちゃんと共に28歳という若さで他界。

(泉さんは、お母さんのことを全く覚えていないそうです)

その後は、お父さんが、もともと愛人だった女性と再婚し、その再婚相手の家(五反田)に住まれているのですが、まだ幼かった泉さんは、お父さんの再婚相手を本当のお母さんだと思って育ったそうです。


3歳頃の泉さん。

育ての母親が大嫌いになる

そんな泉さんは、幼い頃から美容師になりたかったそうですが、お父さんには、どうしてもダメだと反対されていたそうで、小学校高学年のある日のこと、近所のおしゃべりなおばさんとその話をしていると、

おばさんは、

美容師になりたいの?まあ、小夜ちゃんの本当のお母さん、美容師だからね。髪結いさんだから。

と、言ったそうで、

泉さんが、

えっ?今いるじゃない、お母さん

と、言うと、

そのおばさんは、

違うの、実は

と、言ったというのです。

この話を聞いて以来、泉さんは、義母が大嫌いになり、「お母さん」と呼べなくなってしまったのだそうです。


幼少期の泉さんと義母。

モノマネチャンピオンで歌手(三門マリ子)デビュー

そして、

この人と離れるために、早く家を出たい。

と、自立して家を出ることしか考えられなくなってしまった泉さんは、

浪曲師のお父さんの影響で、もともと、歌が大好きだったことから、ラジオの歌謡曲に夢中になり、あちこちののど自慢に出場していたそうですが、中学1年生の時、出演したテレビの歌マネ番組で、見事チャンピオンに。

(ちなみに、優勝賞金は1万円だったそうで、自分と家族に洋服を買ってもまだお金が余ったことから、子供心に、「これは稼げる」と思ったそうです(笑))

これがきっかけで、泉さんはプロダクションにスカウトされ、浅草の映画のアトラクションで歌うようになると、「三門マリ子」という芸名をもらい、映画のアトラクションや歌謡ショーの前座歌手をするようになったのでした。

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漫談歌手に転身

そんな泉さんは、中学卒業後は、一旦は高校に進学するも、何かの折に、義母から授業料のことを言われたそうで、高校を中退して、義母の経営するおでん屋でアルバイトすることに。

すると、お父さんが浪曲師だったことから、お店にはコメディアンが多く出入りしていたそうですが、みんなが泉さんのことを「面白い」と言い、ある時、芸能事務所の社長から「漫談家にならないか」とスカウトされたそうで、

義母と離れるため、早く家を出たかった泉さんは、自身のことをスターになれる容姿ではないと感じていたこともあり、1966年、18歳の時、この話に飛びつき、漫談歌手へ転身されたのでした。

「泉ピン子の下積み(牧伸二の付き人)時代が悲惨すぎる!」に続く

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