漫談歌手時代には、ウクレレ漫談家・牧伸二さんの付き人として過酷な下積み生活を送るも、1983年に、NHK朝の連続テレビ小説「おしん」で大ブレイクすると、「おしん」の脚本家・橋田壽賀子さんに認められ、以降、「橋田ファミリー」の一員として、数多くの橋田さんの作品に出演するようになった、泉ピン子(いずみ ぴんこ)さんですが、この成功で、師匠・牧伸二さんとの関係性も変わっていったようです。今回は、そんな泉さんと牧さんのその後の関係についてご紹介します。
「泉ピン子のデビューからの出演映画ドラマ舞台を画像で!」からの続き
事務所からの借金でシャネルを買い漁る
「橋田ファミリー」の一員としてブレイクした泉さんは、それまでの、過酷過ぎた師匠・牧伸二さんの付き人時代からの反動か、金銭感覚が麻痺し、高級ブランド「シャネル」の、バッグや靴を買い漁るようになります。
ただ、当時は、女優がブランド品を買うのに、事務所に借金をするのは当たり前だったそうで、事務所が貸すのを渋ると、
泉さんは、
誰のおかげで事務所が食えてるんだ!
と、激怒したそうで、
その結果、1999年には、事務所からの借金総額が、3億5千万円にも達したのでした。
借金を残したまま事務所を独立
そんな泉さんを、師匠の牧さんは、
あいつは大丈夫か
と、いつも心配していたそうですが、
ついに、事務所は、泉さんにお金を貸すことを拒否。さらには、事務所は泉さんの自宅の公共料金の支払いも肩代わりしていたそうですが、この支払もストップ。
すると、泉さんは、このことに激怒し、借金を残したまま、師匠の牧さんに何も言わず、事務所を飛び出す形で独立されたのでした。
師匠・牧伸二と断絶
これには、当然、事務所の社長も牧さんも怒り心頭となったそうですが、
それ以外にも、泉さんが、インタビューの中で、
自分にとって恩師は杉村春子先生
と言い、牧さんの名前を出さなかったばかりか、漫談歌手時代の話を一切しなかったことから、牧さんは大きな失望を覚えたそうで、
あまりにも恩知らずだ
と、泉さんを破門にし、それ以来、二人は絶縁状態に。
また、2002年には、牧さんが「脳梗塞」で倒れられるのですが、泉さんは見舞いにさえ行かず、2013年に、牧さんが多摩川に身を投げて亡くなった時も、泉さんは弔問のコメントを一切出さず、沈黙を貫かれたのでした。
関係者の証言
ちなみに、二人をよく知る芸能関係者は、
独立からの13年間、ふたりは完全に絶縁状態で、ピン子さんはあの下積み時代の日々を消し去るかのように、牧さんの名前を口に出すことすら嫌がっていました。あの人のことは絶対許さないっていう思いが、ずっと心の奥深くに残っていたんでしょう。
と、泉さんの、並々ならぬ憎しみを明かしているのですが、
当時のスタッフによると、
牧さんは一度もピン子をイジメたことはない。人をイジメるような人ではない。かといって、人の面倒を見る人でもなかった。
中学の1年後輩だった故・立川談志さんが「牧は徳がないからダメなんだ」と言ってましたが、そういう人なんです。ピン子の逆恨みですよ。
と、当時の師弟関係では、ごく当たり前のことだったと証言。
また、某お笑い関係者も、
昔、(立川)談志師匠も「あの人は徳がない」と言ってましたが、牧さんは一見、優しそうでも後輩たちの面倒は見ない
と、証言しており、牧さんが、特に泉さんだけをイジメていたという訳ではないようです。
ただ、客からヤジを飛ばされ、テーブルの料理を投げつけられることが日常茶飯事だったキャバレーの下積み時代、唯一の頼りである師匠から何もしてもらえなかったことに、泉さんが恨みを募らせるのも、致し方のないことかもしれませんね。
(泉さんが独立後、「佐藤事務所」は、オーナーが意欲をなくしてしまい、その後、亡くなり、事務所は解散となったそうです)
「泉ピン子に会うと発疹が出るとえなりかずきが共演を拒否?」に続く
師弟時代の泉さんと牧伸二さん。