70代となっても、俳優、司会、タレントとマルチな活躍を続けている、堺正章(さかい まさあき)さんですが、今回も、そんな堺さんの父親である、戦後の日本を代表する喜劇役者・堺駿二さんについてご紹介します。

「堺正章の父親は堺駿二!母親は松竹少女歌劇団の三浦たま子(幹千代子)!」からの続き

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父親・堺駿二が水の江瀧子主宰の「劇団たんぽぽ」に参加

シミキンこと清水金一さんらと「新生喜劇座」を結成すると、清水さんとのコンビが、たちまち全国的な人気を博した駿二さんですが、その後、清水さんのワンマン座長ぶりから、早くも1943年には、田崎潤さんとともに「新生喜劇座」を脱退。

同年には、「松竹少女歌劇団」の大スターだった水の江瀧子さんが結成した「劇団たんぽぽ」に加わります。

父親・堺駿二が映画界に進出

そして、翌年の1944年4月には、赤紙が届き、横須賀海兵団に配属されるも、戦地に行くことなく、1945年、横須賀で終戦を迎えたそうで、復員後はすぐに「劇団たんぽぽ」の舞台に立ち、役者としての活動を再開。

(赤紙が届き、奥さんと3人の子どもたちのことを心配したそうですが、水の江瀧子さんが、駿二さんの家族に、劇団員として、お給料を払い続けると申し出てくれたそうで、家族は路頭に迷わずに済んだのだそうです)

ただ、翌年の1946年、次男の正章さん(堺さん)が誕生し、子どもが4人となると、舞台から映画界に転身することを決意。

(戦後、人々の娯楽は舞台から映画に移っており、映画の方が稼げると思われたのかもしれません)

同年には、映画会社「松竹大船」に入社すると、いきなり、短編映画「破られた手風琴」で主演に抜擢されたのでした。


「破られた手風琴」より。

(ただ、主演は、生涯を通じ、この一作のみ)

父親・堺駿二は超売れっ子俳優に

その後、駿二さんは、1952年にフリーとなると、数多くの映画、舞台、テレビドラマで、美空ひばりさんや大友柳太朗さんなどのスターを支える名脇役として活躍。

1953年には20本、1954年には18本、1955年には25本もの映画に出演されるなど、映画出演本数は250本にも上る超売れっ子の俳優となり、毎週のように、駿二さんが出演する映画が公開されている状態だったそうです。

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父親・堺駿二が突然死

しかし、1968年8月10日、「新宿コマ劇場」公演のリハーサルの際、舞台から落下し、腰を強打。歩くのも困難なほどの大ケガを負ってしまいます。

それでも、駿二さんは、周囲の制止を振り切り、公演を続行したそうで、

それから1週間後の舞台本番中、

あたしゃ、まだまだ元気ですよ~

というセリフを言い、舞台袖に下がった瞬間、「脳出血」で倒れたそうで、病院に搬送されるも、54歳という若さで他界されたのでした。

ちなみに、(「ザ・スパイダース」の公演中だった)次男の堺さんが病院に駆けつけた時には、すでに、駿二さんは亡くなっていたそうで、

堺さんは、

あれで舞台を降りていれば、もっと長生きできた父親だと思うけど・・・無理しなきゃ、もう少し長く生きられたかな

舞台の上で役者は死ねたら本望だとか言うけど、うちの父親は最後にそれを舞台の上でやって、皆さんにお別れをしたのかな

と、亡きお父さんを偲ばれていました。

「堺正章の若い頃は井上順らと「スパイダース」で活動していた!」に続く

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