風間杜夫が若い頃は大竹まことらと劇団「表現劇場」を結成していた!


1969年には、早稲田大学に入学し、劇団「自由舞台」に入団するも、当時は、学生運動真っ只中で、演劇活動はままならず、自身も学生運動に身を投じていたという、風間杜夫(かざま もりお)さんですが、やがて、早稲田大学を中退し、本格的に演劇活動を始めます。

「風間杜夫は早稲田大学の「自由舞台」に入団も学生運動をしていた!」からの続き

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劇団「表現劇場」を結成

風間さんは、いつ頃かは不明ですが、早稲田大学を中退すると、「俳優小劇場付属養成所」に入所するのですが、1971年秋、幹部間で内紛が発生したことをきっかけに、直談判して費用を返金してもらうと、

その返金されたお金を元手に、同時期に入所していた、大竹まことさん、斉木しげるさん、きたろうさんらと、劇団「表現劇場」を結成し、小劇場を中心に演劇活動を始めます。

ただ、当時はとにかくお金がなく、劇団の集会所として借りていた8畳の部屋に、大竹さんと斉木さんと3人で暮らしていたそうですが、仮面ライダーショーなどのアルバイトで日銭を稼ぎ、マヨネーズだけをかけただけのご飯で飢えをしのぐ毎日を送っていたそうです。

仮面ライダーショーのアルバイトをやっていた

ちなみに、仮面ライダーショーでは、着ぐるみを着て子供たちの前でショーを披露していたそうですが、風間さんがライダー役、斉木さんがショッカー(敵役)の親分役、きたろうさんがその部下役を演じる中、

大竹さんだけは、着ぐるみが大嫌いだったことと、要領が良かったことから、マイクを使って、会場の子どもたちに、

今日はお前たちの中の一人をさらっていくから覚悟しろ!ヒッヒッヒ

などと言うだけの、一番楽な仕事をやっていたそうです(笑)

また、風間さんは、ライダー役で主役だったことから、仕事は楽かなと思っていたそうですが、全くの逆で、主役であるライダーには、ショーが終わってもサイン会があり、風間さんだけ残って仕事をしなければならなかったそうで、

ライダーのお面をかぶったまま、多い時には1000人の子供にサインをしたこともあったそうですが、大変な重労働だったにもかかわらず、バイト代はほかの3人と一緒だったそうです(笑)

劇団「表現劇場」が解散

そんな中でも、仲間たちとそれなりに楽しい日々を過ごしていたという風間さんですが、肝心の演劇の方はというと、なかなかうまくいかなかったそうです。

というのも、「表現劇場」は、演出家も作家もいない、役者ばかりの集団だったため、やりたいことの方向性がバラバラでまとまりがつかず、

それでもなんとか、いろいろなことを話し合いながら、何度か公演を打つも、活動は思わしくなく、3年持たずに解散となってしまったのでした。

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日活ロマンポルノに出演していた

それでも、風間さんは、舞台中心の活動のかたわら、1972年には、「風間杜夫」名義で、日活ロマンポルノ「艶説女侠伝 お万乱れ肌」で映画デビューすると、

(子役時代は、本名の「住田知仁」名義で活動)

1973年「昼下りの情事 変身
1974年「秘本 袖と袖

など、全部で13作品の日活ロマンポルノに出演し、

1974年には、NHK大河ドラマ「勝海舟」で、テレビドラマデビューも果たすと、

1975年「大江戸捜査網」
     「異母兄弟」
     「太陽にほえろ!」


「太陽にほえろ!」より。(左から)竜雷太さん、風間さん。

1976年「グッドバイ・ママ」
      NHK朝の連続テレビ小説「雲のじゅうたん」
     「娘たちの四季」
1977年「新選組始末記」

と、立て続けにテレビドラマにも出演したのでした。

「風間杜夫は「蒲田行進曲」の倉岡銀四郎役が当たり役となっていた!」に続く

「雲のじゅうたん」より。浅茅陽子さんと風間さん。

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