何度も断られながらも、晴れて6代目笑福亭松鶴さんに弟子入りした、笑福亭鶴瓶(しょうふくてい つるべ)さんですが、弟子入りして4日目のこと、この先何があっても松鶴さんにずっとついていこうと心に決める出来事があったといいます。

「笑福亭鶴瓶が昔6代目笑福亭松鶴に弟子入りした理由とは?」からの続き

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入門4日目で横柄な新聞記者を注意していた

1972年2月14日、20歳の時、笑福亭松鶴さんの11番弟子として入門した鶴瓶さんは、入門4日日のこと、落語会で木戸番(入場受付)をしていたそうですが、

いつも顔パスで入ってくる、横柄な夕刊紙の新聞記者に腹を据えかね、

(この時も、名前も会社名も名乗らず、素通りで入場しようとしたそうです)

おたく、いつもタダで入っていきはるけどどなたさんですか?あのう、いっぺんくらいお金払って入ったらどうですか?

と、態度を注意すると、

その記者は、

お前誰や

と、言いながら、持っていた下足札を鶴瓶さんに投げつけてきたそうで、

鶴瓶さんは、この頃、まだ、高座名もなかったことから、

松鶴の弟子です

と、言ったそうですが、

その新聞記者は、

お前、辞めさせたるわ、ちょっと来い。

と、吐き捨てるように言ってきたそうで、鶴瓶さんはそのまま、松鶴さんの楽屋に連れて行かれたのだそうです。

師匠・笑福亭松鶴の男気に感動

すると、松鶴さんには、まず、持ち場を離れたことを注意されたそうですが、鶴瓶さんが、破門などの処分を覚悟して、事の次第を説明すると、

松鶴さんは、「向こう行け」と鶴瓶さんを遠ざけた後、

新聞記者(落語会を主宰していた新聞の記者だったそうです)に向かって、

アホ! カス! 去ね(帰れ)!この子は将来、あんさんらが取材で世話になる子や!それに対して何をさらす(何をしやがる)!

と、言い放ったそうで、

鶴瓶さんは、師匠の男気に深く感動。その後は、松鶴さんを「おやっさん」と呼び、慕い続けたそうで、

たとえ、酔った松鶴さんにいきなり傘で刺されても、階段から突き落とされても、とにかく何をされても、

おやっさんについていく

と、鶴瓶さんの決意は揺るがなかったのだそうです。

(とはいえ、鶴瓶さんは、松鶴さんの愛犬をコタツの中に入れてフラフラにさせ、「これがホンマのホットドッグや!」と、やるなど、決しておとなしくしていた訳ではなかったそうです(笑))

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古典落語にもかかわらず自由にアレンジしていた

そんな鶴瓶さんは、1972年9月26日、島之内寄席にて、演目「煮売屋」で初舞台を踏んでいるのですが、

高島屋大阪店ホールで行われた落語コンクールの演目「堀の内」では、古典落語にもかかわらず、オートバイに乗った人物を登場させるなど、アレンジを加えると、

審査員だった松鶴さんと香川登枝緒さんには、

時代錯誤も甚だしい

こいつの落語は落語やおまへん。現にワタイ(落語の)稽古つけてない!

と、酷評されたそうです。

とはいえ、松鶴さんには、その帰り道、

おまえのが一番おもろかった

と、お尻を叩かれ、褒められたそうで、

実は、松鶴さんも、若手時代、高座でバレリーナに扮して、お師匠さんから怒られたことがあったとのことで、自由な発想の落語をする鶴瓶さんの笑いのセンスを認めていたようです。

(ちなみに、鶴瓶さんは、高座にラジカセを持込み、笑いが欲しい時はスイッチを入れて笑い声を出すなど、お客さんをあおったこともあったそうですが、松鶴さんには叱られたそうです(笑))

「笑福亭鶴瓶が若い頃はアフロヘア&オーバーオールの落語家だった!」に続く

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